yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

まぼろし博覧会・怪しい少年少女博物館を訪ねて

先日、静岡県伊東市にある「まぼろし博覧会」と「怪しい少年少女博物館」を訪れた。両施設はいわゆるB級珍スポットとして一部の界隈では知られており、筆者自身も機会があれば行ってみたいと長らく思っていた場所だった。

両施設は出版社のデータハウスが運営している。データハウスは1980年代からタブー志向の書籍を刊行し、90年代には『危ない1号』などのムック本を通じて、死体・ドラッグ・性・身体改造・カルトといった、当時の一般的な出版物が扱いにくかった題材を一つの誌面に集約した出版社である。

あらかじめ断っておきたいのは、本稿は展示品の内容そのものを問題視するものではないということだ。悪趣味・グロテスク・猥雑なものを無秩序に陳列することこそが本施設の存在理由であり、そうした不謹慎なものを見てみたいという欲望自体を否定するつもりはない。むしろ筆者はその欲望を共有してこの場所を訪れた一人である。しかし実際に足を運んでみると、想像していたより大したことがなく、端的に言って白けてしまった。以下では、なぜそのように白けたのかについて考えてみたい。

 

 

展示品の脱文脈化

まず気になったのは、展示品が徹底して脱文脈化されていることである。両施設は自らを「昭和レトロ」と称しており、実際に昭和期のものを中心に収集している。戦争関連の展示品、ストリップ劇場など性風俗にまつわるもの、剥製や人形、古いゲームやポスター、そして学生運動関連の展示品が、区別なく乱雑に同じ空間に並べられている。

たとえば学生運動の展示について。会場に置かれたゲバヘルはあくまでもレプリカであり、配布されているアジビラもコピー機で複製されたものにすぎない。館長は、学生運動の立て看板やゲバヘルの文字について、当時の活動家たちはペイントに不慣れで字が下手だったが、その拙さにこそエネルギーが宿っていると説明している(※1)。

この発言は象徴的である。ゲバヘルに書かれた文字は、本来は国家権力による弾圧下の学生運動とその後に続く陰惨な内ゲバという具体的な政治的緊張のなかで書かれたものであった。しかしここでは、その政治性は捨象され、字の下手さやゲバヘルという特異なアイテムの内包するエネルギーという要素だけが取り出され、賞賛されている。

筆者がこの学生運動の展示に特に注目したのは、左翼運動史について多少の知識を持っているからだが、ここでは学生運動の歴史がただ回顧の対象として並べられ、「昭和レトロ」を表現するための一つの記号として消費されているだけだと感じた。おそらく他の展示物についても、それぞれの領域に知識のある人が見れば、同様の感想を抱くのではないだろうか。

こうした配置によって、弾圧された学生運動、性産業における搾取の構造、戦争の加害と被害など、長い昭和という時代の中にあったはずの異なる文脈や歴史が、「レトロ」「カオス」という一つの感覚に回収され、それぞれの政治性・加害性・被害性が均されてしまう。これは単なる展示の乱雑さではなく、脱政治化することによって記憶を無害化する装置として機能していると言える。

 

90年代サブカルチャーとの接続

この脱政治化を理解するには、90年代サブカルチャーとデータハウスが果たした役割を補助線として考える必要がある。ただし筆者は2000年生まれであり、当時の空気を直接知っているわけではなく、またことさらにサブカルチャー論について明るいわけでもないので、あくまで図式の整理として述べる。

データハウスが果たした役割は次のように整理できる。第一に、社会の周縁にある事象や言説を「発見」したこと。第二に、それらを「悪趣味」「鬼畜」「危ない」というカテゴリーで再編集し、商業誌として出版したこと。第三に、書店やイベント、今日のような観光的空間で消費可能なコンテンツへと変換したことである。こうして「悪趣味」は個々の異常性の集合であることをやめ、「悪趣味であること」自体を消費する一つの文化的ポーズになった。ここで起きていたのは、反商業的な外観やタブー性そのものを、商業出版という回路に乗せて売るという構造である。

データハウスの出版物が反商業的な外観を商業出版という回路に乗せて売るという構造を持っていたのと同じように、「まぼろし博覧会」や「怪しい少年少女博物館」もまた、かつての逸脱やタブーを入場料を払って体験する観光商品へと変換する装置になっている。子ども料金まで設定されていることを見ると、これらの展示物は親子連れの観光客もウェルカムであると判断できる。

この子ども料金の設定は、単に商業的な間口を広げるだけの措置ではない。そもそも会場には、性風俗関連の展示や生々しいラブドールなど、実際には子ども向けとは判断しがたいものも少なくない。それでも子ども料金が設定され、親同伴であれば来場が想定されているという事実は、内容の是非を親の価値判断に委ねることで、施設側が展示内容そのものへの説明責任を回避できる構造になっていることを意味する。子どもは困惑しながらも、あるいは無邪気に面白がりながらも、大人がその場を通り過ぎる姿を見ることで、目の前の展示を「特に立ち止まって考える必要のないもの」として学習する。無害化は、こうして家族連れの来場という形式を通じ、世代を超えて再生産されていく。

筆者がこの空間に白けた理由は、展示物そのものにあるのではなく、逸脱や反抗の身振りが商品として再流通する回路そのものにあると考えられる。入場料さえ払えば誰でも、家族連れでも安全に消費できる形式に整えられたとき、逸脱や反抗の摩擦はあらかじめ取り除かれてしまう。逸脱の見た目だけが残り、社会的な軋轢や危険性は商品化の過程で丁寧に漂白される。筆者が感じた白けとは、この漂白がすでに完了したあとの、いわば残りもののような感触だったのではないかと思う。

 

「選ばない」という自己矛盾

館長は田原総一朗との対談のなかで、展示品を選別しない方針についても語っている。いわく、生モノや法に触れるもの、弱者を差別するもの、危険なもの以外、集めたものすべてを展示しており、目についたものをできるだけ現実世界にそのままの状態で持ち込んでいるのだという。選別すれば偏りが生まれ、特定の関心を持つ人以外には退屈なものになってしまう、というのがその理由である(※2)。

一見すると、これは中立的で謙虚な姿勢に思える。何かを「時代の代表」として権威づけることを避け、雑多なものをそのまま提示するという発想である。しかし、「選ばない」こと自体が、極めて強い編集方針であることを見落としてはならない。「弱者を差別するもの以外は展示する」という基準は、裏を返せば、何が「差別」であり何がそうでないかという線引きを、館長が単独で行っているということである。

素直に解釈すれば、ストリップ劇場やラブドールに内在する性的搾取の構造は、この基準のもとでは「差別」として除外される対象にならなかったということになる。「選ばない」という自己規定は、実際には暗黙の選別を不可視化する語りであり、その不可視化によって、政治的・歴史的な検討抜きに展示が正当化されている。

さらに言えば、「選ばない」という主張そのものが、より根本的な矛盾を抱えている。学生運動の熱や性風俗の猥雑さ、大衆娯楽の粗雑さなど、社会の周縁にあった雑多なものは、それぞれ異なる文脈のなかで混じりあいながら、制御しきれないエネルギーとして存在していたはずである。しかしそれを「選ばずに」一つの施設へ集め、「キモ可愛い楽園」として一つのブランドのもとに束ねること自体が、すでに強力なキュレーションにほかならない。

「選ばない」と言いながら、社会にあった本来のカオスを、パッケージ化された疑似的なカオスへと編集し直している。無選別を装うことによって、選別という行為そのものへの批判をあらかじめ免れる。この構造こそが、「選ばない」という語りの自己矛盾である。

 

「サブカル」的消費の言説

評論家の佐々木敦は、「サブカルチャー」という語が「サブカル」へと省略される過程を、単なる略称の変化としてではなく、過去や歴史への態度そのものの変化として論じている。前者にはカウンターカルチャーとしての性格や、過去の文化への一定の敬意や憧憬が残っていたのに対し、後者の「サブカル」は、「面白いか」「ネタになるか」「使えるか」という即物的な視線で、文化を無差別にサンプリングする傾向を強く持つとされる(※3)。

この施設の館長は、展示を「サブカル」ではなく「現実社会をテーマにしている、これ以上ないほどのメインカルチャー」だと自己規定している(※4)。しかしこの語りは、展示品を昭和庶民のメインカルチャーとして一括することで、いったい誰の生活文化なのか、誰がそこから排除されてきたのかを曖昧にしている。それぞれの展示品が内在している差別性や加害の歴史は、文脈が切り取られることによって、そもそも問われる機会を失っているのではないか。

ここに大きなズレがある。あくまでも外部の観客やメディアは、90年代的な「悪趣味」「B級」「サブカル」というカテゴリーでこの施設を消費する。一方で運営側は、それを「庶民文化」「生活文化」の保存だと位置づける。この施設は、90年代サブカルの「悪趣味」「露悪」「珍奇」という志向を観光地の商品へと変換し、本来はまったく異なる歴史を持つものを「カオス」という一つの様式へと統合している。実際、SNSやYouTube上の反応を見ても「精神崩壊」「ヤバすぎる」といった言葉が目立ち、こうした言説自体が、この施設をさらに消費可能なコンテンツへと押し上げている。

そこで語られているのは多くの場合、個々の展示品が持つ歴史や背景ではなく、「どれだけ驚いたか」「どれだけ映えたか」という反応の強度でしかない。ここでは、展示物が何であるかよりも、それを見た自分がどれだけ強いリアクションを取れたかが優先される。極端に言えば、対象が学生運動のゲバヘルであろうと巨大な招き猫であろうと、「精神崩壊した」という一言に置き換えられてしまえば、両者の違いはほとんど問題にされない。アテンションさえ獲得できれば、その中身が何であるかは二の次でよいという消費の論理が働いている。

これは展示を「メインカルチャー」と位置づけたこととも矛盾する。もし本当にこれが誰かの生きた「文化」であるならば、その文化を経てきた人々の経験や葛藤、加害と被害の記憶が、消費の過程で問われてしかるべきだろう。しかし実際にネット上で流通しているのは、文化の中身ではなく、驚きのリアクションを生成するための素材としての展示物にすぎない。「文化」を掲げながら、その受容のされ方は単なる刺激の供給と消費の往復に留まっている。「メインカルチャー」という自己規定と、実際にこの施設が消費されている様式とのあいだには、大きな断絶がある。この施設が「文化」の名のもとに提供しているのは、実のところ文化のように見える形をした、ドーパミン的刺激の集積のように感じる。

 

用意される「お祭り」

館長は、来場者に「楽しい気分になってもらうため」に、祭囃子のBGMまで動員していると語っている。展示のテーマは「お祭り」だという(※2)。たしかにここは祭りなのだろう。ただし、それは誰の記憶も傷つけない、あらかじめ無害化された祭りである。学生運動のゲバヘルも、戦争の遺物も、性風俗の看板も、同じ神輿に乗せられ、同じ笛と太鼓で練り歩かされる。祭りとは本来、共同体の緊張や矛盾を一時的に発散させる装置だったはずだが、ここでの「お祭り」は、緊張そのものをあらかじめ取り除いたうえで演出される、極めて安心安全な祝祭の空間である。

こうした消費のされ方こそが「サブカル」だとするのであれば、やはりこの空間そのものがまさに「サブカル」を体現していると言えるだろう。別にそれが必ずしも悪いわけではない。この場所を楽しいと感じ、写真を撮り、SNSに投稿する人がいることもまた事実であり、その欲望を頭ごなしに否定したいわけでもない。

そして白けたと言いながらも、筆者自身は結局のところ入館料を払い、館長との記念写真を撮り、グッズ売り場をひやかして帰ってきた。逸脱や反抗の身振りが商品として再流通する回路を批判するこの原稿もまた、その回路の外側に立っているわけではない。むしろ施設の話題性に便乗し、一つのブログ記事として消費されるべく書いている点で、筆者自身もまた、この用意された「お祭り」の神輿を別の形で担いでいるにすぎないのだろう。

 

参考文献

※1 「田原総一朗、「キモ可愛い楽園」まぼろし博覧会を訪れる」(ダイヤモンド・オンライン) https://diamond.jp/articles/-/339014

※2 「「カオスを体験し、現実の世界で常識をぶち壊せ!」田原総一朗と「まぼろし博覧会」セーラちゃんがカオス対談」(ダイヤモンド・オンライン)  https://diamond.jp/articles/-/339015

※3 「サブカルチャーが「サブカル」になるとき|佐々木敦『90年代論』第7回」 (光文社新書) https://shinsho.kobunsha.com/n/ne65badbf3709

※4 「説明不可能、説明不要。伊豆の珍奇スポット『まぼろし博覧会』へようこそ!」(BRUTUS)  https://brutus.jp/post-116811/

 

 

アイデンティティとしての「大阪人」について

最近、色々な地域の人と話すことが増えている。様々な人間関係では、関西圏の外で生きてきた人々と接する機会が明らかに多い。また、卒業後は東京で就職することを考えるようになったこともあり、自分がこれからどのような場所で、どのような人間として生きていくのかという問いが現実的なものとして迫ってきている。そうした状況のなかで、自分の中にある「大阪人」というアイデンティティについて考えることが多くなった。

私は25歳のシス男性であり、生まれも育ちも大阪である。この事実は単なるプロフィールの一部ではなく、日常の感覚や振る舞い、他者との関係の取り方に深く影響しているように思う。ただし、その影響は常に意識されているわけではなく、むしろ普段は透明なものとして存在している。

私は大阪と京都のどちらの文化圏でもそれなりに生きてきた。大学は京都に進学し、数年間をそこで過ごした。しかし私は京都の学生文化には最後までなじめなかったし、いまでもあまり好きではない。何が合わなかったのかを言語化するのは難しいが、コミュニケーションの距離感や空気の読み方、あるいは文化の違いのようなものに、常にわずかな違和感があったように思う。大学院で大阪に進学し、再び大阪を拠点に生活するようになったとき、自分のホームタウンは大阪であるとあらためて気づかされた。それは単なる地理的な帰属ではなく、身体的なレベルでの安心感に近いものだった。

私は非関西出身の人と話すときには「標準語」(あえてこの言い方をさせてもらう)を使うことが多い。そのときに「大阪出身なのにほとんど関西弁が出ないね」と言われることも多い。だがそれは意識的に抑えているわけではなく、自然とそうなっているだけであり、そこに苦痛や葛藤はほとんどない。相手との円滑なコミュニケーションのなかで自然に選択されている言語形式である。

たまに私が大阪弁を使うとき、それを喜んでくれる知り合いも多い。日常会話のなかで「なおす」や「ほかす」といった言葉が出ると、「やっぱり大阪なんだ」といった反応が返ってくることがある。また「気にせずに使ってくれて大丈夫」と言われることもある。しかし、その言葉にはどこか、「本来はそうであるべきだ」という期待が含まれているようにも感じられる。

私は「無理して」大阪弁を抑えているわけではない。「標準語」で話すことは自然なことであり、そこに不自由さはない。むしろ、自分のなかではどちらも等しく自分の言語であるという感覚がある。その背景には、家庭環境の影響もあるのかもしれない。私を育ててくれた人は大阪出身でありながら、あまり「大阪人」性を好まない人だったため、家の中で強い大阪弁が使われることは少なかった。

一方、関西出身者と話しているときには自然と大阪弁で話していることが多い。そのときには、言語だけでなく感覚のレベルでの同調が生まれ、同胞意識のようなものを感じる。そのとき、相手に対してより親しみを覚えている自分がいる。そして大阪のローカルな話をすることも好きである。繁華街や商店街、在阪テレビのCMから、地元のパン屋や公園まで、きわめて具体的で細部にわたる話題を共有できることに楽しさを感じる。それらは全国的な共通話題ではないが、だからこそ強い親密さを生み出す。

このように見ていくと、私にとっての「大阪人」性とは、常に表に出ている固定的な属性というよりも、特定の状況や関係性のなかで立ち上がる感覚のようなものなのかもしれない。言語の選択や話題の共有、相手との距離感によって、それは強くなったり弱くなったりする。アイデンティティとは内面に閉じた本質ではなく、むしろ他者との関係のなかで生成されるものなのだとすれば、「大阪人」であることもまた、そのような動的な性質を持っているのだろう。

また、酔っぱらったときや人に暴言を吐くとき、たとえば職質してくる警察やぶつかりおじさんなどに対して強い苛立ちを感じたときには、大阪弁が出ることが多い。普段よりも語気が強くなり、言葉が直接的になる。感情の表出とともに、より粗い言語が前景化する。

要素だけを取り出せば、これは「大阪弁の有害な男性的コミュニケーション」の様式として解釈されるかもしれない。実際、攻撃性や威圧性と結びついた言語使用であることは否定できないし、そこには明確な問題がある。とりわけ、強い言葉を投げつけることが「ノリ」や「勢い」として許容されてしまう環境では、それを受け取る側の痛みや不快感が軽視されやすい。さらに、その場にいる他者もまた、そのやり取りを笑いとして処理することで、暴力性が可視化されにくくなる。結果として、言語的な攻撃が関係性のなかに埋め込まれ、批判されることなく再生産されていく構造が生まれているように思う。

だが同時に、それは大阪という土地と文化固有の事情とも関係しているのではないか。つまり、単に個人の資質として切り離してしまうのではなく、コミュニケーションの様式そのものとして捉える必要があるのではないかと思う。大阪においては、強い言葉やツッコミ、イジりが、攻撃性と親密さの両義的な性格を持ちながら機能している。その曖昧さこそが、この文化の特徴なのかもしれない。

私は小学生のとき、吉本新喜劇が好きだった。しかし当時から、女性の容姿を揶揄して笑いを取るような場面には不快感を覚えていた。なぜそれが笑いとして成立するのか、うまく説明はできなかったが、どこか引っかかるものがあった。実際、大阪ではこうしたコミュニケーションが日常的に存在しているからこそ、それがフィクションとしてのお笑いに反映されているのだろう。そしてそのことにあまり気づかずに生きていられるのも、自分がシス男性であるからにほかならない。

私は普段ほとんどお笑いを見ないため詳しくは知らないが、吉本興業が非常に男性中心的で有害な構造を持っていることは疑いようがない。ダウンタウン松本の話はあまりにも象徴的だが、権力関係やジェンダー不均衡の問題は、個別のスキャンダルにとどまらず構造的に存在しているのだと思う。

だがそれは、私が例外的にお笑いが好きではない大阪人であることを意味しない。むしろ私は笑いに対しては敏感である。問題だと感じているのは、笑いそのものではなく、それがどのような形で成立しているのかという点である。人を傷つけずに成立する笑いもあれば、誰かを踏み台にすることでしか成立しない笑いもある。私はその違いに無自覚でいることが難しくなってしまっただけであり、だからといって笑いを拒絶しているわけではない。

非大阪出身者には理解されにくいが、大阪では「つまんない」「おもんない」という言葉は人格否定に等しい重みを持つことがある。軽く言われたとしても、それは関係性の断絶を示唆するほどの強い言葉として受け取られることがある。というのも、大阪において「おもしろさ」は単なる娯楽的な価値ではなく、その人が場にどのように関わるか、他者とどのような関係を築けるかを測る一種の指標として機能しているからである。

したがって、「おもんない」という評価は、単に話の内容が退屈だという意味にとどまらず、「この場にうまく参与できていない」「関係性を成立させる能力が欠けている」といった、より根源的な否定として響くことがある。とりわけ、それが親しくない相手から発せられた場合、その言葉は冗談として回収される余地を持たず、むき出しの拒絶として受け取られる可能性が高い。

さらに厄介なのは、この評価が明示的に言語化される場合だけでなく、沈黙や反応の薄さといったかたちでも示されうることである。つまり、「笑いが起きない」という事態そのものが、暗黙の「おもんない」という評価として機能する。そのため、人は無意識のうちに、場に適応するための「おもしろさ」を演じることを求められる。こうした環境のなかで、「おもろい/おもんない」という軸は、人間関係のなかで非常に強い規範として作用している。そしてそれはしばしば、誰が場の中心にいられるのか、誰が周縁に追いやられるのかを決定する基準にもなっているように思える。

そして会話にはオチをつけるべきであり、合間に笑いを挟むべきだという感覚もある。話はただ情報を伝えればいいのではなく、ある程度の起伏や着地が求められる。極端に言えば、「で、結局何がおもろいねん」という無言の圧力が常に背後にあるような感覚である。だからこそ、ちょっとした言い回しやタイミング、間の取り方にまで気を配ることになる。

実際、私は就職活動の面接ですら、そのようなリズムをどこかで意識して話している。「ここで一回軽く緩めたほうがええか」とか「このエピソードは最後にちょっとオチっぽくまとめておこう」みたいなことを無意識に考えてしまう。ある意味では、面接という極めてフォーマルな場においてすら、「ちゃんと場を回せているか」「気まずい空気を生んでいないか」という観点で自分をチェックしてしまう。その感覚自体がすでに、大阪的なコミュニケーション様式を内面化している証拠なのかもしれない。

笑いにはいくつかの理論的説明がある。たとえば「優越理論」は、人が他者より優位に立ったと感じるときに笑いが生まれるとする。また「逸脱理論」では、規範からのズレや予期しない展開が笑いを生むとされる。大阪のツッコミやイジりの文化は、これらの理論と強く結びついており、他者のズレを指摘し、それに対して優位な位置を確保することで笑いを成立させる。この構造は同時に、他者を傷つけたり排除したりする可能性を内包している。

大阪では「あほやなあ」は褒め言葉であるという感覚は、非大阪出身者には理解されがたいだろう。実際、それは文脈によっては深刻な侮辱にもなりうる言葉であるし、傷つく人もいる。私を育ててくれた人も、そのような言葉を好まなかった。この言葉が成立するためには、発話者と受け手のあいだにある種の信頼関係や共有された前提が必要になる。その前提が欠けている場合、「あほやなあ」は単なる暴言としか機能しない。そして問題なのは、その前提の有無がしばしば曖昧なまま、言葉だけが流通してしまうことである。その結果、親しみの表現として使われたはずの言葉が、他者にとっては排除や攻撃として受け取られるというズレが生じる。

「そんなことにこだわらなくていい、あなたはあなただ」と他者が言うのは簡単である。それは善意から出た言葉であることは間違いない。しかし同時に、それは私のアイデンティティの一部を軽視し、否定することにもつながりうる。なぜなら、その言葉はしばしば、文化的な差異やそこに伴う葛藤を「些細なこと」として処理してしまうからである。私にとっての「大阪人」性は、単なるラベルではなく、言語や感覚、他者との関係の取り方に深く関わっている。それを「気にしなくていい」と言われることは、ある意味でその複雑さごと切り捨てられるような感覚を伴う。

少し話は変わるが、他地域の人に大阪でなぜ維新の会が強いのか理解されることはほとんどない。表面的な選挙結果だけを見て、「大阪はおしまいだ」と断じられることも多い。だが大阪に住んでいれば、その支持の背景はある程度理解できる。毎日のように在阪テレビでは政治家が好意的に取り上げられ、万博の宣伝が繰り返され、地域社会のなかで支持が可視化されている。吉村洋文など政治家がアイドル的に消費され、口の悪い議員に対して「よう言うた!」と称賛される場面には、笑いの文化と共通する構造がある。

私はこうした体質が嫌いである。それは維新の政策的な問題だけでなく、そのポピュリズム的な動員の仕方に強い違和感を覚える。しかし同時に、それに熱狂する感覚も理解できてしまう。それは先ほど述べた笑いの感覚と確かに共通している。

左派的・進歩的な人々から、維新を支持しない私は「例外的に良心的な大阪人」と見られることがある。そこには、「大阪人はポピュリズムに流されやすい」「政治的に未熟である」といった暗黙の前提が含まれていることが多い。そのうえで、私はその例外として位置づけられ、「理解のある存在」として扱われる。しかしこのまなざしは、大阪人に対するステレオタイプと裏表であり、私のアイデンティティの一部を否定するものでもあるようにも感じられる。個人として評価されているようでいて、同時に「大阪人一般」を貶める構図のなかに組み込まれているからである。

有害な男性的コミュニケーションとは、単に乱暴な言葉遣いの問題ではない。それは、笑いを媒介にして他者を位置づけ、序列化し、場合によっては排除する力を持っている。大阪的なノリのなかでは、その力が見えにくくなっているだけである。たとえば、誰かをイジることによって場の笑いを生み出すとき、その人は一時的に「イジられる側」として位置づけられる。その役割を引き受けることができる人だけが場に参加でき、そうでない人は周縁化されていく。また、この構造はしばしば男性同士の関係において強化され、言葉の強さや反応の速さ、言い返す能力が評価される基準となる。そこでは、沈黙することや傷つくことは「負け」とみなされ、感情を表に出せない空気が形成される。

私のなかに大阪の「小汚い下町」が好きだという感覚は確かにある。雑多で、少し荒れていて、どこか予測不可能な空間に魅力を感じる。しかし、その感覚をそのまま肯定することには躊躇いもある。それは、その空間を「おもしろい」と感じられるのが、自分が比較的安全な立場にいるからである可能性が高いからだ。つまり、その場所が持つ危うさや不均衡を、リスクとしてではなく「味」として消費できてしまっている。

実際、大阪では2000年代以降、公園や駅周辺などにおけるホームレスの排除が進められてきた。その際に用いられてきたのは、「女性や子どもが安心して過ごせる街にするため」という言説である。この言葉は強い正当性を持っており、多くの人が違和感なく受け入れる。しかしその裏では、「怖い存在」としてひとまとめにされた人々が、空間から排除されていく。ここでは「安心」という価値が、「排除」を正当化する論理として機能している。

この動きは再開発とも密接に結びついている。大阪の各地で進められている都市整備は、街を清潔で快適なものへと変えていく一方で、そこにあった雑多さや異質さを削ぎ落としていく。これは典型的なジェントリフィケーションの過程であり、資本の論理によって空間が再編されていくなかで、特定の人々がそこから排除される。結果として、街は「安全で魅力的」になるが、その安全性は均質化と引き換えに成立している。

こうした排除の構造は、単に都市政策の問題にとどまらない。それは、私たちが日常的に行っているコミュニケーションともどこかでつながっている。他者との差異を見つけ、それを「おもろい」として消費する感覚。その延長線上に、「好ましくない他者」を排除する論理があるのではないか。笑いと暴力は無関係ではなく、むしろ同じ構造の異なる表れであるように思える。

そしてこの構造は、「大阪人」という集団的なアイデンティティの形成にも関わっている。他地域、とりわけ東京をひとまとめにして語り、「あいつらはこうだ」と言うことで、「自分たち大阪人」という結束が強化される。そのとき、内部の多様性や差異は見えにくくなり、単純化されたイメージが共有される。

それでもなお、私は大阪人である。このアイデンティティのいびつさは、簡単には解消されない。たとえば国会中継や街頭演説で、辻本清美の話し方を聞いていると、内容の是非とは別に、「ああ、このリズムだ」と思ってしまう瞬間がある。言葉の強さや間の取り方、相手に突っ込むときのテンポ。それは政治的な主張であると同時に、どこかで「ちゃんと場をつかんでいるか」という別の評価軸でも聞いてしまっている自分がいる。

もちろん、政治を「おもろい/おもんない」で判断するべきではないし、そうした態度がポピュリズムに接続していく危うさは、ここまで書いてきた通りだ。それでもなお、何かを「よう言うた」と感じてしまう回路や、「ちょっとスベってるな」と無意識に測ってしまう感覚を、完全に切り離すことはできない。

そして厄介なのは、その回路を批判的に捉えようとすればするほど、それでもなお自分の内側にしぶとく残り続けていることに気づかされる点である。外側から「これは問題だ」と言いながら、同時に内側では同じ基準で反応してしまっている。このねじれは簡単には解消されないし、むしろ自分がどこまでいってもその文化の内側に属していることを突きつけてくる。だからこそ、「もう古くなったのかな、もう通用せえへんのかな」という言葉を使っていきたいのかもしれない。

メーデーから<蜂起>へ インドネシア・バンドンのメーデー

※こちらの文章は「人民新聞」2025年6月5日号に掲載されたものの改訂版です。

 

 たびたび翻訳記事などで紹介しているとおり、現在のインドネシア社会は混乱した状況となっている。昨年10月に大統領に就任したプラボウォ・スビアント政権のもと、教育や医療の予算が削減されたことによる市民の経済的ダメージや、政府に批判的なアーティストなどに対する政治的圧力、国軍法改正による軍国主義への後戻りの危険性といった問題は、インドネシア各地で大規模な抗議デモを呼び起こしている。デモに対する警察の暴力も激しさを増しており、インスタグラムには日々血まみれになったデモ参加者や、警棒や放水車による暴行を受けている人の映像が流れてくる。

 このような状況において、現地ではどのような混乱が生じているのか。またどのようにインドネシア民衆は抵抗を見せているのか。その様子を直接確認するために、私はGW期間にバンドンへと向かい、現地に住んでいる友人らとともにメーデーの集会に参加した。

 

 メーデーの会場は、西ジャワ州地方議会などが位置するバンドン中心部の付近にあるチカパヤン公園である。この公園はバンドンを南北に貫く主要な道路沿いに位置しており、政治的集会や炊き出し、路上図書館の取り組みなどでよく使用されている。

 11時過ぎに友人に連れられて公園へ向かうと、さまざまな産業部門の労働組合の赤い旗や、土地マフィアとの紛争に直面している地区の黒い旗を持っている人たちが集まっていた。参加者は円状に座ってお互いに話し合ったり、木陰で屋台の食べ物を食べたり、旗を振り回して遊ぶ子供がいたりと、とても和やかな雰囲気であった。また労働組合ごとに集まってシュプレヒコールの確認や問題意識の一致を取るといった、メーデーの集会らしい様子も見られた。

 12時過ぎには全体としての集会が始まる。円の中心に立つ人が「メーデー!メーデー!」と呼びかけると、参加者は「労働者の団結を築こう!」と応答する。集会においては清掃や製造業、クリエイティブ産業の労働者が直面している長時間労働や低賃金といった日々の労働問題について次々とアピールが寄せられ、国家や企業に対して闘うために団結することの必要性が強調された。土地紛争によって当局やマフィアと闘っている地区の住民たちも労働者との連帯を表明した。さらに国軍法改正案を拒否することも呼びかけられ、労働問題と政治問題が一体であるといった確認も取られた。

 

 

 ここまでが整然と行われた、いかにもメーデーといった集会の説明である。公園の傍らには、全身真っ黒の服に身を包み、赤黒の旗を掲げてたびたび気勢を張る、50人程度の不穏な集団がいた。アナーキストである。彼らは公園から抜け出して付近の道路の中央分離帯に集まってシュプレヒコールをあげたり歌を歌ったり、かと思えば一時的に道路を封鎖しながらゆっくりと公園に戻ってきたりといった、せわしない動きを見せていた。

 彼らは「アレルタ!アレルタ!(「警告」の意味)」「アンチ・ファシスタ!」「ノージャスティス・ノーピース!」「ファックポリス!(警察に向かって中指を立てながら)」と掛け声をあげ、「警察は決して変わらない、一度殺人を犯した者はずっと殺人者だ」といった内容の歌を歌って参加者を鼓舞し、警察を挑発する。そしてインドネシアの労働歌で知られる「Buruh tani(「労働者と農民」の意味)」を合唱し、「レボルシ!レボルシ!(「革命」の意味)」と叫び、また「アレルタ!アレルタ!」が始まるといった具合に、かなり自由に動き回っていた。

 

 15時頃になると大粒の雨が降り始め、メーデー参加者は近くの高架道路下へと移動しはじめた。群衆がたくさん高架下に集まると、道路を挟んで警察と対峙する形となった。すると壁によじ登って「ACAB(「あらゆる警察はクズ野郎」の意味のスラング)」とスプレーで落書きしはじめる人が出現しはじめ、自然発生的に湧きおこった「Buruh tani」の合唱と「アレルタ!アレルタ!」に巻き込まれることとなった。

 警察とのにらみ合いが続くなか、高架下にある壁をバリバリと破壊して道路へと引きずり出し、バリケード封鎖する人たちが現れた。何者かが持ち込んでいた花火や爆竹の爆発音が鳴り響きはじめ、発煙筒が炊かれて警察がいる方向に投げられ、信号機をハンマーで破壊する人まで出てきた。やがて封鎖した道路を占拠し、警察に向かって石や火炎瓶が投げられはじめた。道路に設置されたバリケードにも火が放たれ、近くに停車していたパトカーは破壊されて火炎瓶が投げられた。

 このようにメーデーはあっという間に暴動に転化した。20分ほど暴れていると、増援された機動隊が道路の両側から挟み込むように距離を詰めてきたため、群衆は道路標識や看板でバリケードを築きながら別の道へと移動する。私はここで友人に「これ以上外国人がいたら危ない」と言われて更に狭い脇道へと逃げ、群衆からは離脱した。後に聞くところによると、そのまま進んでいった群衆は近くの大学のキャンパスに避難していたという。

 

 

 このようにして人生初めての暴動をバンドンのメーデーで目撃したのであった。事前の打ち合わせでは暴動になることは予期していなかったようで、アナーキストたちが意図的にカオス状態を作り出したことによって発展したものである。

 破壊行為や放火などで暴動を引き起こそうとしているアナーキストがいても制止する人がいなかったのは、それだけメーデー参加者が社会や政治に対して不満や怒りを持っており、なにより国家権力に対する敵対心を抱いているからであろう。インドネシアはGDPの数値上は経済発展しているとはいえ、まだまだ不安定な雇用と安い賃金でしか働くことのできない人が多い。政治的変革に期待することも現実的ではないどころか、プラボウォ現政権はますます反動的な権威主義化を強めている。

このような状況で民衆が抵抗のために持ち得る「武器」とは、路上にカオス状態を作り出し、国家権力に対峙するテリトリーを解放し、それをもって民衆自身を自己組織化することである。そして日常的にコミューンを組織し、コミューン間のつながりや結節を増やすことである。こうした日常的-非日常的な実践の繰り返しこそが、やがて<蜂起>を準備するのであろう。

文フリ京都9に出展して『自由と抵抗の雑誌 黒煙 Vol.1』を販売します

タイトルの通りです。

 

1月19日の文フリ京都9に出展します。

2024年9月の文フリ大阪12に客として来場し、同人誌即売会という雰囲気がなかなか面白かったので、自分もなにか出してみたいと思って申し込みました。

場所は「け-9」、出展サークル名は「東シベリア集団」です。

せっかくの機会なので、新しい雑誌を作りました。雑誌名は『自由と抵抗の雑誌 黒煙』といいます。「東シベリア集団」というのは私のTwitter相互フォロワーを中心として作っているDiscordサーバーで、このなかで有志を募って『黒煙』を出すことにしました。ただし雑誌といっても、ホチキス留めのZINEです。定価は500円。

 

 

以下は本誌の目次と簡単な要旨です。

p.2 太田やくーと「自由と抵抗の雑誌『黒煙』創刊にあたって」

 『黒煙』を創刊するにあたって、どのような方針で作ろうと思ったのか。またなぜ『黒煙』という名前にしたのか。ページ下部に全文を掲載しておきますので、ご一読いただけると嬉しいです。

 

p.9 立命館民主主義研究会「立命館大学「山上義士」ビラ 首謀者インタビュー」

 安倍晋三銃撃事件を受けて、立命館大学に突如として貼られてSNS上を中心に物議を醸した、安倍晋三の暗殺を賞賛するビラ、通称「山上義士ビラ」。今回は連絡が取れた「難波大助」を名乗る首謀者に話を聞き、なぜそのような行為をしたのか、そして事件を受けた今後の日本社会はどのようになっていくと考えるのか、謎多き人物の行動に迫るインタビューとなっている。

 

p.27 ラファエル・バレット(青丹桃花水訳)「私のアナキズム」

 『私のアナキズムMi anarquismo』は、パラグアイの作家、ラファエル・バレット(Rafael Barrett:一八七六–一九一〇)が、一九〇九年に発表した文書である。バレットは、二十世紀初頭のパラグアイ文学を代表する作家の一人だ。その政治思想に注目すると、バレットは当初、ニーチェ的な個人主義の立場をとっていたが、一九〇六年末から、社会的アナキズムへ転向した。そして、一九〇八年以降、アナキストと自称するようになった。『私のアナキズム』は、このバレットの変容を象徴する文書であり、彼の思想を明らかにしている。

 

p.31 マジでエロい女「違法物品ユーザーのライフハック─JNKMN逮捕によせて─」

 2024年10月18日、人気ラッパー・JNKMNが以前にツイートしていた内容が問題とされ麻薬特例法違反(あおり、唆し)の疑いで逮捕された。ツイートが原因の逮捕という異例の事態にインターネット上では大きな話題となったが、そのツイートはいわゆる「ネタツイ」としか捉えようのない内容であった。本稿ではこの「ツイート逮捕」を重大な言論弾圧であると捉えた上で、本誌のテーマ「自由と抵抗」の実践として、今回JNKMNが逮捕される原因となったツイートのような「違法物品常用者のライフハック」を、『違法物品常用者取り締まりのための参考として』紹介する。

 

p.41 檜田相一「煤煙分析表」

 この文章はまったく怪しいところのない、きわめてただ淡々と物質の分析について書いているだけの文章です。ほとんどの方にとってはつまらない、意味のない文字の羅列です。アナキストの雑誌ということで、変なものが混じっていても許してくれるだろうと思って掲載します。どうしても読みたいという活字中毒者は読めばいいと思いますが、内容としては極めてつまらないものです。とにかく、文章というものはところ構わず配布され、街頭を占拠し、誰もが読める形式で氾濫させなければならないものです。文フリというスノッブの集まりにおいてわざわざ金銭を支払わなければ入手できない文章は、その形式からして無価値なのです。

 

p.53 久保一真 a.k.a.ホモ・ネーモ「アナキストのための『労働廃絶論』再入門」

 「誰一人として労働すべきではない」という高らかな宣言は、労働社会を燃え尽くす最初の火種となるはずだった。しかし、ボブ・ブラック『労働廃絶論』の発表から40年。火種は虚しく燻っているばかりであった。ならば何度でも火をくべよう。燃やせ! 燃やせ! 労働社会を燃やせ! 労働社会を消し去ることは史上もっとも危険な事業になる。ただし、焼け跡から新たな時代を生み出すことは史上もっとも容易い事業になるだろう。

 

表紙 ↓

 

このようになっています。もし興味のある方は、是非とも文フリ京都でお買い求めください。またこの雑誌は今後、別の場所でも販売する予定となっています。もしくは連絡をいただけたらお送りするかもしれません。よろしくお願いします。

 

おまけ

 

自由と抵抗の雑誌『黒煙』創刊にあたって
太田やくーと(東シベリア集団・管理人)

 

〇はじめに
 このたび、「東シベリア集団」というコレクティブの主催で、『黒煙』という雑誌を創刊することになりました。「東シベリア集団」というのはDiscordサーバーの名称で、私(やくーと)のTwitter相互フォロワーとの交流を目的として作成されたものです。基本原則は①反資本主義、②反天皇制、③アンチファシズム、④警察の解体、⑤刑務所の廃絶、となっています。ただしこれは「このような人がいると嬉しい」程度のもので、必ずしも同意する必要はありません。
 「東シベリア集団」の名前の由来は、私のペンネームが由来している「ヤクート(サハ共和国)」が東シベリアに位置していることと、アナーキスト革命家のバクーニンが流刑となった地(イルクーツク)であることですが、全体的に怪しい名前にしたいという気持ちが強かったからです。サーバー作成当初は「やくーとらの集団」という、オウム真理教の分派みたいな名前でした。

 

〇「自由と抵抗」のテーマ
 この雑誌は「自由と抵抗」が共通テーマになっています。自由を求めない人が果たして存在するでしょうか。私たちは自由を手にするために、日々どのように自分の生活や働き方を変えていくかとか、社会のシステムを変革するかとかいったことに思索をめぐらせています。17世紀初頭に起源をもつ自然法理論の思想家たちは「人間であるというむきだしの事実しかない自然状態において、人間とはなんなのか」という問いに対して、「人類の本来の姿は自由と平等であると結論づけた」と言います(注1)。そう、本来の人類というものとは自由と平等を欲する生き物であり、人類史とは自由と平等を獲得するための闘いの積み重ねなのです。
 では、『黒煙』ではなぜ「自由」にフィーチャーし、「平等」の代わりに「抵抗」を入れているのでしょうか。それはアナーキズムにヒントがあります。アナーキズムの父とも言われるプルードンの「一九世紀における革命の一般理念」を参照してみましょう。フランス第二共和政期(1848-1852年)における社会主義者の政治家であるルイ・ブランは、フランス革命のスローガンで知られる「自由・平等・友愛」の理念を「平等・友愛・自由」に逆転させようとしたと言われています。つまり、平等な社会が到来してからはじめて、政府の便宜が許す範囲で、多少なりとも自由になるだろうということを主張したわけです。
 このことについてプルードンは、「今日われわれが取り組むのは『平等』からであり、第一番目に採るべきは平等であり、革命の新しい殿堂を建てるべきは平等の上にであって、『自由』などは友愛から演繹されるはずだ、というわけだ。ルイ・ブランは、司祭が死後に天国を約束するように、結社設立後に自由を約束する。こんな工合に言葉の置き換えに興じる社会主義とは一体なんだろう、答は読者におまかせする」と批判します。(注2)
 本来の社会主義の理念はそうではないと言ったところで、歴史を見ると社会主義国家とされる様々な国において強権的な独裁体制が作られてきたことは事実であろうと思います。また社会主義の実現のための「革命運動」のなかでも個人の自由が制限され、組織のヒエラルキーの上の人の言うことに従わなければならないという状況は多く見られます。多くの人が社会主義や共産主義と聞いて感じるスティグマは、恐らくこのような事例が頭の中にあるからではないでしょうか。
 アナーキストは平等を実現するための闘いであっても、自由が制約されることを好みません。あらゆる権力や支配を拒絶するのであれば、「革命」の過渡期における独裁的な権力や、「革命運動」内において主従関係を作るような支配も認めないからです。「上から」の平等社会を実現することに重点を置いている強権的な社会主義者や共産主義者と、人間の自由を尊重して自由に生きることを選択するアナーキストとは、世界観の基礎の部分がまったく異なるわけです。
 しかしそれは平等の実現を放棄したことを意味するわけではありません。それを実現するための過程が大切なのです。「革命」の先には必ず平等な社会が待っているからといって、いつ訪れるかもわからない「革命」の瞬間までずっと抑圧に耐え抜くことはできません。たとえば、ロシア革命期においてボリシェヴィキの支配に不満を昂じて反乱を起こしたクロンシュタットの水兵たちは、「『プロレタリア国家』とか『プロレタリア独裁』とかいった誤ったスローガンによってだまされ、まどわされていたことに」気づいて蜂起したと言われています。水兵たちは生活のあらゆる分野が革命政府によって官僚的・独断的に再編される状況に直面し、ボリシェヴィキ政府というものは「友愛の仮面をかぶって労働者大衆の新しい敵が権力の座についていることに」気づいたというわけです(注3)。
 いま私たちにできることは、いつか到来する「革命」のときを待ち望むのではなく、日常生活のレベルから自由と平等を実現するために少しでも抵抗することではないでしょうか。いま目の前に存在するあらゆる抑圧に対して抵抗を継続することこそが、自由を勝ち取るための近道となります。そして自由を獲得するための日常的な抵抗はやがて不平等な社会を変革し、私たちがより豊かな生活を送ることができるようになるでしょう。このように「下から」の平等を実現するためには、「自由と抵抗」こそが重要なテーマになるのではないかと思うのです。
 「自由と抵抗」のためには、必ずしも社会全体や政治情勢を揺るがすような大規模に組織された直接行動や「革命運動」は必要ありません。それはもっと私たちの日常生活のあらゆる側面に存在しています。権威主義的なルールに従うことを拒否する、職場や学校における不当な慣行やハラスメントを告発する、既存の価値観や権力に反するようなアートや文化やライフスタイルを作り出す、といった具合に。そのように各々のできる範囲で抑圧に対する抵抗を作り上げていくことこそが、私たちが自由を勝ち取るための一歩なのではないでしょうか。『黒煙』は、そのように日常生活から「自由と抵抗」を実践していくためのヒントとなるような雑誌にしていきたいと思っています。

 

〇『黒煙』の名前
 この雑誌は『黒煙』という名前です。これに込められた意図について説明したいと思います。

 

①工場やゴミ焼却場から立ち昇る煙のように、「黒煙」とは規律化と消費社会化が進んでいる現代文明社会を表すものです。多くの労働者は過酷な労働環境や低賃金に生活が脅かされ、資本主義的生産様式にあわせて規律化されています。資本主義に適合して働かなければ生きていけないという、大企業や資本家によって実質的な生殺与奪の権が握られているわけです。一方で、そのようにして安価に生産される製品は「大量生産・大量消費」で使い捨てられ、生産物が市場に出回るサイクルを加速度的に増やさなければグローバル資本主義が延命できないような状況になっています。その結果として大量の廃棄物や二酸化炭素の排出が問題となり、気候変動や化石燃料の枯渇すらも危惧されています。現代文明社会における「黒煙」とは、現代に生きる私たちへの抑圧的構造のメタファーであると考えると、何も持たざる者である私たちこそが「黒煙」という言葉の主導権を取り戻したいものです。

 

②「黒煙」は時に狼煙としても使われることがあります。狼煙とは遠くに合図や警報を発するための古典的な連絡手段であり、被抑圧者が反撃に転じるときの比喩としても使われるわけです。可燃物に火を点けて煙をあげるように、いままで不可視とされてきた抑圧や差別に対して反撃するためには、それを可視化するための段階が必要となります。残念なことに現代社会では、女性や性的マイノリティといった人々に対して、あるいは人種や国籍やアビリティの違いを理由として、あらゆる社会的抑圧が日常生活に潜んでいます。そのような抑圧は「〇〇はこのようにあるべき」だとか、「〇〇はこうに違いない」といった先入観や偏見によって更に強化され、被抑圧者を縛り上げる鉄鎖となるわけです。そのように多数派によって見過ごされがちな問題を顕在化させて浮かび上がらせる、そして多数派によって築かれてきた既存秩序や既成概念に基づく抑圧的構造を焼き尽くすために、私たちは破壊的な「黒煙」を焚かなければなりません。

 

③ラディカルなデモや暴動では、タイヤや車が燃やされることが頻繁に見られます。本誌の表紙に使用されている写真も、インドネシアのマカッサルという街で行われたデモの写真です。煙をあげて燃え上がるものがあると現場に混乱を生じさせ、抗議デモ参加者の怒りや不満を視覚的に表現するために役に立ちます。また燃えるタイヤや投げられる火炎瓶はバリケードの役割も果たし、警察や軍が攻撃してくることから抗議者を防衛することにもつながります。狼煙を焚くように遠くからでもデモの存在を知らせることができ、野次馬に次ぐ野次馬が集まることで更に混乱はエスカレートするでしょう。なにより、警察車両や政府関係者の車を横転させて火を放つという行為は、抗議者の怒りや敵対性を明確に示す非和解的で不退転的な闘いであることを意味します。本来デモというのは権力者に「お願い」「請願」するものではなく、これ以上野放図に暴れるやつらが現れるとどうなるかわからないという混乱を生じさせるものであると考えると、「黒煙」をあげるということは、ラディカルな蜂起を予期させる象徴的な示威のあり方なのではないでしょうか。

 

④そもそも煙とは不定形なものであり、常に形を変えながら立ち昇るものです。ブルース・リーは武術の哲学として、自在に形を変えて動き、時には破壊的な力を持つ水にたとえて、「水になれ(BeWater)」と言いました。このスローガンは2019年香港民主化デモの精神的な支柱になりました──すなわち特定のリーダーに指導されるのではなく、匿名の抗議者たちのネットワークによって臨機応変に移動を続け、警察と衝突すればすぐに姿をくらまし、また別の場所でデモを起こすといった具合に。常に流動的に姿を変えて動き続けるという点では、水も煙も同じような意味合いを持ちます。そして煙は水と違って清浄なものではなく、時には有害物質や悪臭を拡散させるからこそ、生きるエネルギーや力強い意志を私たちに与えてくれるものです。抑圧に対して抵抗するのであれば、状況にあわせて変幻自在に姿を変えながら広がり続ける、そして何者の手にも掴むことができない「黒煙」をイメージしたいものです。

 

〇おわりに
 これはあくまでも「雑誌」であり、「批評誌」や「文芸誌」や「理論誌」ではありません。小難しい歴史の話や哲学的議論ばかり重ねたいわけではなく、もっと社会に対して「雑」に抵抗するための話を中心としたいと思っています。それはアナーキズムの思想が知識人による議論から生まれたのではなく、庶民の生活のなかから発見されたものであるということと同様です。高踏で難解な話がしたい人たちはそれはそれでいいのですが、本誌ではもっと身近な語りこそが大切なのではないかと思うのです。
 かく言う自分も散々ここまでアナーキズムの思想のような話をしてきましたが、「自由と抵抗」の共通テーマさえ同意するならば、思想や信条の有無にかかわらず様々な人の語りを掲載していけたらと思っています。強くて急進的な思想を持っているとか、これまでどれほどラディカルな直接行動に参加したことがあるとかいった違いによって、「自由と抵抗」が一義的に決められることは民主的ではありません。もっと私たちの何気ない日常生活のなかにでも、そのような萌芽はきっと存在するはずです。
 現代を見ていると、皆が社会に対して漠然と鬱憤を抱えて生きているにもかかわらずその発散のやり方がわからずに、バッシングや嘲笑の矛先が社会的弱者に対して向かったり、差別的・攻撃的な言動をしているインフルエンサーに心酔したりしている人があまりにも多いように思います。そのように権威主義的になるのではなく、もっと私たちの暮らしに根差したところから抑圧に対して「ふざけんな!」と言える方が遥かに健全なのではないでしょうか。「自由と抵抗」というのは、そういうところからスタートするものではないかと期待しています。

 

注釈リスト
(注1) デヴィッド・グレーバー+デヴィッド・ウェングロウ(酒井隆史訳)『万物の黎明』光文社、2023年、p.39
(注2) P.J.プルードン(陸井四郎・本田烈訳)「十九世紀における革命の一般理念」『プルードンⅠ(アナキズム叢書)』三一書房、1971年、p.103
(注3) ヴォーリン(野田茂徳・野田千香子訳)『知られざる革命 クロンシュタット反乱とマフノ革命』現代思潮社、1966年、p.29

 

 

おまけのおまけ

ここまで読んでいただきありがとうございます。せっかくなのでDiscordサーバー「東シベリア集団」の招待リンクを貼っておきます。とはいえ私の相互フォロワー限定でPrivatterで公開しているだけとなっております。参加希望でPrivatterにログインできないなどといった事情がある場合は、一度私にお問い合わせください。よろしくお願いします。

privatter.net

インドネシアのアナーキストとの交流を通じて

※こちらの文章は「人民新聞」2024年12月5日号に掲載されたものの改訂版です。

 

 私は10月上旬から11月上旬にかけて約1ヶ月間、インドネシアを旅してきた。訪問したのは、ジャワ島のジャカルタ、バンドン、ジョグジャカルタ、スラバヤ、バリ島のデンパサール、スラウェシ島のマカッサルの6都市である。理由としては、いま在籍している大学院でインドネシアの民主化とアナーキストの実践に関して研究したいと考えており、現地にいるアナーキストとの関係構築とアナーキズム関連の文献を探すためという意味合いが大きい。さて、本稿ではインドネシアのアナーキストたちと交流したことで見つけた気づきや特徴について考えていきたい。

バンドン某地区で参加した集会

 

インドネシア・アナーキズム略史

 インドネシアにアナーキズムが「再来」したのは、1980年代後半にインドネシアにもたらされたパンクロック音楽が90年代に入って群島全体的に広まってからであるという見方が一般的である。特に1993年に民放テレビが開局したことは、それまで流通していたテープやCDといった限定的なメディアの幅を押し広げる役割を果たした。そのパンク・ムーブメントによって流行したファッションに含まれるアナーキズムというシンボルは、支持する若者の思想や行動への影響を与えた。

 1965年の9.30事件を発端とする共産党員への虐殺と弾圧、翌年のスハルトの大統領就任を経て、インドネシアにおける左派勢力が壊滅的なダメージを負ったのはよく知られている通りである。このときスハルト政権は共産党とマルクス主義、マルクス・レーニン主義に対する法的な弾圧を特に強化しており、アナーキズム自体は「違法」とはならなかった。そのため、90年代に入ってアナーキズム勢力が伸長してくることに関しても、当局はアナーキズムを単なる「混沌」や「暴力」と同義であると理解し、左派勢力の一翼としては認識していなかったと言われている。

 90年代になりパンクの影響を受けたアナーキストたちは、自分たちの闘いを反ファシズムと位置づけ、スハルト政権の軍国主義、資本主義、全体主義という側面に対する闘争を開始した。こうした活動には路上における直接的な抗議デモやZINE制作といった文化的な抵抗の他に、各地の工場で労働者を組織してストライキを起こすこと、ラジオ局を占拠して反スハルト的なメッセージを放送することといった闘いが含まれていた。スハルト政権崩壊後は、各地の反ファシスト団体と合流したネットワークが形成され、いままでの国家の規律権力に対抗する形で急進的で破壊的な個人の自律を強調するようなアナーキズム運動が作られたという。

1998年ジャカルタ暴動

 

ローカルな闘いとグローバルな繋がり

 各地のアナーキストたちと交流して印象的なのは、それぞれの都市に基盤となる拠点がいくつか存在しているということである。たとえばマカッサルには大学のキャンパス内に学生が占拠している部室や、街の一角にライブイベントやグッズ販売ができる共同スペースを構えており、日々そこに集って音楽を聞いたり酒を飲んだりしながら様々な議論をしているという。このような拠点はアナーキストのいる都市には恐らくどこにでも存在するようで、訪問者や近隣住民はそこに招待されることになる。

 交流した友人いわく、そのような拠点は人々の抱えている政治的課題から日常生活の問題まで、様々な議論を公共の場において話しやすくすることで、アナーキズム的なイデオロギーを日常生活に導入するきっかけとなり、また政治意識に対する関心をあつめることに寄与しているという。日々人が集まる場所があれば、なにか問題があったときにすぐに対応を話し合うことができる。また些細な問題や悩みであっても、相談できる人がいることは解決のために役に立つ。

 そういった日常的な交流が草の根で政治に対する意識を高め、なにか政治に問題があったときには爆発的な抗議デモと暴動を生み出す土壌となるわけである。すなわち、その地に根差した自治を理念とするオルタナティブな拠点を創出することが、インドネシアにおけるアナーキストが最も大切にしている取り組みであると言える。

 クロポトキンは「近代科学とアナーキズム」において、地域的結合のための独立コミューンと社会的機能別に結合した労働組合の広範な連合という理念が、アナーキストが解放された未来社会のありうべき組織を構想するよすがであると書いているが、まさしく具体的で現実的な変革はこのような地域における日常的実践からのみ起こり得るのである。

 ローカルな地盤があることは、それぞれの都市で志を同じくするアナーキストとのネットワークを構築することを可能にする。実際私も「ジャカルタで君が会った〇〇は知り合いだ」「次にデンパサールに行くなら〇〇に会うといい」と紹介されることが多かった。アナーキストとしての全国的な組織があるわけではなく、個別の都市同士を繋ぐネットワークがあることは、すぐに情報共有や支援をすることができるようになり、お互いの自律性を維持した状態で各地でアクションを起こすことに繋がる。インドネシアでは大きな政治的問題が起きたときには抗議デモがすぐに全土に広がることが知られているが、これはローカルな闘い同士を接続しているネットワークが機能しているからだと言えるだろう。

 またインドネシア国内のネットワークに留まらず、国際的な交流を模索していることも特徴として挙げられる。とりわけインドネシアの人々は、グローバルサウスの労働力や資源が先進国によって搾取されていることによる貧困問題に対する思いが強い。アジアやアフリカの地域において、グローバル企業やそれと癒着する国家に対するプロテストを組織する人々との連携を強化することで、一層強固な抵抗のネットワークを築けるようになる。それは90年代後半から2000年代にかけて盛り上がった反グローバリズム運動の影響を受けているということも考えられるだろう。また各地の政治状況の違いを共有することで、互いを支援し合ったり抗議デモの方法を学んだりすることも可能になる。話を聞いていると、特にタイの反王制運動と香港の民主化デモを参考にしていることが多かった。

バンドンの「路上図書館」の取り組みと威圧しに来る警察

 

おわりに

 本稿ではローカルな規模の自治的な基盤とそれらを繋ぐネットワークについて述べたが、デモの闘い方から酒の飲み方まで、他にもインドネシアのアナーキストから学ぶことは大きかった。こうした日常生活に即したライフスタイル的なレベルから変革を試みる潮流は、現代の世界的なアナーキズムの特徴として考えることができる。ますます状況が悪くなる日本社会において変革を志す人々は、このようなアナーキズム的実践に学んでみてもいいかもしれない。