yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

法規制直前なのでTHCHを試してみる

私です。

 

先日THCHのジョイントを試してみたので、感想を備忘録程度に書き残しておこうと思います。THCHとは大麻の成分であるTHCと類似した化学構造を持っている、合法カンナビノイドの一つらしいです。いわゆる脱法ハーブとか疑似大麻とか言われているやつですね。

 

自分は酒とタバコを常習していてそれである程度満足しているし、なによりも入手するために結構値段がするため貧乏人には厳しいので、合法/違法問わずあまり大麻やドラッグには関心はありませんでした。しかしTHCHという大麻成分に由来をもつ嗜好品が8/4から所持するだけで違法とされるらしいという噂を聞き、それなら法規制前に一回ぐらい試してみるかという好奇心から買ってみたものです。

 

買ったのは京都の河原町の近くにある「VAPE WORX」という店舗です。明るくて入りやすい店舗ですね。TwitterでTHCHのセールをやっていると告知していたのでここにしたのですが、通常価格だと2本で6600円するジョイントが半額の3300円で売られており、大変お買い得でした。さすがに6600円もするものを常習する気にはなれないですしね。

 

 

買ったのはCHILLAXY社のこういうTHCHが含有されているCBDハーブですね。パッケージの中にはこれが2本入っています。開けるとハーブの草のような匂いがします。裏面には「総カンナビノイド量 1本あたりTHCH50mg+CBC25mg」と書かれていました。これが多いのかどうなのか素人にはわからなかったですが、あとで色々ネット記事を見てみたら初心者で50mgは危険な量と書いているものもありました。お店の人にはこれは3~4回に分けて吸うか、3人ぐらいで回して吸ったらいいよと言われていましたね。

 

とりあえずタバコと同じ感覚で肺喫煙で吸ってみました。即効性を期待したのですがあまりすぐに効き目が訪れません(アルコールだともっとすぐに酩酊感が来るのに)。以前にCBDリキッドを試したことはあるのですが、それはほとんど効き目が感じられなかったので、結局それと似たようなもんなのか、これは失敗だなと思いつつ、そのままジョイント1本丸々吸い切りました。刷った直後は特に心身に変化は感じられませんでした。このツイートはそのときにしたものですね。↓

 

20分くらい経つと、どうも体が重たい感覚がして眠たくなってきました。床にあぐらをかいて座っていたのですがどうも筋肉で体を支えるのが気怠くなり、マットレスに横になります。ただ軽い眠気を感じるだけで、そこまで効き目といえるほどのものはありませんでした。

 

吸ってから30分ぐらい経ち、折角のTHCHなのに室内でダラダラしてても勿体ないなと思い、外を散歩することに。さっきまでいた友人のアパートを出たあたりから少しずつ異変が出始めます。どうも手足が冷たくなって、まるでタコの手足になったかのようにぶらぶらとした感覚になりました。関節がゴムの玩具のようにぐねぐねと動いているようです。といっても一緒に歩いていた友人が言うには特に異変なく歩いていたとのこと。

 

せいぜい300メートルほど歩いたところで、視界に変化が訪れます。どうも世界が広く感じ、歩いていても景色がコマ送りのようにスローモーションに見えてきます。そこでどこまでも広い世界に一人取り残されているかのような感覚に襲われ、外を歩いていてはなにか人に迷惑をかけるかもしれないと考え(以前にハイプロンという睡眠薬オーバードーズしたときに記憶がないのに近所を3時間ほど徘徊しているときがありました)、友人のアパートへと戻りました。300メートルで徒歩3~4分の距離なのに、20分ぐらい歩いているような気持ちでした。

 

喉が渇いたのでサイダーを飲むと、やけにシュワシュワした感覚が喉から胃にかけて残っているような、まるで温かいチューブが食道に差し込まれているような感覚になります。それは別に吐き気を催したり気分が悪くなったりするわけではなく、ぽかぽかとした心地よさに包まれているようです。

 

アパートに帰ったくらいから明確に時間が経つのがゆっくりに感じるようになりました。「試しに部屋からトイレに行って顔を洗ってこい」と友人に言われてその通りにすると、体感的には5分ぐらいかけて廊下を歩いて顔を洗ったように感じられたのですが、せいぜい30秒ぐらいしか経っていないということ。「めっちゃ時間がゆっくりに感じる」という話を30秒に1回ぐらい繰り返していたらしいです。あといつもは死んでる目がやけにキラキラしていたとのこと。

 

またその頃からあまりにも時が遅く感じるためにその直前になにをやっていたかということを意識しなければその記憶が曖昧になり、数秒前にやってことが思い出せないという状況になります。「さっき顔洗ってから部屋に戻ってなにしてたっけ?」と不安になってきました(実際は1分も経過していないのですが、それが5分も10分も経過したように感じるのです)。

 

体がまるで石になったかのような感覚になり、マットレスに横になります。まるで手足はマットレスと同化したかのように深く沈み込み、どこまでも私の身体を包み込みます。何にも支えられずに宙に浮いていたらこのような感覚になるのかなと錯覚したようなものです。時間の流れがとてもゆっくりに感じ、時計を見ていたら秒針が5秒動くのに20秒ほどかけているように見えてきます。

 

部屋のライトをピンク色にすると、より頭がふわふわしてリラックスしたような感覚に包まれます。そこでTwitterやDiscordを見ていたのですが、とても長い時間スマホを見ているような感覚です。一度ツイートしてスマホを横に置き、もう一度スマホを確認するまでに5分ぐらい経っているように感じましたが、実際はそのツイートをしたのは1分前ということが頻繁に起きます。ですから、大麻をやっている人は短期間のうちにいくつもツイートや投稿をするという現象が生じるのでしょう。

 

なにか音楽を聴きたくなり、スマホで核P-MODELの曲を流してみます。すると耳から脳に直接音楽が注入されているかのように、一音一音がはっきりと聞こえてきます。「それ行け!Halycon」によって脳が振動し、雲の上に浮いているように感じられます。「Parallel Kozak」は歌詞がない曲なのですが、平沢進はこの曲を通じて我々にこのようなメッセージを伝えたかったのだということが理解できました(いまはその内容を忘れている)。3分もない曲が10分も20分もある壮大なオーケストラであるように聞こえてきます。

 

P-MODELを聞きながらゆっくり進む時計を見ているといつの間にか寝ていたようで、2時間ほど経過していました。そこでようやく効果が切れたかなと思い、近所の店に飯でも食いに行くかということに。しかしまだ効き目は残っており、やはり歩いていると世界がスローモーションに動き、とても広い世界にいるように感じられます。百万遍から出町柳まで歩くのに30分くらいかけたように思えました。また通行人がやたらとこちらを見ているような感覚に襲われ、なにか挙動不審なことになっているのかなと不安になります。実際はスローモーションに見えていることから、チラッとしかこちらを見ていなくてもそれが数秒凝視されているように感じるということでしょう。

 

出町柳にあるカレー屋に行きました。店内で掛かっているインド風のBGMが私の脳を揺らします。出てきたカレーは味蕾から直接脳に接続されているかのようにスパイシーさが突き抜け、この上ない旨味を増幅させていました。一口ずつ噛みしめるたびにキーマカレーとナンの豊潤な香りが喉から鼻にかけて通り抜けていき、いつまでも噛みしめているような感覚になります(実際は普通にカレーを食べているだけなのでしょうが)。一緒に出てきたビールは麦の香りがとても強く、麦芽が喉を通り抜けていく感覚がたまりません。いままで飲んだことのあるビールで一番うまかったです(一般的なアサヒの瓶ビールなのですが)。

 

そこから京阪電車に乗ったのですが、なかなか電車が発車しないように感じられます。特急が出町柳から三条に行くのはせいぜい2~3分なのですが、10分くらいかけているように思えました。長い長い時間電車に乗りながら、ジェームズ・C・スコットの『実践 日々のアナキズム』を読みます。するとまるで文字が跳ねるような、めちゃくちゃコミカルな文体で私に語り掛けているように感じ、いくらでも読み続けていられるような文章であるように思えました。アナーキズムに関する一般的な人文学書であるにもかかわらず、まるでこの世のすべてを解き明かしているかのような感覚です。やはりこれからの世界はアナーキズムしかない、と強く実感しました。

 

帰宅して風呂に入ります。風呂に入るまでにも、玄関先で鍵を出す、郵便ポストを確認する、扉を開ける、カバンの荷物を取り出して棚に置くなどといった動作の一つずつをはっきりと意識しなければ、いま自分はなにをやっているのかということを忘却してしまいそうな感覚になります。風呂で髪を洗っていても、ゆっくりとシャンプーが髪の隙間を通り抜けて皮膚へと浸みこんでくる心地よい感覚であり、とても上質なマッサージを受けているような気になりました。風呂に浸かるととてもサラサラとしたお湯に体が包み込まれてるように感じ、母親の胎内に回帰しているように錯覚しました。スピーカーから流していたamazarashiの曲の一言ずつが心に刺さってきます。「ライフイズビューティフル」を聞いていたのですが、1フレーズごとにいままでの自身の人生を回想しては、これでいいのだ、人生は美しいのだからと胸を洗われているように思えました。

 

風呂から出てさっさと横になりたかったのでマットレスに横になり、YouTubeで動画を見ていました。しかしどうも話し言葉が遅く感じる。まるでスローモーションで動画を見ているかのような感覚になり、2倍速で視聴してみます。すると2倍速にもかかわらず単語の一言ずつがはっきりと聞き取れ、別に理解とかするような話ではない雑談であるにもかかわらずはっきりと言葉が理解できました。そのまま動画を1本視聴するまでに、いつの間にか眠っていたようです。とても長い長い眠りで、永遠に続く夢を見ていたように感じます。

 

とりあえずは翌朝起きていまこんな感じです。時がゆっくりに感じるとかはいまのところなく、頭がボーっとするような、体が重たいような感覚だけが残っています。あまりなにもする気が起きないので、思いつく限りで文章を起こしているという形です。

 

とにかくTHCHの特徴としては①時が過ぎるのがとてもゆっくりに感じる、②聞いている音楽がはっきりと聞こえ、食べているものがとても美味しく感じる、③体が心地よく重たく感じ、寝ていると宙に浮いているような感覚になる、という3点が挙げられるのかなと思います。とくに世界がスローモーションに感じるのは顕著であり、昨日の夕方のことなのに遠い昔のことのように思えています。

 

やっていることに自制が効かなくなるということもありませんし、そこまで記憶が喪失するということもないようですね。しかしあまりにも値段が高すぎることや、服用したらその日一日あらゆるものがスローモーションに感じ、動作がゆっくりで体がうまく動いていないように錯覚して若干不安に感じるということを考えると、あまり常習したいものではないかもなあというのが感想です。これならストロングゼロでも飲んで気絶している方が刺激的でリーズナブルかもしれません。私はこれからは酒を飲みます。

「だめライフ」とアナーキズムの関係についての対話

〇人物紹介

やく~と(以下「Я」と表記):本稿の筆者。立命館大学だめライフ愛好会の一人。4回生。

A:立命館大学の学生。とある公認学術系サークルに所属している。4回生。

 

 

〇「だめライフ」とはなんなのか

A:最近主にTwitterで「だめライフ愛好会」が注目を集めているね。

Я:とりわけ先日に大芸大だめラが大量に謎のビラを貼ったりしたことを発端に「発掘」されている感じがある。といっても結構前から存在することは存在していたんだけど。

A:Twitter上の議論を追う気がしなくてあんまりどういう話に発展しているかは分からないんだけど、チラッと見た限りだと、「だめライフ愛好会」は左翼だとか、アナーキストだとかそういう批判がなされているように感じるなあ。

Я:よーし、ではそのあたりの話を中心に考えていこう。といっても、左翼だかアナーキストの話に入る前に前提として「だめライフ愛好会」とはなんなのか?について話さなければならない。発端といえば中央大学のだめラができたことで、そこから理念に共感した学生によって東大や東海大や九州大や和光大などに点々と派生していったサークル群であると言える。立命館だめラもその一環で、関西では初めてのだめラとして作られたわけだね。

A:「だめライフ」という誰でもできそうで敷居の低いサークルだからこそ広まったと言えるね。ナントカ研究会だとか〇〇主義者同盟だと小難しい話ばかりしていそうだし、何より危なそうな政治色が強すぎる。

Я:「政治色」という言葉自体も手垢が付きまくったワードではあるけど、まあその話はおいおい。「だめライフ」を名乗るサークルはいま30個ぐらいあってその全容を把握できているわけではないから、中央大や東大といった比較的アクティブなだめラに焦点を絞るけども。活動内容としてはキャンパスで葉桜を見ながら駄弁ったり、フリーマーケットを開いたり、あるいは東大のようにザリガニ釣って勝手耕作をしたりという実践をそれぞれが好き勝手にやっているムーブメントなんですね。なにか統一的な指揮系統があるわけでもない。

A:これだけ聞いたらなにか特定の思想があるわけでもない集団に見えるけど、実際はそうでもないというわけ。

Я:中央大だめラさんはnoteの記事で自身のサークルについて「だめ連」「法政大学の貧乏くささを守る会」の影響を受けていることを明言しているし、東大に至っては対談でアナーキズムの実践と言っているので、少なくとも根本には学生運動の影響があることは明らかなんだな。いわゆるノンセクトってやつです。まあ、知っている人からしたら何を今更という話だけど。

A:中央大は「令和のだめ連」を名乗っていたりもする。2000年代以降は松本哉の影響を受けたノンセクト運動が定期的に出てきては消滅するということを繰り返していると思うけど、「だめライフ」もそのうちの一つであると考えてよいのかな。

Я:路上鍋をやるだとか「路上解放」のスローガンでデモをするノンセクトはいたと思うけど、「だめライフ」はSNSを通じて全国的なネットワークを築いているということは特徴の一つとして挙げられると思う。中央大だめラが対談で「既存の政治党派みたいにストレートに政治的な訴えをしてっていうんではなくて、なにか面白いことの中に思想を込めて、ノンポリの人たちの気を惹こうみたいな考えでやってる」と言っているように、一見政治的でないくだらない活動であるように見せかけて根本には自由や自律といった思想の実践という動きなわけです。ですから「左翼だ!」みたいな批判は「そりゃそうだろ」としかならない。

A:完全に政治色がないお遊び交流サークルにして間口を広げても活動の意味がなくなってしまうし、ゴリゴリの左翼主義的な運動にしてしまえば誰も寄り付かなくなる。そこでバランスを取って「だめライフ」という生活に根差した運動を提示することで、より大衆的にメンバーを獲得することを狙ったものであると言えるわけですね。

Я:「だめライフ」というワードから受ける印象といえば、結局大学に在籍しているモラトリアム風情がイキりやがってとか、あるいは真面目に社会を変える運動に参加せずにプチブル学生だけで集まりやがってとか、そういう批判的な視点はあると思う。実際にそれは一側面として否定はできない。でも「だめライフ」という運動の根本には自由や自律、自己組織化といった原則があり、反資本主義的でオルタナティブな社会を求めるためにまずは自分のライフスタイルから実践していこうという試みであるということがもっと周知されたらいいのではないかと思う。

A:「だめライフ」という言葉で損している感じはあるけど、その気の抜けた感じがいいのかもね。「オルタナティブ・ライフ」とか「オートノミスト」とか呼称しはじめたらどうも真面目くさくてやっていられない。とはいえ真面目な左翼の人からも、本当に「だめ」な人からも批判されてしまう、板挟み的なネーミングではある。

Я:「だめ連」のスローガンに「だめをこじらせる前に連絡を!」というのがあって、立命館だめラもそれを理念としているんだけど、世間には「だめ」という言葉のニュアンスがうまく伝わっていない、もしくはあまりにも批判的に捉えられすぎているんだと思うんだよね。世の中には薬物依存やアルコール依存、ネットワークビジネス自己啓発セミナーや陰謀論にドハマりする人、果てには精神を病んで自殺してしまう人など、不健全に「だめ」になってしまう人が多い。この原因の一端には競争至上の資本主義社会で疲弊してしまうこと、社会的共同体が消失して人々が連帯できずに分断されてしまうこと、自己責任論ばかりがまかり通って生活に過度な重圧を感じざるを得ないことなどが挙げられると思うけど、要するに近代国民国家が従順な労働力としての国民を作り上げるために「だめ」な生き方をしてはいけませんよ、真面目に働きましょうと強制してくるプレッシャーに耐えきれなくなって不健全な「だめ」をこじらせてしまうという悪循環であると思うんですよね。だから「だめ」という言葉を肯定的に捉えなおして、国家や社会によると「だめ」とされているけど私たちは知らないもんね、好き勝手に生きさせろよという試みが必要とされている。なので、「だめライフ」とは「だめ」を私たちの手に取り戻すための実践であるわけです。

 

〇「だめライフ」とアナーキズムの関係性

A:「だめライフ」は根本的には反国家・反資本主義のもとで自律を求めるための運動であるという話をここまでしてきたけど、そう考えると明らかに左翼ではあるわけだね。しかし中央大だめラは「左翼は生活感が感じられないから嫌いだ」という趣旨のツイートを過去にして最近左翼の人たちからも批判されている。これについてはどう考えるべきだろうか。

Я:左翼の人、とりわけマルクス主義を掲げる党派の人というのはあまりにも理念的すぎるという批判的視点があるのではないかと思う。それが理論的に正しい間違いという話ではなく、「革命」とか「階級闘争」と言われてもノンポリな人にとってはピンと来ないわけでしょ。マルクスレーニンなどの理論を学んだ人にとってはそれが正しいんだけど、そうではない人にとってはもっと現実的な話をしてくれよとなる。もっと政治が身近なものであるということを示さなければいけない、という感覚のツイートなのではないかな。

A:もちろんそういった左翼の人たちが地道に闘って勝ち取ってきた権利や守っている暮らしがあることを否定しているわけではないだろうけど、でもちょっとノリが違うよねという感覚なのだろう。この二つは両立可能で、どちらも必要な視点なのではないかな。

Я:さっきの話にもたびたび出ていたように、「だめライフ」がアナーキズムだという批判があるけど、まさしくこれがアナーキズムである所以だと思うんだよね。デヴィッド・グレーバーというアナーキスト文化人類学者が言っていることなんだけど、マルクス主義は「革命戦略のための理論的/分析的言説を目指す」一方、アナーキズムは「革命実践のための倫理的言説を目指す」という特徴があるとされている。つまりよりみんなが暮らしやすいように社会を変革していこうという戦略理論においてはマルクス主義が強いんだけど、アナーキズムは生きやすい社会を築くための社会関係が存在することを前提としたうえで、その生き方に関わる姿勢を追及するという立場なわけ。アナーキズムは「古い社会の殻の内側で新しい社会の制度を創造する」というプロジェクトであり、難しい理論──グレーバーは「高踏理論(ハイ・セオリー)」と言っている──は必要なくて、社会を変革することを望む集団による日常的な実践をする立場であるということを意味している。もちろんそうではないアナーキストもいるけどね。

A:つまり既存の左翼による「革命」のための理論と実践とはちょっとノリが違って、まずは自分たちの生活に根差した場所から変革を起こしていこうとするのがアナーキズムであると言えるんだね。もちろん生活相談とか労働組合運動による生活の向上といったテーマに取り組んでいる既存左翼も多く存在するとは思うけど、「だめライフ」はまずは自分たちの生活に理論的承認を与えるという立場であるという点で異なってくるということか。

Я:おそらくそういう態度は個人主義的であるとしてマルクス主義的左翼や左翼主義的なアナーキストにも批判されるところではあると思うんだけど、でもそういう「ライフスタイル左翼」みたいなのは昔から存在し続けたことを考えると、その延長であると考えられるかもしれない。アナーキズム内部にもそういう論争があって。「だめライフ」は「ポスト=レフト・アナーキー」と呼ばれるアナーキズム潮流の一つに置いて考えられると思うんだよね。ポスト=レフト・アナーキーというのはボブ・ブラックとかハキム・ベイという人が主な提唱者なんだけど、この思潮はアナーキズムのなかでもとりわけ反政治的で快楽主義的、個人主義的であるという特徴がある。ハキム・ベイが「TAZ(Temporary Autonomous Zone=一時的自律ゾーン)」という概念を作り出したのは知ってる人たちにとっては有名な話だけど、要するに権力の管理から完全に免れた空間を小規模に、一時的にでも作り出すことで「生の自律」を実現するという戦略を打ち出した。この方針にはアナーキストのマレイ・ブクチンという人が「ライフスタイル・アナーキズム」であると呼んで、そんな個人主義的なやり方ではなくてもっと社会的に自由を実現するのがアナーキズムだろ、それは「海賊行為をする身勝手でエゴイスティックな遊牧民」が楽しみを追求するために社会を放棄しているだけだとけちょんけちょんに批判したんだけど、とはいえポスト=レフト・アナーキーというのは世界的に見るとなかなか広がりを見せている。特に東南アジアなどでパンクスと結びついたアナーキズムの実践は、衣類の配布やヴィーガンフードの炊き出し、図書館の設立やパンフレット制作といった様々な分野で行われている。自分もこの前マレーシアに行ったとき、Rumah Apiというアナーキストのやっているライブハウスで遊んできたしね。

A:となると「だめライフ」が鍋会をやったり勝手耕作をしたりということをやっているのも、ブクチンが批判するところの「ライフスタイル・アナーキズム」の実践の一環であるとできるんだな。確かに拠点大学を作ってオルグして、デモに動員して革命を目指すというオールド左翼なノリとは相いれない部分がありそうだ。ポスト左翼主義で個人主義アナーキズムの実践であり、社会全体を獲得するといったことが目標ではないわけだから。

Я:CrimethInc.というアナーキスト集団の出した文章なんだけど、ポスト=レフト・アナーキストのアクティビズムに関する宣言では「1. 政治を再び日常の体験と関連のあるものにする」、「2. すべての政治的な行為は楽しくて刺激的なものでなくてはならない」「3. そのためにまったく新しい政治的なアプローチと手順を作らなければならない」「4. とにかく楽しもうぜ」ということを主張している。つまりオールドな左翼のように退屈で抑圧的な「政治」ではいけない、もっと日々の交流が楽しくて充実したものとなるために生活を改善するという「政治」にしようぜと呼び掛けているんですね。もちろんこれに対して反論があるだろうということは容易に想像がつくし、そういうオールドな左翼による地道な闘争が時には必要とされることはあることは事実なんだが、まあそこはどちらのアクティビズムも存在意義はあるだろうと。「だめライフ」はまさに日常生活からのオルタナティブを追求する運動であるので、こういったポスト=レフトなアナーキズム運動の一つとして位置づけることができる。

A:となるとこれからの「だめライフ」に求められるのは、大学の垣根を越えて地域に根差したコミュニテイとしての交流や、共同炊事によって地域住民や生活困窮者とともに飯を作って食糧配布をするといった活動になってくるかもしれない。

Я:ゆくゆくはアナーキズム運動の一環として発展できるのであればそれがいいかもしれないけど、それにしては人もカネも少なすぎる。とりあえずはライフスタイルとしての「だめ」をやりながら、仲間を増やして交流することができたらいいね。

8.6広島平和祈念式典反対行動の記憶

先日、アナキスト系の「8.6広島集会実行委員会」の主催する広島平和祈念式典への反対行動に参加したので、そのことをここに記しておきたいと思う。なぜ私たちは平和祈念式典に反対するのか、それは一体どのような行動であるのかについて、あるいは今後興味をもった人が雰囲気を知るためとして役立てば幸いである。

毎年のことではあるが、8.6広島の平和記念公園周辺にはいくつもの団体が集まってスピーカーなどを使った抗議行動を行っている。見たところ最も人が集まっているのが中核派系(今年は特に多かった気がする)、解放派現代社派と赤砦社派(両方とも青ヘルメットにゼッケンをつけている)、関西共同行動や部落解放同盟といった市民運動系、日蓮宗系の僧侶、あとは私たちアナキスト系といったところか。こうした抗議行動は「静かに祈る日だ」といった言説によって、これまた毎年のように物議を醸している。とうとう2021年に制定された「広島市平和推進基本条例」という条例の第6条2項では、平和祈念式典は「厳粛の中で行うものとする」とされ、周辺でスピーカーなどを使用して抗議することが難しくなってきているようである(これには憲法19条の保障する思想良心の自由、憲法21条の保障する表現の自由を侵害するのではないかとする批判もある※1)。

 

まずはなぜ私が8.6広島の平和祈念式典に反対するかについて簡単に述べておこう。第一に日本政府の言動不一致である。出席した岸田首相の挨拶を読めば、なるほど確かに核兵器のない世界と恒久平和の実現への追求が見て取れるかもしれない。もしくは犠牲となった人への哀悼の意、後遺症に苦しむ人へのお見舞いの気持ちがあるかもしれない。しかし現実に日本政府がやっていることといえば、憲法9条を変えて自衛隊を明記するといった改憲策動、2014年の集団的自衛権行使容認や2015年の戦争法成立など、おおよそ平和の実現とは程遠い軍事国家化と戦前回帰である。そして「唯一の被爆国」でありながら核兵器禁止条約には参加せず、むしろアメリカの「核の傘」に頼り核共有の議論まで起こっている。一体これでどの口で平和祈念式典で挨拶をするのかと考えると、到底日本政府が主導して式典を挙行することに義があるとは思えないのである。政府が平和を祈るのであれば、まずは平和を実現するための主体的な行動を取らなければならない。

第二は原爆犠牲者の画一化・隠蔽の恐れである。多くの良心的市民の皆さんが8時15分に黙祷を捧げて原爆の犠牲者を追悼し、平和を祈るように、この日が大切な日であることは間違いない。こうした市民の態度は一切否定しないし、むしろそうでなくてはならないものだと思う。市民が黙祷するとき、たとえば近親者に犠牲者がいる場合はその人のことを考えるだろうし、そうでなくても市民的道徳として犠牲者を思い浮かべて死を悼むことだろう。こうして市民が広島の記憶を残し続けることは核兵器の廃絶と世界平和へとつながる一歩であることは言うまでもない。

しかし市民一人ひとりや有志団体が黙祷を捧げることと、政府が主導して平和祈念式典で黙祷を捧げるようにすることは大きな違いがある。政府が黙祷し平和を祈るとき、約11万人とも言われる犠牲者を十把一絡げにして、大きな数の犠牲者のなかに隠蔽されてしまう。そこにはただ広島の町に暮らしていた無辜の日本人、強制連行されてきた朝鮮人や中国人、アメリカ人の捕虜など、様々な犠牲者がいるにもかかわらずだ。政府が犠牲者をひとまとめにして平和を祈るための材料とするとき、悲劇の広島という「大きな物語」の中にすべて回収されていってしまう。これではもはや犠牲者一人ひとりに対して向き合うことはできず、ただ漠然とルーティンのように黙祷が繰り返されるだけではないだろうか。政府がやるべきは黙祷ではなく、被爆者への救済や実態調査、そしてなにより犠牲者に対する謝罪といった事実行為で向き合うことなのである。

第三にそもそも何に対する平和祈念なのかということだ。そこが平和祈念式典では曖昧にされ続けている。原爆投下とは、地震や洪水といった自然災害と違って、なにかしらの人為的な作為の結果による悲劇である。そしてその作為とは、日本が朝鮮と中国を経て東アジアを侵略してきた帝国主義、そのあげく無謀にも対米戦争を起こしたことによるアメリカ軍の攻撃の結果である。原爆投下は落としたアメリカ張本人のみならず、日本帝国主義によって引き起こされた悲劇なのだ。平和を祈念するのであればまずは日本帝国主義に対する反省がなくてはならない。しかし日本政府はかつての植民地支配に対して謝罪と賠償をしないばかりか、冷淡な態度を取り続けているではないか。徴用工問題を、従軍慰安婦問題を見よ。そして政府にも跋扈する歴史修正主義者を見よ。日本政府は一貫して植民地支配に対して真摯に向き合ったことなどないのである。平和について考えられるとき、往々にして食らった被害とその悲劇についてばかり取り上げられるが、かつて日本帝国主義によって加害を繰り返してきた歴史についてはほとんど触れられない。平和を祈るのであればまずは加害の歴史に対してしっかりと向き合い、二度とそのようなことを繰り返さないことを誓わなければ、その言葉は空虚なままであろう。

細かいところを置いておけば、反対する理由としてとりあえずはこんなもんだ。といっても戦後民主主義の落とし子であるリベラルにとって「しかし平和祈念式典で騒ぐのは…」という違和感はあるだろうし、私としてもまだまだ考えねばならないことが多い。しかし少しでも平和祈念式典に反対する人の意図がわかってもらえると幸いである。8/6も8/9も8/15も、悲劇を追悼し黙祷する日ではなく、こうした意図のもとに反戦運動を闘わなければならない日なのだ。

 

 さて、難しい話はここまでにして、行動の前後の話に移ろう。時は8/5、前日の夜である。私たちは大阪から車3台に分乗して広島へ向かった。アナキストはみんなカネがないので、高速道路ではなくずっと下道を走っていった。途中コンビニで休憩したときに、そろそろ車を出すというときに突然カップラーメンに湯を入れ始める奴(「左派過食主義者」らしい)や運転しないのをいいことに酒を飲み始める奴もいたが、おおむね行程は好調で6時過ぎには広島に入った。近くのコインパーキングに車を停めて準備をし、広島のアナキストの人たちと合流をする。例年は原爆ドーム周辺で他の団体と同じように行動に移っているようだが、今年は少し離れて元安橋付近での行動となった。日本第一党のバカが「八・六反日左翼に負けるな!広島大決戦」などと称して無政府主義者を名指しで攻撃することを予告していたが、そのせいか遭遇しなかった。今年はスピーカーを使わず、プラカードと横断幕によるサイレントのスタンディングであった。式典参加者は物珍しそうに見る人もいればそのまま素通りしていく人もいたが、ビラの受け取りは順調であったと思う。8時15分より少し前には元安橋を渡って公園内へと移動し、いままさに式典が行われている裏での反対行動となった。少しでも私たちの思いが届いていればいいなと思う。

ヒエ~~ッッッ

 8時15分を過ぎると一旦コインパーキングへと戻り、他の団体がシュプレヒコールをあげているのを聞きながら10時からのデモの準備に移る。個人的には赤砦社派を見ることができたのがよかった。若者の何人かは黒いヘルメットをかぶり、ノンセクトあるいはアナキストとして反戦運動を闘い抜く決意をあらわにする。集合場所に着くと想像以上に警察が多いことに若干面食らったが、すぐに全員で士気を高めてデモに移った。黒い横断幕と黒旗を先頭にし、「広島の歴史を忘れるな!」「岸田政権の改憲策動を阻止するぞ!」「全世界の民衆と連帯して闘うぞ!」などといったシュプレヒコールのなかがっちりとスクラムを組み、笛の音とともにわっしょいわっしょいと進むというスタイルだ。途中で警察のデモ参加者への妨害がありながらも、全員無事に反対行動と反戦反核運動を打ち抜いた。道行く人の反応もよく、あるいは他の団体では見ないようなアナキストの戦闘的なデモに興味津々な様子であった。

 昼からは「広島の戦後復興を問う!8・6広島集会」を開催し、戦後復興期の広島の住宅・労働・ジェンダー問題に関する講演、広島の平和記念公園が設置されるにあたって強制移転させられた墓地や供養塔や慰霊碑をめぐる話、ABCCのやってきた体のいい人体実験の話、現在の基町周辺にあった原爆スラムに関する話などで議論が行われた。徹夜で移動してきたというのもあり眠気から死屍累々になっていたが、広島のアナキストとの交流・議論を通じて広島の戦後復興について、またアナキズム運動について考えるよい機会となった。個人的には平和記念公園が作られるときに景観にそぐわないとして移転させられた墓や設置が認められなかった韓国人慰霊碑の話を聞き、「平和都市」として戦後復興を遂げてきた広島の欺瞞性とそれによって隠された犠牲者について考えさせられた。

翌日は朝7時に集合し、元々軍事施設だった宇品の施設やABCCが置かれていた比治山、原爆スラムがあった基町などをフィールドワークした。原爆スラム跡は団地が立てられ、体育館や公園といった公共施設が建設されている。スラムの排除後にはこうした施設が置かれることはよくあり、元をたどればいまの平和記念公園も戦後スラムがあったところに作られている。広島の戦後復興からはなかなか見えてこないスラムや排除といった問題は、やはり掘り返さなければ分からなくなる暗部であることを実感した。

ABCC跡(現・放射線影響研究所)

基町の団地と再開発でサッカースタジアムが立てられるスラム跡




※1 http://www.jcp-hiro-shigi.jp/parliament/4565

野宿者の排除と生きる権利 ── 映画「関西公園~Public Blue」を見て

『関西公園~Public Blue』(アンケ・ハールマン/2007年)

 公園や河川敷や路上にひしめき並ぶ青いシートで覆われたテントの光景も、いまでは過去のものとなってしまった。1990年代から2000年代にかけて増加した「ホームレス」の一部はそうしたテント掛けによって暮らす場所を得て、個人あるいは集団で身を守ってきた。路上で生活することは飢えや寒さ、襲撃といった危険と常に隣り合わせである。そこで最低限度の生活と命を守るためにテントを立てて野営をするというあり方は、決して特異なものではなく全世界的にみられる姿だ。

 では日本ではそれがなぜ過去のものとなっているのか。確かに生活保護や福祉を受ける権利を獲得してきたという動きもあるだろうし、増加する「ホームレス」という社会問題に対して行政が対応せざるを得ない状況にあったということも考えられる。しかしそうした対策によって「ホームレス」の人たちは自主的にテントを畳んだわけではなかった。この映画はテントの数々が過去のものへとなりゆく境界を切り取り、不可視化される「ホームレス」の抵抗を記録したドキュメントである。

 映画はテント掛けして暮らす野宿者と支援者が、代執行によってテントが強制撤去される日程が決まったことを話すシーンから始まる。大阪城公園と靭公園の2つにあったテント群は、2006年に公園整備工事という名目のもとで移動するように命じられた。しかし仕事も帰るべき家もない野宿者は、テントがなくなると生活できる場所がなくなってしまう。行政はシェルターと自立支援センターに入所するように勧告するが、そこに入ってしまえば二度と公園にテントを立てないという旨の誓約書を書かされ、所有物を保管する場所もプライバシーもない環境で自由を剥奪されることとなる。野宿者は行政が提示する「自立支援」が自分たちを公共空間から排除するためのものだということを身に染みて実感しているからこそ、テント生活の継続を要求しているのだ。「かつては飯場などで働いていたが加齢とともに仕事もなくなった」と作中で語る野宿者の一人からは、社会の最底辺で無権利状態に置かれていても自分自身で生き延びるのだという覚悟が感じられるとともに、失業や産業構造の変化によって一度野宿生活になると安定した住居を持つだけの労働にありつくことの難しさが伝わってくる。テントの強制撤去に反対するデモのコールの中には「仕事をよこせ」という叫びも含まれていた。つまり雇用と居住の保障がない「自立支援」とは、他に行くところがない野宿者がかろうじて生活するためのテントすらも簒奪して社会から見えないように上書きする暴力なのである。

 公園とは一般的な意味では「公の空間」であるが、従来から日本の都市には公共空間は存在せず、もつれあった交通ネットワークと雑然とした居住空間があるだけだったと作中で説明される。西洋から輸入された“Public”という概念のもと新しく開かれた公共の開拓地は、行き場を失った野宿者の生活する場所となった。安定した居住はすべての人権の基礎にあり、それすらも保障されない野宿者にとって公の空間に設置するテントは生存権に基づいた最低限の財産なのであるから、不当な侵害を受けてはならない。そして公共空間とはすべての人に開かれているものだから、野宿状態にあっても市民と平等に扱われなければならない。権利性において弱い立場にいる野宿者であるからこそ、公共空間はその人たちを受け入れる必要があるからだ。しかし現行法下ではそうした公共性の議論もないままに、「占有」だとか「排他的支配」という言葉によって公共空間から野宿者が排除されるのが現実だ。作中で映し出される公園の景色は、新しく野宿者がテントを立てられないようにフェンスで囲んで圧迫し、狭い通路を通らないと公園の中に入ることすらできないという、おおよそ公共空間という言葉からはかけ離れた矛盾であった。

 さて、なぜ2006年に大阪城公園と靭公園にあったテントが撤去されなければならなかったかというと、5月に控えていた世界バラ会議なるイベント開催の関係で公園にテントを立てて暮らす野宿者の存在は不快感を与えるからだった。なんとも差別的で暴力的な理由であるが、大規模イベントの開催にともなって周辺に住む野宿者が排除される現象は世界中で巻き起こってきた。それはスポーツ大会、文化的行事、政治的イベントなど、様々な場合に生じている。たとえば記憶に新しい東京オリンピックでも明治公園に住む野宿者に対する強制的な排除がなされたし、都営霞ヶ丘アパートの住民も追い出されて取り壊しに遭った。このような大規模イベント開催にあたってメディアはこぞって好意的な報道ばかり流して国民は熱狂させられるが、その背後には必ず警察を使った露骨な暴力と弾圧によって生活を奪われるアンダークラスの人々の犠牲があるのである。

 その直接的な暴力がありのまま映像に残されたのが、映画終盤部分の何百人もの警察と市職員が威圧するようにテントを包囲して、代執行によって強制的に排除をする場面である。それに対してテントが撤去されてしまえばその日から行き場所がなくなる野宿者たちは支援者とともにスクラムを組んで抵抗する。ヘルメット姿で群れをなして距離を詰める市職員に対してあまりにも無力な光景に見えるが、それは野宿者の命を守るために必要な闘いなのだ。いまではほとんどなくなってしまった野宿者のテントとはこうした暴力的な手続きを経て姿を消していったということを映像資料として残し続けているのである。

 いまでは公園などにテントを立てて暮らすという姿がほとんど見られなくなったからといって、「ホームレス」がいなくなったわけではない。住む場所を追われると持っていた荷物も諦めてどこかで定住しない生活を強いられることになり、孤独に生き延び続けるという状況に追い込まれる。あるいは路上で死ぬことを余儀なくされる。もちろん望む人が路上生活から脱出するということを支援することも大切であるが、その一方で野宿状態にある人がいかに安心して過ごせる場所を確保できるかという闘いも同時に作っていかなければならない。ブルーシートに覆われたテントの数々をやや牧歌的に記録しつつも、殺人行政の横暴さと野宿者たちの必死の抵抗を現在にまで伝えているこの作品は、よもや公の空間に暮らすことさえままならない現代を生きる者にとって必見である。

 

※この文章は正体がよくわからない交流誌『レーテ』vol.2に掲載したものである。編集・発行の「都市と労働研究会」はこちら

『くらしのアナキズム』雑感

アナキズムというと「無政府主義」と訳されるように国家を転覆するラディカルな思想であるように捉えられたり、あるいはヘイマーケット事件やサッコ・ヴァンゼッティ事件のようにアナキストには爆弾テロや強盗のイメージがなすりつけられていたりする。しかし本書はマルセル・モースの『贈与論』やデヴィッド・グレーバー、ジェームズ・スコットといった文化人類学者の研究から、国家から逃れて生きる人々の「暮らし」に焦点を当ててアナキズムを論じる。筆者は鶴見俊輔の言葉を引用してアナキズムを「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」(p.24)と定義し、アナキズムの原点である相互扶助社会の建設(の挫折)と国家の支配に対する抵抗について考えていく。
アナキズムは第一にあらゆる権力による強制に対して抵抗するが、権力は国家権力のみならずあらゆる関係に内在するものだ。権力による強制は国家のみに生じるのではなく、また体制への抵抗のもとより身近な場で抑圧が発生する可能性すらある。そこで筆者は普通の人々の生活のなかで育まれてきた共同体としての実践論に問題解決の糸口を見出す。
たとえば行商人らと町人が売買し交流するかつての市場(いちば)とは世俗の主従関係から切り離された非日常的な空間であり、平等が原則とされる自治空間が成立していたと指摘する。市場(いちば)とは寺社や教会などの宗教的な場と密接な関係をもち、その神聖さを利用しながら行商人や職人から物乞いといった無縁の人々が集結することで、自由と平和を維持するというアナーキーを実現する。市場(いちば)では小規模な商いの連続によって人々が対等な関係を構築し、それぞれの生活を保ってきた。しかしやがて繫栄した市場(いちば)では国家と結託した金もちが資本を独占し、膨大な利益を手にするようになる。つまり人々が自由・平等・自治を守るためには独占しようとする力を内部から生じないようにすることが課題であり、アナキズムの問いはいかに独占を拒絶し民主的な空間を作り出すことができるかにある。
そこで共同体のなかで強制力をもたない政治を実現するために、筆者は多数決で物事を決めるのではなく全員で納得いくまで話し合い、身の回りのことを自分たちで解決するという手段が必要であるとする。全員が平等であるという原則のもとで双方の折り合いがつくまで話すことで共同体の内部破壊を防ぐことができるのだ。このような意思決定プロセスは2011年のオキュパイ・ウォール・ストリート運動にも見られたし、災害時に行政を頼ることができなくなった地域では人々が生きるために自然に発生してきた。アナキストの民主主義論は人々の自由と平等を守るために最も身近な方法であり、かつ共同体を維持するために必要な考え方である。
国家のなかで、私たちは政治や経済といった本来は自分たちの生活に結び付いているものが、行政や政治家や大企業といった一部のシステムによって動かされているという錯覚に陥っている。資本主義のもとでは人々は単なる生産者と消費者の関係に落とし込まれ、産業システムの歯車として組み込まれている。このように人々が無力な個人単位に分断されて権力と資本に従属させられている現代だからこそ、アナキズムの理念に立ち返っていかに「暮らし」を守るために抵抗するかということを考えねばならない。本書はいまの機能不全となった民主主義を再考するために、また自分たちの生活を守るための共同体をいかに作り上げていくかについて、示唆に富んだ一冊ではないかと思う。