yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

ラスト・アクトレスの時代考証

アイドルマスターミリオンライブ!のドラマCDのなかでも一二を争うほどのクオリティを誇っている、"The@ter Boost"シリーズ(以下TBと称する)のTB03に収録されている楽曲「ラスト・アクトレス」がテーマの劇中劇「屋根裏の道化師」というものがあります。簡単にあらすじをいうと、劇場ミリオン座で起きた謎の連続殺人事件をめぐって、劇団女優たちと支配人、それから探偵がわちゃわちゃするという「劇場サスペンス」です。 

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まァ60分というCDの尺にどれだけサスペンス要素とキャラの魅力が詰め込めるかがポイントだったのですが、謎解きやストーリー展開は構成上簡単なものにならざるを得ないとはいえ、真に迫るキャラの演技や「愛する人だからこそ手にかける」という殺人犯のサイコが贅沢に盛り込まれていて、アイドルマスターをよく知らなくとも十分に楽しむことのできる作品です。
 
ここで問題となるのが(特に二次創作とか)、このドラマはいったいいつの時代のどこが舞台になっているのか?という根本的な疑問です。他のTBシリーズはどちらとも現代のビーチバレー部と喫茶店だということが明確にわかりますが、本作品はあまり明らかにされていません。なんとなくノスタルジーな空気は感じるかなあといった風情です。
 
というわけで、キャラの発言やイラストから推測してみます。
 
 
① イベントコミュ
 
残念ながら、ミリシタのイベントコミュについては、現代のシアターアイドルについての話なので特に劇中劇に関するヒントの台詞はありません。ただ、現代作家よりも近代作家を好んでそうな(完全な偏見)百合子がめちゃめちゃ惹かれているので、なんとなくそのくらいの話なのか…?という気はします。
 
話のキーとなっている探偵ウォーカーくんです。探偵という職業の創始は、1850年アメリカのアラン・ピンカートンの建てた私立探偵局だというのが通説で、ここから近代的私立探偵の広く知られるところとなります(注・このピンカートン探偵局は民兵組織だったという説もある)。また、ウォーカーくんの被っている鹿撃ち帽はどう考えてもシャーロック・ホームズのオマージュで、ホームズの舞台は1880年から1914年までのイギリスです。さすがにホームズと同期と考えるよりも、彼もまたシャーロッキアンの一人だったと仮定するならば、この推理小説が流行った19世紀末よりあとではあると考えられます。
 
またどこが舞台なのかについては、登場人物の名前はいずれも英語圏に多いもので(モニカに関してはスウェーデンとかルーマニアの可能性もあるが)、ウォーカーくんがシェイクスピアの引用をしている点、また前述の鹿撃ち帽の点からも、ほぼイギリスではあると断定できます。ただし、ホームズと同じロンドンの話かはわかりません。もしかしたらバーミンガムとかエディンバラかもしれない。

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② ドラマCD
 
次に、本編のドラマCDに関して、いくつかヒントらしき台詞はあったので、それぞれ考えていきます。
 
Ⅰ.都会の鉄道(汽車)
開始早々、ウォーカーくんが「都会の鉄道というものは、なぜあれほどまでに難解なのでしょう…。」とぼやいています。かわいい。また後に、驚かされてウォーカーくんはつい方言が出てしまう(「いまのはお国の言葉かしら?」と笑われる)描写がありますが、さすがに日本における東京と石川ぐらいの訛りの違いがイギリスにおいてはどのくらい隔たっているのかは分かりません。適当に調べて出てきた、ノーベル化学賞受賞者のジョン・E・ウォーカーイングランド北東部ウェスト・ヨークシャーハリファックスという小さな街出身らしいので、ウォーカーくんもそこということにしておきます。
 
 
 
さて、イギリスの鉄道の歴史は長く、1830年にジョージ・スチーブンソンがリヴァプールマンチェスター鉄道を作ってから、ヴィクトリア女王のもとで20世紀までにはスコットランド含め全英に鉄道網が張り巡らされています。すでにこの時期には、イギリスの主要都市はウォーカーくんが二度迷うほど鉄道は発達しています。仕方ないね。
 
シンシアさんは鉄道を「汽車」と呼びますが、これが本当に蒸気機関車を指しているのだとしても、2009年時点でさえイギリスの鉄道電化率は40%程度なので、ましてやもっと前でも十分に蒸気機関車ディーゼルカーの可能性はあります。一応、一部で電車に置き換わりはじめたのは1960年代なのですが、先ほどあげたリヴァプールマンチェスター鉄道やロンドンを走るグレート・ウェスタン鉄道でさえ電化されたのはつい最近です。おばあちゃんがゲーム機を全てファミコンと呼んだり、いまだにロシアをソ連と言ったりするあの現象と見なさなくても、だいたいどの時代でも実際に蒸気機関車に乗ってウォーカーくんがやってきたと考えてつじつまはあいます。やや失敗か。

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Ⅱ.腹話術
ミルズ支配人は、リトルミルズと呼ぶ人形を使って腹話術をします(これが殺人のトリックとされたりもするアイテム)。腹話術という技法が評判になったのは、1936年アメリカのエドガー・バーゲンがラジオの公開放送で演じてからだと言われています。そして大体40年代から60年代前半にかけて腹話術は好評を博し、60年代後半には衰退しました。とすると、ミルズ支配人が手品と一緒に腹話術を人前で披露していた時期としてはこのくらいかもう少し後だと考えられます。やや絞り込めたか…?
 
Ⅲ.警察
当然サスペンスなので警察は登場するし、リリィ警部とウォーカーくんのBL的展開がわりと二次創作で見受けられます(めっちゃすき)。ここで警察の出て来るシーンとしても、引っかかる点が4つ。
 
1つ目に、殺人現場において警察だけが封鎖をして検証を行い、また被疑者に尋問する権力を行使できること。18世紀までは警察権力は市民抑圧の装置として懐疑的な扱いをされており(今でも僕はそう思っているが)、1829年スコットランド・ヤードが設置されてからが、イギリスにおける近代的警察像のはじまりといえます。近代の警察としての遵法精神や市民を管理する権力が確立されたのはいつからなのか、ということが重要です。とはいえ、ホームズの時代からすでに警察権力は十分機能していたとは考えられますが…。
 
2つ目に、現場検証において科学的鑑識が機能していること。リリィ警部が、詳しいことは調査中としながらも「毒物を使用した可能性」をその場で言及していることから、科学的鑑識に一定の権威が保障されている時期だということになります。なんか明治時代にはあった気がしなくもない。
 
3つ目に、ウォーカーくんがパトカーの音で飛び起きたシーン(かわいい)。さすがにパトカーが一般的に流通しはじめたのは20世紀に乗用車が出回ってからだろうし、なんなら日本でパトカーが配備されたのは戦後のことです。イギリスではどうでしょう。
 
4つ目に、ウォーカーくんがコレットに犯行手段を追究した際のアイテムとして、警察の制服が挙がっていること。イギリスにおいて一般巡査がいつごろから制服を導入し、また劇場が衣装として用いるほど一般的になったのはいつごろでしょう。
 
イギリスの警察事情について調べても要領を得ないので、イギリス政府の情報公開機関ページ"Freedom Of Infomation"(FOI request)に向かってメールを投げてみました。おそらくかのイギリス政府であれば、こんな些末な質問なんてスグに資料をまとめてお返事してくれるに違いありません。ちなみにこの英文が合っているという保証は一切ありません センター試験でも英語は7割もなかったので…。

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なにがJapanese web writerだ

 

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本当に返信が来た!なんか添付ファイルがありますね 開けてみましょうワクワク
 

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要約:俺たちの仕事でねーのでそれっぽいリンクやるから自分で見つけろキモオタク
 
 完全に失敗しました。そもそも、Freedom Of Infomatonなんてこういう質問をするページではないんだろうなといった感想です。こんなのでもご丁寧に返信してくださるイギリス様には足を向けて寝られません。
 
とはいえ、とても重大な手がかりに結びつきそうなページのリンクを教えてもらえたので、これを元に検証を続けていこうと思います。このリンク先は"THE NATIONAL ARCHIVES"、要するにイギリス政府のオンライン資料庫の警察に関する内容でした。こんなの日本から検索にかけても一切ヒットしないな…。
 
1,2. 近代的警察像の成立および科学的鑑識
Metropolitan Police Force(ロンドン警視庁スコットランド・ヤードとも)の成立を「最初の近代的警察権力(The first modern police force in England)」と紹介しているので、これは前述の通り1829年です。分裂していた警察機関を統合するにはここから第二次世界大戦までかかるのですが、いずれにせよ殺人現場において独占的に捜査できる権力としての警察構造は19世紀にはすでに成立しているとなります。そもそもシャーロック・ホームズにも警察は出てくるしそれほどアテになるわけでもなかった。
 
科学的鑑識に関してはなにをどう足掻いてもイギリスの警察での情報は得られなかったので、参考として法科学の歴史的経緯を紹介します。イギリスにおいて解剖学または医学の進歩がめざましいのは19世紀以降のことで、解剖する死体を供給するために貧乏な人や障害者を殺して医者に売るという、バークとヘア連続殺人事件なんてもので騒がれはじめます。また、「日本における犯罪鑑識科学の現状」によると、

犯罪科学を体系的にまとめて今日の犯罪鑑識科学の基礎を築いた人は,オーストリアの検事・予審判事で刑法学者ハンス・グロス(Hans Gross:1847~1915)である.グロスは,犯罪鑑識に科学的な理論を導入し,裁判に誤りが無いように合理性を持たせた.それらの科学的な理論をまとめ,現在,犯罪捜査の犯罪鑑識科学のバイブルといわれている"Handbuch fur Untersuchungsrichter als System der
Kriminalistik"("刑事犯罪予審判事必携の書")を1893年に書き上げた.

(中略)

実際にハンス・グロスの科学的な理論を犯罪捜査のための鑑定という分野で実践したのは,フランスのエドモン・ロカール(Edmond Locard: 1877~1966)である.
ロカールは,グロスが提唱した自然科学を犯罪捜査へ利用し,その実際の内容を"Traite de Criminalistique"(「犯罪科学全書」)にまとめた.

とあります。ロカールがフランスに警察技法研究所を設立したのが1910年のことであり、科学的鑑識が犯罪捜査において有用性を持つのも20世紀前半からであると考えられます。結構最近できたものなのだなといった感想ですが、これだけでは年代の特定にはいまいち弱い気もします。さすがに20世紀以降だろうという予測はついているので…。

3.パトカー
これは警察のページではなくて、車を紹介する記事にあったイギリスにおけるパトカーの歴史の話です。1900年頃にはまだ馬車によるパトカーで、1920年代になってようやく車の体をなしているパトカーが登場し始めます。が、

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こういうTin Lizzieと呼ばれる車種のやつで、作品に出てくるキキーっとブレーキ音を立てて何台も颯爽とやってくるパトカーかと考えると少し古すぎるように思われます。
 
こうした、点滅するランプとサイレンの鳴るスピーカーを備えたパトカーらしいパトカーの導入は、イギリスにおいても日本と同様に1950年代以降のことだそうです。
 
4.制服
当然といえば当然ですが、スコットランド・ヤードができた時点で制服は存在します。以上。
 
労力のわりに目新しい情報が一ッッッッ個も見当たらねえ!!!
 
Ⅳ.新聞記者・ゴシップ誌
ストーリーのタネとして、「殺人事件によって公演が有名となる」ことがありますが、ここでその媒体を果たしているのは、若い女性が「ほら、新聞」と二人で読んでいるように、新聞および紙メディアです。また、取り乱したモニカが劇場から出ようとした際に、ミルズ支配人が「門の外には新聞記者たちが大勢詰め掛けています。あなたの嫌いな、ゴシップ誌も大勢…。」と諭しているように、マスコミの主力はテレビカメラよりも新聞や雑誌が占めていたころです。また、噂が噂を呼んで観客がたくさん集まっているといったニュアンスなので、SNSおよびインターネットが利用されている時代ではありません。ちょっと強引すぎる気がしなくもないが。

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まず紙メディアの勃興については1868年に創刊されたイギリスの大衆雑誌「バニティ・フェア」を筆頭に、様々な雑誌が19世紀後半から既に存在しています。また新聞についても、1896年に本格的大衆紙としてイギリス全土に広がった「デーリー・メール」が先駆けです。やはり20世紀にはどちらも大衆を扇動する材料として、紙メディアが利用されています。また現在もタブロイドがそうであるように、その立場は変わっていません。
 
次に他のメディア媒体として、現在は最も主役を担っているであろうテレビのインフルエンス力のなさが見受けられます。仮にそうだとしたら、ミルズ支配人は「報道のテレビカメラも大勢」と言い換えるに違いありません。それほどまでに、文字と写真よりも映像の記録は強烈なインプレッションを与えます。さて、BBCは世界初のテレビ放送を開始したのが1936年のことで、戦争のために39年からは放送を中断し、46年に再開しています。そして、1953年のエリザベス2世の戴冠式というイベントを契機にイギリス国内のテレビ製造台数は増加し、1955年のBBC以外の放送局による商業放送をきっかけにテレビは影響力を持つようになりました。
 
しかし、さすがにテレビが流通しはじめる1960年代以前だと考えるよりも、テレビカメラはあってもまだ少数でまだまだ紙メディアがヘゲモニーを握っている、60年代かもう少し後まで とも取れるでしょう。
 
Ⅴ.日本との関係
実はコレットは日本人とのハーフだということが終盤明かされます。ウォーカーくんはイギリスからわざわざ日本まで渡航して、コレットの調査をしていました。また、シンシアさんとウォーカーくんが再会したときに「この一月、街はミリオン座の噂で持ちきりでした」と言っていることから、日本に行っていた期間とイギリスの街で調査をしていた期間を含めて、一ヶ月は経っていたことになります。
この文面を素直に受けとって、公演期間は一ヶ月だったとしても、イギリスから日本までこの短期間で往復するには飛行機しか手段が考えられません。バスでイギリスから日本とか逆沢木耕太郎じゃあるまいし、さすがに西洋から極東アジアまで鉄道でスムーズに行けるほど陸路が発達しているとも思えない。

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また、コレットは日本からイギリスの劇場に紹介状を携えてやってきたとなると、日本人の海外渡航自由化が成立したのは1964年のことであり、ここから徐々に一般人も海外に羽ばたくようになりました。さて、日本がはじめて国際線を運航したのは1953年ですが、この頃は行き先はアメリカのみであり、また政府要人などが利用していたものです。警察にコネがありそうなウォーカーくんとはいえ、このレベルは考えづらいでしょう。そして、ヨーロッパ諸国に乗り入れを始めのは1961年のことです。しかし、この頃はまだまだ航空券が高額だろうし、一介の探偵にすぎないウォーカーくん(かわいい)がやすやすと入手できるものとは思いがたいですが…。
 
仮にコレットはイギリスを放浪しており、またウォーカーくんが「彼女の故郷(日本)まで行って出生記録をあたるのには骨が折れましたが…。」と少々愚痴っているように、50年代後半にアメリカ経由で日本に渡ったか、日本人の渡航制限解除前に入国したか、というめちゃめちゃ大変な場合を考えても、ギリギリ矛盾はないような気はします。ただし、いずれにせよ60年代という節目は見逃せません。
 
 
③ カードイラスト・背景
 
「劇場サスペンス[新ヒロイン]」のSR琴葉(コレット)
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満面の笑みを浮かべて観客に手を振るコレットのイラスト。めちゃめちゃ光っているスポットライトが背景にあり、また歌詞にも「乾いたスポットライト」が出てきますが、これ自体は20世紀以降舞台における照明装置が重要となってからはずっと使われています。また、一緒に並んでいる人の装いも年代を特定できるほど鮮明なものでなく、特別なものでもありません。
 
「劇場サスペンス[スタア]」のSR桃子(モニカ)
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意地の悪い笑みで、恐らく寮の食堂的なスペースに立っているモニカのイラスト。背景には現代でも使われている蛍光灯と思わしきライトが見えます。電力については日本がそうであったように、イギリスでも戦前から供給されているもので、また蛍光灯が白熱灯よりも普及しはじめたのは戦時中のことです。そして、スチール(?)の足の机や椅子も同様に、20世紀には既存のものです。

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また、コレットはじめ女優たちの衣装やリリィ警部の着ているコートも、だいたいどの年代にもあるなあといった感じです。
 
また、カードを所持していないので画像を貼ることはできませんが、「劇場サスペンス[元大女優]」のSRこのみさん(シンシア)の背景には比較的カジュアルな正装の男女が観劇をしている様子、「劇場サスペンス[支配人]」のSSR瑞希(ミルズ)がカラー写真を持っている様子(ちなみにこれで人前で腹話術を披露しているのもわかる)、「劇場サスペンス[探偵]」のSSR紬(ウォーカー)で背景に高層ビルはないものの5~6階建てのビルや工場の煙突と思わしきものや電池式のペンライトがあります。これらはおおよそ、戦後から80年代以降にかけてよく見られるものだと考えられます。
 

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次に、THE@TER BOOST!の特別コミュに映る、劇場の屋根裏とされるイラストがあります。雑然とした印象で白熱灯やアンプが見えますが、左側の板に確かに「ワレモノ注意」のピクトグラムのステッカーがあります。

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ピクトグラムは日本が発祥といわれており、国際的にこれが広まったきっかけとは1964年の東京オリンピックで開発されてからです。さすがにイギリスにおける注意喚起ステッカーの歴史まで書いてある文献を探すことはできませんでしたが、恐らくこれは東京オリンピックよりも後であると考えて差し障りはないでしょう。
 

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また、楽曲「ラスト・アクトレス」のMVの背景には、1986年の「オペラ座の怪人風の意匠がありますが、さすがにこれがオペラ座の怪人をモチーフにしているとは断定できないし、またMVは現代のシアターで公演をしているという設定なので、「屋根裏の道化師」にはそもそも直接関係はありません。行数稼いだな。
 
 
④ 結論
 
以上より、日本の渡航制限が解除され、また東京オリンピックが開催された1964年より後で、またほぼイギリスの鉄道が電化されておらず、マスコミとしてまだ新聞や雑誌が有力で、出し物として腹話術が用いられた60年代まで
よって、「屋根裏の道化師」は1965年から69年までのイギリス(および日本)が舞台と考えられます。

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さ て 、1965年から69年とはいったい、日本とイギリスでは何があった年でしょうか?
この頃は、ちょうど大学紛争と政治運動の五年間です。学園紛争とベトナム反戦運動が重なり、この年代は戦後最大のイデオロギー闘争となりました。特に「1968年革命」とはよく言うものですね。
また同時期のイギリスでも、ベトナム連帯キャンペーンが打ち立てられフランスの五月革命が飛び火したりと、世界中の若者が運動をすることによって理念や思想を共有できる世代となりました。カルチェ・ラタンという単語を耳にしたことがある人も少なからずいると思います。
革命の寵児としてこの時代を生きながら、また悲しい殺人事件を捜査する探偵ウォーカーくん。そう考えてみると、このラスト・アクトレスという楽曲に関しても革命的な解釈をすることが可能になるのではないでしょうか。

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あ〜〜〜〜この時代に生まれたかったな〜〜〜〜〜〜!!!