yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

7.31~8.6 西日本の旅

 前のこれの続編というか、完結編って感じです。これは暇すぎて電車の中で書いてたやつ。

 

yk1.hatenablog.jp

 

漠然と8月頭ぐらいに旅行に出かけようとは思っていた。それが東京になるか、西日本になるか、四国になるかはそのときの気分次第だった。それが18切符のいいところだし。ずっと大阪府のなにもないベッドタウンに定住してたら魂(プシュケー)が腐り落ちてしまう。

 

旅に出る予定をしていた日の一週間前になった。突然衝動的にその気になった日に、JRの駅に飛び込んで財布とスマホだけで新潟県とか行けてしまうのが18切符の恐ろしいところなのだが、最低限の日帝日程の枠組みだけはセッティングしておかねばいよいよ自制がきかなくなる。なんなら気づいたらウラジオストクとかに漂流しているすらある。そこでふと鳥取に住んでいる友人の顔を久しぶりに眺めたいと思ったので、とりあえず西日本行き(鳥取経由)が確定した。ついでに砂丘も見てみたかった。

 

 

7.31 京都→鳥取

京都駅からJRに乗る。その前に七条のあたりにある崇仁地区にも寄ってきたのだが、昔からあった半分仮設のような建物が集まった飲み屋街やちょっとした商店が更地になっているのを見て、いずれはこの土地の歴史もなかったことにされるのだろうかと暗澹たる気分になった。もちろん街がきれいになるに越したことはないんだけど、旧態依然としてあり続ける差別問題に関して覆い隠されている気がしなくもない。こういった問題はいずれ学習しないといけないな。

 

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なにをトチ狂ったのか京都駅で缶のハイボールを買ってご機嫌に飲んでしまったので、山陰本線の園部から福知山ぐらいまでの一時間ほど無限に尿意との戦いになっていた。バックパックひとつに荷物を収めたかったので替えのズボンや下着なんてものは十分には持っていない(そもそも荷物減らしたくてスポーツウェアの短パンだったので“その”瞬間すべてが終わる)。頑張って気を紛らわせようと旅行中に読もうと思っていた本を読んでいたら、早くも3冊中2冊を読了してしまった。計画性がなさすぎる。

あと100均のサンダルで移動していると靴擦れしてしまった。ピリピリ痛む。どうしてこんな思いしながら旅行しなきゃならないんだと怒りと尿意に震えていた。ついでに申し訳程度の列車からの観光情報を書いておくと、京都駅からわりとすぐなのだが「保津峡」のあたりがかなり見ごたえあって素晴らしかったです。

 

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詳しくないけどこういう列車いいよね@福知山駅

福知山駅のトイレで無事人権を護持したので、あとは安心して電車に乗ることができた。途中の豊岡駅で立ち寄った定食屋がメチャクソ美味かった。大体京都駅を9時前に出て、豊岡が13時すぎだったと思う。う~ん、その日の行程のだいたい半分ぐらいは来たかなぁと安心しきっていた。しかしながらさきほどの惨劇から何も学習していなかったので、定食屋で次は瓶ビールを飲んでしまった。できたての野菜炒め定食をビールで頂くのは最the高だったが、またもや先ほどと同様の責め苦を味わされるのだと気づいたのは飲み干してからである。

 

豊岡駅を列車が出てから約1時間後。もはやどうしようもない暴力的な尿意に耐えかねたので、適当な駅で飛び降りた。兵庫県香美町鎧駅とかいうところだった。

 

地図を見たらわかるが、マジでなにもない街だった。商店ひとつなかった。この街のすべてを見て歩くのに30分も要らなかった。マジの陸の孤島って感じ。びっくりするほどユートピア。ちなみにこの駅には13:55に着いたのだが、その次来る列車は15:44だった。ほぼ2時間クーラーもない駅で待つのか。やっちゃったねえ。駅のトイレはなぜか異様に綺麗だったのが怖かったです。

 

しかしながら、めちゃめちゃ景色はよかった。なんせ目の前は大海原ですけん。海と言えば大阪湾の南港の船着場ぐらいしか見ないので、ここから見る東海(または日本海)はとても透き通ったような海で新鮮だった。その駅の待合室で調べたところ、この鎧駅は昔18切符のポスターにも使われたことがあるくらい、観光地として有名なところらしい。それを先に言ってくれ。

キモオタクなので鎧駅と聞いても鎧塚みぞれのイメージしかなかった(語感が似てるので)。こういうところでは白いワンピースに麦わら帽子をかぶった美少女と邂逅するものだと思っていたが、美少女どころか地元の人とも誰一人会わなかったので駅舎でひとり泣いていた。もはや私が美少女でひとり傷心旅行とかいうシチュエーションならよかったのに。腹立ってきたな。

 

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 そのままなんやかんやで次の列車に乗れたので、あとは鳥取を目指すのみとなった。予定より大幅に遅れたがなんとか砂丘までたどり着いた。砂だった。そこで起こったバス置き去り&真っ暗な山道一人歩き事件に関しては、前に書いてたやつ(オタク=トリップ - 暗渠)を参照してください。マジで死ぬかと思った。そのまま友人の家でほっともっとの弁当を食ってひとしきり騒いで寝た。鳥取駅に着いてから砂丘に行って友人宅で寝るまでにストロングゼロを3本飲んだ。軽く脱水になった。

 

8.1 鳥取対馬

朝7時ぐらいの列車に乗った。なぜならばその日中に博多まで着かないといけないからである。ちょうどこの時期(今もか)ゴースト・オブ・ツシマが流行っていたので、ゲームに興味がなくてプレイしていないぶんマジで対馬に行ってやろうと思ったのだ。これがオタクの“格”の違いってやつよと思いながら鈍行に乗っていた。ゲームのツシマはおろか、元寇の歴史さえもろくに知らないんですけれど…。

 

鳥取駅から因美線(「淫靡」みたいでえっちですねとか5000万回ぐらい考えてた)に乗って津山経由で岡山に着いた。前書いたのは、その途中で書いたやつである。岡山を見て回りたかったが、10分後に山陽本線に乗らないといけなかったので泣く泣く断念した。山陽本線は車両にトイレがついていてたいへん快適だった。その快適さにかまけて、しこたまハイボールを飲んだ。トイレがついていたので私の完全勝利だった。ザマアミロ。しかしながら思わぬところにトラップはあるもので、その快適な車両を実家だと勘違いしたのか、スマホの充電が少ないにもかかわらず列車のなかで電池を食うミリシタを小一時間ほどやっていたので後々深刻なバッテリー不足に悩まされた。

 

20時すぎに博多駅に到着した。13時間の移動である。山口県が広すぎて気が狂うかと思った。大阪→東京で運転してたりすると静岡ゾーンが長すぎて頭がおかしくなるとはよく言うが、これの西日本バージョンは山口県かもしれない。3冊の本をすべて読んでしまっていたので、博多の本屋で追加で2冊買った。無駄に荷物が増えた。電車の中で読めると思ってKindle Unlimitedの体験をしていたのだが、スマホの充電の関係で道中一度も開くことはなかった。

 

博多駅の地下でとんこつラーメンをご機嫌に食べて、博多駅から天神経由で徒歩で博多ふ頭に向かった。思いのほか遠かった。そこから0時発のフェリーに乗って対馬の厳原に向かった。自分以外にほとんど乗客はいなかった。天神の路上に出している屋台はいい感じですね。ああいうフリーダムな感じのって大阪からは淘汰されてしまってるかも。路上解放!!

 

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片道だけで18切符の一日ぶん(2300円)の倍ぐらいかかる。もっと別の使い道もあったのでは???

 

8.2 対馬

朝の4時ぐらいにフェリーから対馬厳原港に放り出された。外は真っ暗で、夜更かしフォロワーがまだTwitterに張り付いているくらいの時間帯だった。死ぬほど揺れる船底のカチカチの床で毛布にくるまっていた直後に遠く離れた離島にぶっ飛ばされた自分と同じ世界に生きているとは思えなかった。

 

そこから歩くのも面倒だったので明るくなるまでターミナルビルのロビーのベンチで寝て、6時ぐらいから適当にそこらへんをぶらついた。自分は島に着いた当初は「いっぱい対馬の自然を見て歩いちゃうぞ~~」「あわよくばツシマヤマネコとか見れちゃうかも~~」などとワクワクしていたのだが、対馬は南北82キロもあるでかい島だということを忘れていたのでそれは完全に机上の空論だった。なんか対馬ってレンタカーがないと観光することができない島らしいですね。それを先に言ってくれ。

 

結局、免許ももっていないしレンタサイクルで観光するほどの気力もなかった私は、地図のような厳原の港町の500メートル四方くらいのエリアの涼しい場所を求めるだけのために対馬に行ったことになる。一匹の亡霊が対馬を徘徊している。げっそりバックパッカーキモオタク(山崎はるかさんが好きです)という亡霊が。およそ古い日本のすべての権力が、この亡霊を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。

 

足湯があるというGoogleマップの情報のもと、まずは右の方にある「漁火公園」に行ってみた。これはちょっとした山の上にあるので登るのだけで一苦労だったが、足湯という極楽のために必死でそれを登った。何度も引き返そうと思ったが、引き返す場所も離島なので存在しなかったからである。結局足湯は昼からだということで朝の7時前なんかには湧いておらず大いに落胆したが、いい感じに海が見える屋根付きベンチがあったのでそこで再び体力が回復するまで仮眠を取ることにした。

 

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天気がそこまでよくなかったのであんまり海っていう感動もなかった

9時か10時ぐらいになってから、観光案内所で涼もうと思って移動を開始した。コインロッカーに荷物を置いて、クーラーの効いた休憩所でストロングゼロを飲んで体力を回復させたのち(レモン系のチューハイを飲んだら爽やかな汗が出ると思っているため)、観光案内所でオススメされた近くの神社や城跡といった観光地を全部無視して、少し離れたところにあるコンビニの「ポプラ」に軽食を買いに行った。最近大阪では見ないですからね、ポプラ。とにかく不気味な何かを感じたな。

 

ポプラ以外に特に寄ろうと思っていたところもなかったので、めちゃめちゃ美味い対馬バーガーというのをビールとともに流し込んでからはゲストハウスに籠もってシャワーを浴びて部屋をクーラーでキンキンに冷やして寝た。気がついたら外は日が暮れかかっていた。私は対馬になにしにきたんだっけ…?

 

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小さな街って感じで居心地はよかった。

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対馬要素がよくわからないが対馬バーガー

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俺の地元に「ポプラ」というコンビニがある。先日、父親の運転で

ゲストハウスで服を洗濯したりYouTubeを見たりしてたらいつの間にか20時になっていたので、どこか飲み屋にでも行って海鮮料理に舌鼓を打とうと思って外に出ることにした。なんせ漁港の街なんだから、美味い刺身などがないはずがない。しかし楽しみだな~とそこで外に出ても、ほとんど開いている店がない。これは大阪や京都の繁華街にばかり飲みに行っているので感覚がそちらに合わせられていたのだが、夜中まで開いている飲み屋というものは大きな都市にしかほとんど存在しないのではなかろうか。

 

しかたなく近くのスーパーで半額のパックの寿司と惣菜を買ってきて、一人でゲストハウスの共有スペースでムシャムシャ食べていた。テレビではポツンと一軒家をやっていたような気がする。完全に実家のような感覚で晩飯を終えて、そのまま部屋に戻って寝た。ゲストハウスにもかかわらず、ほとんど誰とも会うことがなかったのが寂しい。

 

対馬の総評としては、行くのに時間と金が掛かるなという印象はあるが、厳原はのんびりとしていて過ごしやすそうな街だったと思う。ただし対馬といって思い浮かばれるクッソ綺麗な海や自然や歴史的建造物に関しては車やバイクなどの移動手段がなければどうしようもない。のんびりしていて過ごしやすそうな田舎の街は、対馬に限らずわりと津々浦々色んなところにある。

とはいえ、労力をかけてまったく行ったことのない土地に行くという点で対馬はとても良いところであった。次はもっと余裕をもって、観光という目的で行くべきである(今回は対馬に行くこと自体が目的だったので)。

 

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対馬まで来て飯がこれかよ

 

8.3 対馬→長崎

朝8時半ぐらいのフェリーで博多に帰った。そのまま博多でラーメンを食べて列車で長崎へ向かった。長崎には20時前ぐらいに到着した。長崎のゲストハウスから徒歩30秒ぐらいのところにある居酒屋で飲んで寝た。以上。

 

8.4 長崎

まず朝イチで路面電車の一日券を買って大浦天主堂に向かった。私は無神論者なので協会施設に足を踏み入れるのは少し躊躇いがあるのだが、ここはここで歴史的意義があって大変素晴らしいところだった。ここは8時半ぐらいに着いて、次に予約していた軍艦島ツアーの一環の資料館の集合が9時過ぎとかだったのであまりゆっくり見ることができなかった。

 

軍艦島ツアーは、資料館9時すぎ集合でその近くの港で乗船が10時だったので、あまりゆっくり資料を見て回ることができる感じではなかったのが残念である。また、ツアーの説明としては軍艦島をはじめ長崎港にあるグラバーの残した遺物といったものを「日本の近代化に貢献したもの」と紹介して褒めたたえる内容であったように感じるが、そこはイギリスや日本の帝国主義の一翼でしかなかったという側面をあまりにも加味していなかったように思う。軍艦島の資料館などからも、朝鮮人徴用工問題などの記述は一切見られなかった。長崎の観光地化という点でなるべく明るい話題に傾倒したいのであろうが、客観的な歴史的文脈は保存せねばならないのではないだろうか。

 

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軍艦島はなかなか迫力がある島だった。そこから13時半ぐらいに中華街で長崎ちゃんぽん食って14時半に孔子廟へ行き、16時すぎまでグラバー園にいた。こんなに見るところを詰め込んだら一つひとつに割ける時間も足らなかったので、なんだかなあといった感じである。観光旅行に向いていない。グラバー園とかいうブルジョアの住んでた跡地に入るのになんで600円以上も取られないといけないんだよ。革命広場にしろ。

 

その後閉館時刻まで長崎原爆資料館をよく見て、反戦反核の思いをあらためて抱いた。のちに帰阪してから知り合いに「岡まさはる記念長崎平和資料館」という個人でやっている資料館があったらしいということを聞いた。そちらも行けたらよかったなあ。

 

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8.5 長崎→広島

旅行中にもかかわらず、どうしても休めないZoomの授業が13時からあったので、それまでに博多のネカフェに入らねばならなかった。でもハウステンボスは駅からだけ見たかった(水曜どうでしょうが好きなので)ので、わざわざ佐世保ライナーで早岐経由で博多に向かった。そのせいで無駄に時間を使った。昼飯は博多で家系ラーメンを食べた。

 

Zoom授業が長引いて博多を出たのが16時前ぐらいだった。広島で知り合いたちと待ち合わせをしていたのが20時なので、鈍行で行っては(主に広すぎる山口のせいで)間に合わない。というわけで、山口の徳山駅から広島駅まで新幹線をやむなく利用した。行きは1時間半はかかった区間を20分ぐらいで走り抜けてしまったので、なんだか非常に無駄な旅をしているような気になった。 合流したのちは有り難く旅館に泊めさせていただいた。

 

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ちなみに旅行中に撮った自撮りはこれ一枚である

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8.6 広島→大阪

朝から広島市内を見て回った。原爆ドーム前には様々な団体がそろっていた気がする。よく慰霊の日には静かに祈れなどと批判されているが、そういった日だからこそ意味があるのではないだろうか。悲惨な出来事や記憶を忘れずに反戦反核の思いを明らかにする必要があるのだから式典を開いて首相や小中学生といった人たちがアピールをするのであり、そこは官製であろうが有志の市民であろうが集会をする意義は変わらない。静かに鎮魂という気持ちもそれはそれとして分かるが、だからといって黙って祈ることの強制は現状肯定になり得る可能性もあると思う。

 

知り合いたちと解散してからは、広島原爆資料館を見て広島焼を食べてから、列車に乗って岡山に向かった。行きは時間が無くて寄れなかった岡山城を見た。そして大阪駅に無事到着し、梅田のアニメイトでミリマスのCDを買って帰宅した。

 

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解放派。すごい

 

総括

またやりて~~~~~~~~~~

 

<参考(だいたい)>

18切符+新幹線の総距離数 1825キロ

18切符+新幹線の総乗車時間 41時間

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