yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

8.2~8.10 東北・北海道

どこに行ったか忘れそうなので。大部分がTwitterの転載に近いです。

 

8.2 京都→白川郷→富山

・9時くらいの新快速に乗って岐阜方面へ向かう。GWに岐阜へ行き、岐阜駅前や本巣市の方面にかけて「安達としまむら」の聖地巡礼的なものを済ませて以来なので、おおよそ3ヶ月ぶりである。

・岐阜駅で降りて適当にそのへんのドラッグストアで買ったパンを食べて、高山本線で北上する。ロングシートしかなかったので劣っている。飛騨高山というと旅情をかきたてられるものだと思っていたが、電車に乗っていてもそれほど感じられるものではなかった。あと列車の一番前でずっとウロウロしながら写真を撮る鉄宅には辟易とした。

下呂で降りて特急に乗り換える(鈍行で行ってたら白川郷行きのバスに間に合わないので)。下呂駅にいた駅員の態度がずいぶんと尊大だったのに少し腹が立った。乗ったのは「ワイドビューひだ」だったと思うが、さっきまでのロングシートと違ってとても乗り心地がよかったので、今後は特急で移動したいと痛感した。

・15:07に高山駅に着き、15:15の白川郷行きの高速バスに乗り換える。これを逃したらもうバスはないと恐れていたが無事乗車できた。乗客は我々2名しかいなかったことから、そもそも公共交通機関では行くようなところでないことがわかる。

f:id:yk_t:20210811112846j:plain

・1時間ほどして山に囲まれた秘境とも言える白川郷に到着する。同行した友人とともに「ひぐらしのなく頃に」のファンなので、始終その話ばかりしながら探索していた(新作アニメの圭一があまりにもタフネスすぎる話など)。着いた時刻が遅かったこともあり(でも京都から一番早い電車に乗っても16時になるんだよなァ)、ほぼ店などは開いておらず有料エリアにも入れなかったので、また日を改めて行ってみたい。飛騨牛コロッケを食わせろ。

f:id:yk_t:20210811113648j:plain

f:id:yk_t:20210811113805p:plain

梨花ちゃまと沙都子が住んでる家のモデル

f:id:yk_t:20210811113931p:plain

鉄平の家はちょっと笑ってしまった

f:id:yk_t:20210811114031p:plain

「嘘だッ!」のところは多分このへんだと思われる

・↑下3枚は1枚目の展望台に上る坂の麓部分に集中していた。アニメの距離感がバグるぞ。あとは古手神社のモデルになっている「白川八幡神社」にも行った。おたくの絵馬がいっぱいあったわね。

 ・あとは適当に蜘蛛の巣だらけのトンネルを歩いたりコンビニに行ったりしながら過ごし、20時前にバスで再び高山駅へ向かった。滞在時間は3時間ほどだが、暗くなると本当に見る場所もなく時間を持て余してしまう。バスは当然のように乗客は我々しかいなかった。またもやギリギリに電車に乗り、ロングシートにイライラしながら富山駅へ向かった。

・富山は去年の12月に来たので8ヵ月ぶりくらいだった。富山はほぼ電車が三セク化されておりJR限定の18切符を使うと袋小路になっているので、夜行バスで新宿まで移動する。疲れておりよく眠れた(睡眠薬飲んだが)。

 

8.3 富山→東京→仙台

・6時半にバスタ新宿に到着し、そんな時刻から東京に住む友人の家に押し掛けるも拒絶されたので秋葉原へ向かう。それが9時過ぎとかで当然ながら店も開いていないので、神田を経て浅草まで徒歩で移動。せっかくだから秋葉原や神保町で色々な店を見て回ればよかったのだが、なんだか虚脱感でなにもかもどうでもよくなっており、テンションがとても低かった。

・2~3時間ほど歩いたのちに浅草寺で知人と別れ、山谷をちょっと歩いてから南千住駅から電車に乗る。しかし軽くしか見ることはできなかったので、今後山谷や渋谷の野宿者運動に参加することがあればそのときにじっくり考えてみようと思う。 

f:id:yk_t:20210811121104j:plain

・1時間半ほど電車に揺られて栃木の小山で乗り換えで降りると、ちょうど近くにラーメンの山岡家がありそうだったので徒歩で移動。京都の人間だから山岡家は知らないんだよな。うまかったが魂心家に近い味だったような気がした。あと地味に駅から遠い。とても日焼けした。

・小山から6時間弱ほど電車に乗り、23時半に仙台に到着する。この道中もずっと固い座席のロングシートで腰が痛かった。仙台駅から近いカプセルホテルに泊まった。

f:id:yk_t:20210811122121p:plain

この日でバスで380キロと電車で357キロの移動だった

 

8.4 仙台→双葉町

すき家で飯を食ったりゲーセンで時間をつぶしたりしたのちに、常磐線で仙台から双葉まで移動する。東北に行ったならば一度は福島第一原発周辺の街並みを見ておきたかったためである。またここに関しては別で思い出しながら文章に起こすなどをしたい。

・12時半くらいに双葉駅に着く。2020年3月の常磐線全線開通に合わせて、この後向かう大野・夜ノ森駅とともに新駅舎が建設されたようで、駅周辺の施設やその目の前にあるロータリーだけは綺麗だった。3月にはこのロータリーでオリンピックの聖火リレーまで開催されたというのだから、駅周辺だけでも復興したというていに見せたい威信が見て取れる。

・散策しながら周辺の街並みを見て回る。レンタサイクルがあると聞いたのに借りられなかった。双葉駅周辺は「特定復興再生拠点区域」として制限なく自由に歩けるが、そこから500メートルも離れたところは放射性物質の中間貯蔵施設が広大な面積を占めている。よって駅以南に行こうものならフェンスに通行が阻まれるし、そもそもそこに居住している人はいない。

・失礼な言い方になるが、双葉駅周辺は震災のときに荒廃したままずっと時を止めている。あるのは半壊した家屋か、すでに解体されて更地になった雑草だらけの空間だけである。解体工事をしている作業員のほかは道行く人もいない。(大野・夜ノ森駅周辺と違って)一般市民でも市街に足を運べることからおそらく除染作業は完了しているのではないかと思うが、「復興」と呼ぶにはあまりにも遠すぎる姿だ。

 ・駅から2キロほど離れたところにある「東日本大震災原子力災害伝承館」も行った。ここは原発災害の復興の資料を保存・展示する施設で、周辺の街の近代以降の歴史を福島第一原発に焦点をあてて解説するなどをしている。

f:id:yk_t:20210823094431j:plain

f:id:yk_t:20210823095824j:plain

ここから先は中間貯蔵施設となっている。よく見ると奥に放射性廃棄物の黒い袋が大量に置かれている

f:id:yk_t:20210823095953p:plain

緑色で囲った範囲はすべて中間貯蔵施設でフェンスに囲まれており、一般人は出入りできない

・次に福島第一原発に最も近い(5キロぐらい)大野駅に向かう。この周辺は帰宅困難区域に指定されているため、一部の道路を除いて全域がフェンスに囲まれておりどこにも出入りできなかった。駅から出て1分くらいのところはすでに道路が止められており、原発に接近することも周辺を散策することも不可能である。復興どころか街全体がフェンスに囲まれている大野駅周辺に人が住むようになるのはまだまだ先であろう。

・その後は双葉駅の次にある浪江駅の周辺にあるビジネスホテルに泊まった。浪江駅周辺には普通に人が住んでいる。近くのイオンで買ったチキン南蛮弁当を酒で流し込んで眠った。

 

8.5 浪江町→横手

・朝起きて大野駅の次にある夜ノ森駅へ向かう。「未確認で進行形」の主人公の苗字が夜ノ森ぢゃんなどと考えて勝手に喜んでいたのだが、どうやらWikiPediaによると作者がいわき市に在住でキャラの苗字は福島県浜通りの地名から取っているらしい(そういや大野とか桃内とかそうだったナ)。


www.youtube.com

夜ノ森駅大野駅と同様に、駅の目の前からフェンスに覆われていた。通行可能な道路を残して街のほとんどすべての区画が震災当時のままの姿を残しているのは心苦しい景色である。これまた双葉駅と同様に新しい駅舎に建て替わった夜ノ森駅とは対照的な様子がよくわかる街だ。

・と思いきや、線路の反対側は帰還困難区域から外れているようで、普通に民家に住んだり雑草除去の作業をしていたりする人が見られた。確かに除染作業は終わって家屋も建て替えてあるのだろうが、線路を挟んでこうも景色が変わるものかと唖然としたものである。福島第一原発から10キロも離れていない街で、各所に設置されている空間放射線量の装置を見ても一応は基準値を下回っているが、いやはや…。

f:id:yk_t:20210823112455j:plain

f:id:yk_t:20210823114256j:plain

環境省の基準値は0.23μSv/h

f:id:yk_t:20210823115700j:plain

f:id:yk_t:20210823115731j:plain

・繰り返すようだが、この2つは100メートルも離れていないどころか線路を挟んでいるだけである。この違いはなんなのだ。

・その後はいわき駅まで南下して磐越東線に乗って郡山へ、そこから磐越西線に乗り換えて会津若松から新潟方面に抜けるか、福島を経由して奥羽本線で山形方面へ抜けるかと考えていた。しかし踏切か信号のトラブルで磐越東線が止まっていたため、仕方なくいわきから常磐線で引き返して仙台、小牛田を経て陸羽東線に乗ることにした。最終的に新庄まで来た乗客は私しかいなかった。

・19時過ぎに着いた新庄で、乗り換えに時間もあるので飲み屋でも行こうと思って近くにある「丹波黒どり農場」に入った。これまでスーパーかコンビニでしか飲食物を買っていなかったので、4日目にして初のちゃんとした飲み屋である。なんで出羽まで来て丹波のモノを食べてるのかと思ったがまあよいだろう。

・その後は奥羽本線で横手まで出て快活に泊まった。

f:id:yk_t:20210823121630p:plain

約400キロってことは東京から仙台より長いんだな


8.6 横手→青森

・快活を例によって7時間59分で退店して一番最初に乗れそうな電車が北上線だったのでそれに乗る。当初は秋田から大館の方に行くつもりだったのだが、駅で待つのが面倒になったためである。北上線は一日の乗降客数が120~30人程度で、ほとんど乗っている人はいなかったのではないか。

f:id:yk_t:20210823123818p:plain

なんでわざわざこんな遠回りしたんだろう

盛岡駅前のラウンドワンで時間を潰したりなんか盛岡城跡に行ったりしたのちに弘前へと移動する。太宰治津軽』を読んで以来、弘前には行ってみたかったのである。弘前城から岩木山を見たり太宰が弘前で住んでいた旧家に行ったりした。弘前市は人口18万人に満たない規模だが、駅前や商店街はなかなかに栄えていた。願わくば大鰐温泉などでゆっくりと過ごしながらもう一度行きたい街である。

・2時間半程度弘前巡検してから青森へと向かう。青森駅からほど近い場所にある、ウィークリー翔系列のホテルに泊まった。一泊2000円と安いのだが、チェックイン時刻があまりにも早いのがネックだ。Wi-Fiもなく薄暗い部屋で吉野家の牛丼を缶チューハイ3本で流し込んで寝た。

 

8.7 青森

・せっかくだから五所川原や金木の方面へ行こうと思っていたが、朝起きてから虚脱感が酷くなにもする気が起きなかったので、昼前までホテルで酒を飲みながらミリマスのドラマCDを聞くなどの行為をしていた。

・散歩がてらamazarashi『空に歌えば』のMVのロケ地になっている公園に行ったり、青函連絡船のメモリアルシップに入ったりした。青森に来たのはamazarashiが好きだからという点が多い(むしろそれくらいしかない)。昼間から海鮮丼をサッポロビールで頂き、そのままホテルで二度寝した。以前に和倉温泉で食べた海鮮丼は大したことなかったが、青森で食べる海鮮丼は今まで食べたなかで一番美味しかった。とても幸せになった。

・それからたまにコンビニに酒を買いに行ったり吉野家に行ったりしてさっさとホテルで寝た。駅前に安いスーパーがないのはいかがなものか。


www.youtube.com

f:id:yk_t:20210823135625j:plain

f:id:yk_t:20210823135707j:plain

f:id:yk_t:20210823135745p:plain

ここのところ数百キロの移動をしていたのにこの日は2キロぐらいしか歩いてない

 

8.8 青森→むつ→竜飛岬→函館

・とりあえずamazarashiが好きなものとしてむつ市には足を運んでおきたかったので始発に乗って向かった。そういえば青森駅には自動改札があったな(鳥取駅や徳島駅は見習え)。大湊に関しては特筆すべきことはなかったが、次に行くときは恐山や大間の方に抜けるために車が欲しいところである。また原発や核燃料の再処理施設がある六ヶ所村にも行ってみたかったが、あまりにも遠かったので諦める。

・次に一度は竜飛岬にも行っておきたかったので、大湊から青森に引き返して津軽線三厩まで北上する。三厩は一日5本しか列車がないので、遅れたら取り返しのつかないことになる土地である。

三厩駅から竜飛岬までの約13キロはコミュニティバスが出ており、片道100円という破格の値段で乗れる。よく晴れており海と空の青いコントラストが綺麗で、海の向こうに北海道や下北半島も見ることができ、ようやく観光らしい観光のような気がした。太宰治の文学碑も見ることができたし。

・竜飛岬からは再び青森駅へ戻り、快活で汗を流してから23時半発の函館行きフェリーに乗った。学割で1700円ぐらいだったので大変お得。

f:id:yk_t:20210823143114j:plain

f:id:yk_t:20210823144159j:plain

f:id:yk_t:20210823143308j:plain

手前にあるのは違憲軍の警備所で、かつて日帝の要塞があった。せっかく綺麗な海を見たかったのに興ざめである。

f:id:yk_t:20210823143552j:plain

f:id:yk_t:20210823143633j:plain

f:id:yk_t:20210823143815j:plain

階段国道」と呼ばれる国道339号

 

8.9 函館→札幌

・3時半くらいに函館に着く。8月だというのに北海道は想像以上に寒かった。フェリーターミナルから函館市街まで4キロほど歩き(道中はじめてセイコーマートを見た)、函館の朝市に行く。500円でわりとしっかりしたカニ丼が食べられたので大変優れている。函館はどことなく長崎や神戸に街並みが似ていたように思う。曇っていたので函館山には登らず、また気力もなかったので立待岬にも行かなかった。

・次に路面電車五稜郭へ向かう。ゴールデンカムイでちょうど五稜郭に立てこもるシーンを読んだところだったので大変趣深かった。五稜郭の中はこれといってなにもない空間に函館奉行所があるのみで、横の展望タワーから見る方が壮大である。

・函館奉行所のなかの歴史展示物は函館戦争をどちらかというと新政府側に立って説明しているのに対し、展望タワーの中の展示は旧幕府軍を擁護する立場であるような印象を受けたのが面白かった。土方歳三の像とかも置いてたし。 

・11時に北海道の玄関口たる函館駅(青函トンネルがあるいまはその役割もあまり果たしてないが)に戻って長万部に向かう列車に乗る。北海道まで来ると東北ではあまり見なかった鉄宅が多く、やけにカメラを構える姿を見たためあまりよい気分がしなかった。北海道の列車は暖房のためかデッキつき二重扉になっているが、走行中に開け閉めして写真を撮るなどはしないで欲しいものである。

・鉄宅に対する怒りは長万部駅で頂点に達した。別になにかされたというわけではないのだが、室蘭経由で札幌に行く電車が来たタイミングで我先にと改札に向かう鉄宅20人ほどを見て同じ車両に乗っていられるものかと弾け飛んだ。

・その列車は見送ることにして、小雨が降るなかセイコーマートに酒を買いに行く。追加で1時間ほど長万部駅で飲酒しながら小樽行きの列車を待った。小樽には3時間ほど座りっぱなしのうえスマホの充電も少なく、日が暮れてろくに景色も見れないまま(そもそもあまり景色を楽しむタイプではない)鉄宅に対する怒りを沸々と湧き上がらせながら乗車していた。

・小樽は小林多喜二の故郷でもあり巡検したかったのだが、夜に雨のなか宿を求めて歩くのも面倒だったのでそのまま札幌へ向かった。次は小樽もちゃんと行きたい。札幌ではアパホテルに泊まり、飲み屋でも行きたかったが「まん防」で飲食店が軒並み閉まっていたので(すすきのは結構営業していたようだが…)、札幌駅前通松屋でテイクアウトを頼んで缶チューハイを煽り眠った。

 

8.10 札幌→大阪

・起きたら9時半を過ぎていたのでホテルの朝食が食べられなかった。適当に周辺を散策して二条市場で海鮮丼を食べた。これまた肉厚でとてもうまい。

・その後は「水曜どうでしょう」の聖地でもある、旧HTB社宅とその横にある平岸高台公園に行った。やはりここも味わい深い。

・札幌駅周辺でゲームセンターに行ったりラーメンを食べたりして、繁華街で時間をつぶしながら飛行機の時間まで過ごそうとしていたが、いざというタイミングで札幌→新千歳空港の電車が大雨の影響で止まっていたため急いでバスの行列に並んだ。これがなければより札幌周辺でだらだらと過ごせたに違いない。

・その結果思ったより早く新千歳空港に着いてしまったので空港でビールを飲むなどして適当に時間を潰した。また乗る予定だったジェットスターの便も1時間ほど遅れていた。この日からむつ市や函館は大雨に見舞われていたので、あと1~2日日程が遅ければ大変な目に遭っていたことだろう。

f:id:yk_t:20210823153614j:plain

f:id:yk_t:20210823153626j:plain

f:id:yk_t:20210823153638j:plain