※本稿は10/7(水)に予定されている、大阪公立大学森之宮キャンパスの「パレスチナを考える自主ゼミ」で使用するものです。自主ゼミの詳細はこちら!
臨時休講のため、こちらは自主ゼミに変更して行います!
— 大阪公大パレスチナ連帯アクション (@omu_Palestine) 2026年10月4日
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はじめに
現在、パレスチナ・ガザ地区において進行しているイスラエルによる軍事侵攻と虐殺を目の当たりにし、私たちはこれを一刻も早く阻止するために、今なにが求められているのかを問わなければなりません。そのために不可欠なのは、世界各地での市民による国際規模の連帯であり、同時にパレスチナの歴史的・構造的な文脈を捉え直し、根本的な問題へと視座を深めることです。すなわち、既存の枠組みを疑い、新たな未来像を模索する思想的な営為が必要です。
では、パレスチナ解放の展望とはどのようなものでしょうか。これまで国際政治では「二国家解決」や「一国家解決」といった枠組みが議論されてきましたが、本稿で提示したいのは「無国家解決(No State Solution)」という理論的なものです。これは、既存の国家機構や国境によって人々を分断し統治する近代システムそのものを問い直し、国家権力に依存しない自治、相互扶助、共同体の自律的なネットワークによって人々の共生と自己決定権の回復を目指すアプローチです。
こうした問題意識のもとで思考を整理し、議論を深めるための手がかりとして、本レジュメでは2つの対談記事を取り上げます。1本目の対談は、「シオニストの入植者植民地主義、ガザにおけるジェノサイドの論理(Zionist Settler-Colonialism and the Logic of Genocide in Gaza)」です。この対談では、イスラエルの「新しい歴史家(new historians)」の代表格であり、イラク系ユダヤ人としてのアイデンティティを持つ歴史家アヴィ・シュライム(Avi Shlaim)に対し、パレスチナ人文学者タイシール・アブー・オウデ(Tayseer Abu Odeh)および言語学者のシャハド・ディバス(Shahd Dibas)がインタビューを行っています。ここでは、現在のガザの惨禍が偶発的な軍事的衝突ではなく、1948年のナクバ以来続くシオニズムの「入植者植民地主義(Settler Colonialism)」と先住民排除の論理の延長線上にあることが、歴史的・構造的に解き明かされます。
そして本稿の中心的な主題である「無国家解決」を本格的に提示するのが、2本目の対談「無国家解決策(The No State Solution)」です。これは、パレスチナ出身の社会学者のモハメド・バムイェ(Mohammed Bamyeh)と、現代アナキズム研究を牽引するイスラエル出身の政治学者のウリ・ゴードン(Uri Gordon)による対話です。
両者が提示するのはアナキズムの思想的蓄積を踏まえた見解です。そもそもパレスチナをめぐる暴力や抑圧の根本には、国境によって土地を囲い込み、国民と非国民を分断して暴力を独占する近代領域国民国家という構造そのものが深く関わっています。国家という枠組みそのものが抑圧や排除を生み出してきた歴史を鑑みれば、国家の存在を自明のものや変えられない前提とする思考そのものを退けなければなりません。国家の枠を超えた水平的な連帯や自律的な共生、脱植民地主義のあり方を構想することこそが、今まさに求められているパレスチナ解放への実践的な手がかりとなるはずです。
資料①「シオニストの入植者植民地主義、ガザにおけるジェノサイドの論理」
1. 歴史的経緯
・イスラエル側は10月7日のハマースによる攻撃を戦争の出発点とするが、これは「取捨選択的で自己本位なナラティブ」である。攻撃の背景には1967年以降の軍事占領が存在し、さらに文脈を理解するためには1948年のナクバ(パレスチナ人の追放・民族浄化)、そして1917年のバルフォア宣言まで歴史を遡る必要がある。(補足資料を確認)
・ハマースは第1次パレスチナ・インティファーダ(1987〜1993年)から生まれた反植民地主義的なイスラーム抵抗運動であり、イスラエルの入植者植民地主義的占領に対する民衆的抵抗の一形態である。 対米・対イスラエルの「治安下請け業者」として機能し正当性を失ったパレスチナ自治政府とは対照的に、ハマースはパレスチナ人の目から見て大衆的な政治的正当性を持っていると主張する。 2006年の選挙でハマースが勝利した際、イスラエルと西欧諸国はその政権を拒絶して経済戦争を仕掛けた。
・国際法の下で、占領下におかれたパレスチナ人には武力抵抗を含む占領に抵抗する権利があるとして法学者たちによって支持されている。ハマースの政治部門と軍事部門は区別する必要性があり、軍事部門が10月7日にイスラエル国内で民間人を攻撃した行為は「テロ行為」ではありつつも、そのことによって組織全体がテロ運動になるわけではない。パレスチナ人が自らの土地で自由と尊厳を求めて生きようとする基本的権利(民族自決権)の行使を阻んでいるのはイスラエルと同盟国である。
2. 「入植者植民地主義」とは何か
・イスラエルは「入植者植民地主義国家であり、そのゆえにアパルトヘイト国家である」と定義される。1948年のナクバ(75万人のパレスチナ人追放と地図からの抹消)は一回限りの出来事ではなく、現在進行形のプロセスである。 その中核にあるシオニズムの基本的イデオロギーとは、「できる限り多くのアラブ人を内部に含まない形で、できる限り多くのパレスチナの土地の上にユダヤ人国家を建設すること」(先住住民の排除と土地の収奪)である。
・1967年以降のイスラエルの行動(東エルサレムの併合、全入植地の建設、ヨルダン川西岸の分離壁建設など)はすべて国際法上違法であり、現代において最も長期化し残虐な軍事占領を続けている国家である。イスラエルは2005年にガザから撤退したことで「自由を与えた」と宣伝するが、実際には包括的和平のためではなく、ヨルダン川西岸地区での植民地化を強化するためのものであった(ガザから8,000人を撤退させた翌年、西岸に1万2,000人の入植者を導入している)。
・ネタニヤフ政権内の極右宗教的シオニスト(ベン=グヴィルやスモトリッチなど)は、西岸地区の正式併合とパレスチナ人の追放を公然と目指している。現在のガザに対する破壊と殺戮は、従来の軍事作戦のレベルをはるかに超えたジェノサイドであり、その影でヨルダン川西岸地区の民族浄化も強化されている。
3. 「アラブ系ユダヤ人」の図式
〇1948年以前のイラク・中東
・ユダヤ人とムスリムの日常的共生・寛容
・言語・文化・慣習を共有する「アラブ系ユダヤ人」の存在
・ユダヤ人とアラブ人の間に本質的な矛盾・対立は存在しない
↓ 近代の排他的イデオロギーの介入
〇ユダヤ・ナショナリズム(シオニズム)の出現
・「ユダヤ人=アラブ人」の結合を形容矛盾として否定
・パレスチナ人/アラブ人を「他者」として排除・敵視する
・ムスリムとユダヤ人、ユダヤ教とイスラーム教を人工的に分断
↓ イスラエル社会の階層化と教化(洗脳)
〇中東系ユダヤ人/ミズラヒームの心理的歪み
・ヨーロッパ系/アシュケナジムによる差別
・劣等感を克服し「真のイスラエル愛国者」として自らを証明するため、右派・宗教民族主義政党を支持し、アラブ人嫌悪を過剰に適応・誇示
↓ 帰結
〇現在の人種差別的社会・ジェノサイドの正当化
・「アラブ系ユダヤ人(Arab-Jew)」という定義は、それぞれを分断するものではなく2つを結びつけるものである。かつてのバグダッドではユダヤ人は「他者」ではなく、アラビア語を話し、アラブ文化を享受し、ムスリムと平和に共生していた。
・ナショナリズム(とりわけシオニズム)は、両者の敵対関係を宿命づけられたものとして捏造し、戦争やジェノサイドへと向かわせる分断的・破壊的な力である。アラブ人とユダヤ人の対立は運命づけられた不可避のものではなく、シオニズムという排他的ナショナリズムがもたらした歴史的産物である。
・このナショナリズムの枠組みを乗り越えるために、シュライムは「ヨルダン川から地中海に至るまで、民族や宗教に関わらず全市民に平等な権利を保障する、単一の民主主義国家(一国家解決策)」による共生とコスモポリタニズムの未来を提示する。
資料②「無国家解決策」
1. 無国家解決とはなにか

・無国家解決とは、周囲を国家に囲まれた一部の孤立地域のことを指すのではなく、中東全体・世界全体を包摂する、国境がなく、解放され、平等で階級のない社会を目指す展望である。ただし理想に固執して現状の危機を軽視するのではなく、現在進行中の戦争犯罪・ジェノサイドを直ちに停止させ、人道を回復することが最優先であるという現実的な優先順位がある。
2. 国家なきモデルの追求
・紛争下では国籍や民族性に基づいて権利が付与・否定されるため、人々は排他的な国民性への執着を強める傾向にある。真の解放とは、こうしたナショナリズムへの傾倒そのものから自己を解放することが必要である。
・1948年以前の中東は開かれた国境と自由な移動があり、ユダヤ人とムスリムが共生する自然な社会構造を持っていた。しかし直接的・間接的な植民地支配によって近代国家が持ち込まれたが、こうした近代国家は正当性を欠いているために、外敵を捏造して敵対関係を生み出すことでしか自らを正当化・動員できないという構造的欠陥を抱えている。
・ロジャヴァやサパティスタなどの準アナキスト的実践は、大国にとって都合が良い事情がある、あるいは周縁部に位置して放置されていたという「地政学的結節点」において成立してきた側面があり、外的な脅威や干渉に対して常に脆弱さを抱えている問題がある。一方で1948年以降、パレスチナ社会は国家や政府の強制力・公的文書が一切存在しない極限状況(難民キャンプなど)において、相互扶助、支援、寛容さという伝統的な村落文化を再利用・再構成して生き延びてきた。
・原理主義とは「問題そのもの」ではなく「症状(兆候)」である。1948年や1967年の時点ではハマースは存在せず、当時のパレスチナ抵抗運動や中東の諸運動は「世俗的」であった(ハマース結成は権利剥奪から40年後の1987年である)。既存の国家や世俗的エリートが問題を解決できず破綻した結果、残された最後の選択肢として宗教的言説を用いた急進主義・原理主義が出現したと考えられる。宗教は民衆にとって共有され開かれた政治的対抗言語として機能する意味合いがあり、西洋的啓蒙主義に基づく「世俗国家」を絶対視する思考には植民地主義的偏見が含まれている。目指すべきは信仰や宗教伝統の否定ではなく、宗教を国家権力や国家への従属(clientelism)から切り離すことである。
3. 有機的なアナキズムと無国家解決の展望
・19世紀の啓蒙思想以降に理論化・体系化された「自覚的アナキズム(self-conscious anarchism)」に対し、「有機的アナキズム(organic anarchism)」は、世界各地の社会伝統・日常生活の中に古くから埋め込まれてきた、自発的な相互扶助や連帯のあり方を指す。例として、歴史的にシャリーアが国家法ではなく市民社会の学者たちによって多元的・柔軟に解釈されていた点や、2011年の「アラブの春」や2019年の香港民主化運動で見られた、中央集権的指導者や前衛政党を持たず水平的連携に依拠した民衆の「統治されないこと」への直感的な欲求が挙げられる。
・国家を求める人々に「無国家」を力ずくで押し付けること自体は、アナーキーの論理自体に反している。説得と納得のみを推進力とする点にこの構想の倫理的優位性があり、既存の枠組み・権力関係を所与のもの、不可避のものとして受け入れる現実主義的視座こそが現状を固定化し、ジェノサイドを阻止する上でも無力である。
・シオニズム運動の初期や過去の多くの革命、パレスチナの歴史的大衆蜂起がそうであったように、歴史を変革してきたのは現状の現実主義を拒絶した人々である。国家システムが絶え間ない戦争と破綻を生み出し続ける限界を経験する中で、国家なき秩序の社会的合意をプラグマティックに形成していく長期的な啓蒙・実践プロジェクトこそが「無国家解決」である。
・米国や欧州にとってパレスチナ問題は優先事項ではなく、強者(イスラエル)に自発的譲歩の動機はあり得ない。状況を変えて問題を国際政治の俎上に引き戻す唯一の力学は、抑圧された人々自身の抵抗であり、占領に耐えがたいコストを課すこと、無償の占領を許さないことである。
・よってウリ・ゴードンが強調する「地球規模で考え、足元で行動する(Think Global, Act Local)」の方針に基づき、各人が自らの暮らす地域で行動を起こすことが求められる。自身の地域で行う反軍国主義行動、武器見本市・武器貿易への抗議・阻止行動は、波及的・自動的なパレスチナ連帯行動となり、気候正義や反資本主義の行動へとつながるものである。またイスラエル国内における良心的兵役拒否者への支援や、現地の共同闘争ネットワークとの連携も含まれる。
・また個人が組織に属していなくても今すぐ実行できる最も強力で非暴力的な手段としてボイコットがある。南アフリカのアパルトヘイト体制が地球規模の市民ボイコットによって崩壊へと追い込まれた歴史に倣い、イスラエル政府が最も恐れ、弾圧・法規制を試みているBDS運動を国際的に拡大することが不可欠である。
・連帯運動においては、難解な理論や教条主義(特定党派のイデオロギー)に固執して話を複雑化させるのではなく、人権・水への権利・生活や食糧への権利・人間の尊厳といった万人にとって自明で直感的に共有可能な普遍的言語を用いて広範な合意を形成していくことが必要である。
補足資料 パレスチナの軍事統治
〇イギリス委任統治期(1917〜1948)
・1917年:バルフォア宣言。イギリスがパレスチナでの「ユダヤ人の民族的郷土」建設を支持。同年末、英軍がエルサレムを占領し、軍政が始まる
・1922年:国際連盟が正式に委任統治を承認
・1936〜39年:アラブ大反乱。イギリスは非常事態規則や戒厳令的措置で武力鎮圧し、指導者の逮捕・追放や家屋破壊を行う
・1947年:国連総会が分割決議を採択
〇イスラエル建国とナクバ(1948〜1966)
・1948年:イスラエル建国宣言。第一次中東戦争。約70万〜75万人のパレスチナ人が故郷を追われる(ナクバ)
・1948〜49年:休戦協定。ヨルダン川西岸はヨルダン、ガザはエジプトの管理下に入る
・1966年:国内のアラブ系市民への軍政が終了
〇全域占領(1967年〜)
・1967年:第三次中東戦争(六日戦争)。イスラエルが西岸(東エルサレム含む)、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領。以後は西岸・ガザはイスラエル軍政下、占領地での入植地建設が始まる
・1987年:第一次インティファーダ(〜1993年)
・1993年:オスロ合意。パレスチナ自治政府の設立へ
・2000年:第二次インティファーダ(〜2005年頃)
・2002年:西岸との境界に分離壁の建設開始
・2005年:イスラエルがガザから入植者と軍を撤退
・2007年:ハマースがガザを掌握。イスラエルとエジプトによる封鎖が強化される
・2023年10月:ハマースの攻撃を受け、イスラエルがガザへの侵攻を開始
参考文献
Abu Odeh, Tayseer; Dibas, Shahd. Zionist Settler-Colonialism and the Logic of Genocide in Gaza: A Conversation with Professor Avi Shlaim. Journal of Holy Land and Palestine Studies. 2025, vol. 24, no. 1, p. 17–36.
Bamyeh, Mohammed; Gordon, Uri. "The No State Solution: A Dialogue with Palestinian sociologist Mohammed Bamyeh & Israeli political scientist Uri Gordon". The Anarchist Library. 2024-01-28.
岡真理『増補版 ガザとは何か』(大和書房、2026年)





