yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

例えば発火するチェーンロック

みんな、げんきかな〜??おじさんはそこそこげんきだよ〜!!「そうじょうたい」ってやつらしいね〜!!!


ここでみんなにクイズだよ〜!!!
きょうとしをながれる「かもがわ」のまわりにある、いろんなくにのことばでうたいながら、きれいにまちをおそうじしてくれるいきものって、な〜んだ??


おもちゃのへいたいさん?ざんねん、ちがいます〜!このくにはぐんたいをもつことはできないんだよ〜!!

 

 
京都市の放置自転車対策。
数カ国後で「放置自転車の撤去作業を〜」だのバカみたいに間延びした声で喚き散らすスピーカーを備え付けた軽トラ。まだ維新政党・新風街宣車の方がマシだわ。人の神経を逆撫でするようなあの言い回しヤメロ。


放置自転車の対策自体は色んな自治体がやってるだろうが、京都市は特に厳しい。厳しいなんてもんじゃなくてもはや狂気の沙汰。趣味でやってんのかってぐらい意気揚々と路上にある自転車を持って帰る。ググってみたらサジェストに「むかつく」「邪魔」が出てくるので、それなりに被害に遭っている人はいるのだろう。


実際に三条大橋周辺を歩いてたら頻繁に“奴等”を見かけるし、撤去作業をしてる瞬間を目撃することもある。
一度見かけたのが、コンビニの近くのフェンス脇に自転車を置いて(レンタサイクルかな…?)店に入っていった外国人数名の例。にこやかに商品を選んでいるたった数分の間に“奴等”が襲来して、「してやったり」の顔でバカアホクズオンボロファシスト軽トラに積み込んでそのままマヌケ音声を垂れ流しながら去っていった。当然、店から出た外国人たちは大パニック。そのあとどうなったのかは知らないが、とんでもなく不安で狼狽したことだろう。可哀想に。


カゴにビラを入れておくとかテープを貼るとかいくらでも置いてある自転車を警告する方法はあるだろうに、“奴等”は問答無用でそこにあれば回収していく。チェーンがついていれば、拷問でチンチン切り落とすデカい鋏みたいなやつを振り回してぶった切る。置いていた人に弁明のスキも与えずに持ち去る。これを所有権の侵害と言わずしてなんと言えるか。


おっさん2人が「放置自転車対策強化中(だったかな)」のタスキを錦の御旗のごとく翻して軽トラに載せている光景はもう見ていられるもんじゃない。さぞかし気持ちの良いことなんだろうな。俺はアレを見てホテル・ルワンダを思い出したね。



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「自転車がじゃまで通れないよー」じゃねえんだよ。行政の連中はこんな所狭しと自転車が置かれてる構図をイメージしてんのか?1台でも置いてりゃ持っていくバカみたいな締め付けしておいて、悪いのは置いている側の人間ですーと開き直りよって。
度を越したそのやり方を「公共の場所の機能の保全」「良好な都市環境の形成」という大義(京都市自転車等放置防止条例より)で正当化出来ると思うな。ついでに、こういう場合の「被害者」として女児・老人を持ち出してくるその浅い魂胆が気持ち悪い。


確かに放置自転車は度を越せば危険なものだし、迷惑がる市民が出るのも十分に理解出来る。実際それ自体は我々が対策せねばならないこと。しかしながらさっき示した具体例の通り、ずっと放置されているわけでもなく一時的に置いてるにすぎない自転車までも捕捉した瞬間ノータイムで持っていくのは完全にどうかしている。実際こういう事例はかなり多い。そもそもなんで路上に駐輪しなきゃならんのかということを考え直せ。
それでも、と言う諸君は一度京都市のその現場を目にしてから言ってくれや。ついでにバカ高い京都市営地下鉄の運賃やら、やけに職質をカマしてくるマッポやら(これは私だけの話かも)、観光案内の不完全さやらも見ていってくれ。「死ねどす」メンタリティはこういうとこに顕在化する。


「公共の場所」について権力がどうこう言うのであれば、我々は公共の場所とは一体誰のためのものかと断固として反論を叩きつけねばならん。そもそも路上喫煙の全面禁止とか渋谷でのハロウィンの禁酒とか、あるいはいわゆる「排除アート」といったところにも現れる、この現代社会の息苦しさや窮屈さを我々は許容する理由はない。勝手な横暴に手をこまねいて「あゝ御国のお蔭で住みよい世界が作られるなあ」と思い込むタダの模範囚的な道徳なんてクソくらえである。合理的で規律正しい社会など押し付けられた箱庭にしかすぎない。我々の!手で!!秩序を破壊しよう!!!