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アナルコ・アルカホリズム

「武蔵野五輪弾圧裁判に勝利しよう!五輪有罪!バクチク無罪!3・21関西支援連帯集会」 参加報告

 3月21日に大淀コミュニティセンターで「武蔵野五輪弾圧裁判に勝利しよう!五輪有罪!バクチク無罪!3・21関西支援連帯集会」が開催された。2021年7月16日に武蔵野市で行われたオリンピックの「聖火」セレモニーに対して、会場の周辺の路上で爆竹を鳴らして抗議をした黒岩大助さんが「威力業務妨害」として逮捕・起訴されるという弾圧事件があった。この集会は黒岩さんの抗議行動を全面的に支持するとともに、これからの裁判闘争を含めた反弾圧闘争をたたかう仲間たちに連帯するため、釜ヶ崎トロールの会と自由労働者連合の共催で開かれた。

 集会は自由労働者連合のMさんの集会基調読み上げからスタートした。(1)なぜ黒岩さんは東京オリンピック開催に対して抗議をしたのか、冒頭陳述などによって明らかとなった理由の確認、(2)爆竹を鳴らすことによる東京オリンピックへの抗議が、イベント会社の業務妨害へとスリ替えられて国家権力により弾圧されたことの不当さ、(3)「平和の祭典」を騙って国威発揚ナショナリズムを煽ることによる、世界の労働者民衆を国民国家へと分断するオリンピックそのものの欺瞞性、の3点の問題を明らかにし、結集した多くの参加者の拍手によって支持された。

 次に弾圧の当該である黒岩さんが登壇した。ここでは近代オリンピック・パラリンピックの起原と過去のオリンピックにともなった戦争、虐殺や弾圧が確認され、官民が一体となってオリパラ開催という「例外状態」に便乗した政治プロセスの形骸化やセキュリティ強化がなされるという新自由主義的政策の実行(祝賀資本主義)への批判がなされた。特に「聖火リレー」は1936年にナチスドイツが開催したベルリン大会によって開発されたというナショナリズム扇動の意味合いをもつこと、ベルリン大会後にはナチスドイツが「聖火リレー」のコースを逆進する形でオーストリアズデーテン地方に侵略を進めたという歴史があることの振り返りによって、オリンピックが「平和の祭典」だとして象徴的に開催される「聖火リレー」のまやかしを明らかにしたことが印象的である。

 黒岩さんのあとには釜ヶ崎トロールの会のKちゃんが登壇し、ナチスドイツが開催した1936年のベルリンオリンピックの欺瞞性と、それに対する抵抗闘争の振り返りをした。ユダヤ人の排斥を公然とアピールし、ニュルンベルク法によってユダヤ人の政治的な諸権利を剥奪したナチスドイツが、国際批判の高まりへの懸念から一時的にもユダヤ人迫害を緩めた。ナチスドイツとゲルマン民族の威信を発揚するためのプロパガンダ装置としてのオリンピックを否が応でも成功させるためには、人種差別的政策と反政府活動家に対する人権侵害を一時的にでもやめなければいけなかったのである。これはアメリカやスペインをはじめとする国のボイコット運動や国内におけるナチスへの抵抗闘争が起因している。もちろんこの「民族の祭典」の大成功のあとにはユダヤ人やロマ族に対する迫害や反政府活動の取り締まりの強化がなされたことは言うまでもない。

 一時休憩のあとには明治大学田中ひかるさんが登壇し、スペインのバルセロナで開催される予定だった人民オリンピックにかんする講演がなされた。バルセロナ人民オリンピックは1936年のベルリン大会に対抗するために準備され、この大会ではIOCが主催するオリンピックは軍国主義と戦争を助長しスポーツが軍事や戦争動員に悪用されることへの批判、そしてスポーツのもとで世界中の人民が団結して平和と文化の促進を求めるという意味合いがあった。反ファシズム人民戦線のもとで準備された人民オリンピックにはカタルーニャ自治政府やスペイン共和国政府をはじめとしたさまざまな国から支援が送られ、またバルセロナを中心に展開する自主独立精神とアナキズム運動によって支えられていた。結果的に開会式の2日前に蜂起したフランコ反乱軍に対する闘いにはじまるスペイン内戦によって人民オリンピックは中止となってしまったが、こうした民衆による文化的運動によってファシズムに対して抵抗することが可能であったということは、現在にもわたって重要な意義をもっている。

 質疑応答ではあらためて五輪弾圧が不当であることとこれからの裁判闘争の重要性が確認され、黒岩さん本人が「威力業務妨害」によって逮捕・起訴されたことに対する思いや爆竹によって抗議したことの意味を語った。そして最後の個人・団体アピールでは関西を中心として活動する団体の最近の情勢報告がおこなわれ、ロシアのウクライナ侵攻に対して民兵として戦っているアナキスト大隊・レジスタンス委員会やアナキスト・ブラック・クロスの後方支援といった海外の活動の共有がなされた。集会は終始和やかな雰囲気で進められた。

 オリンピックは「五輪貴族」と呼ばれるような一部の特権的身分がますます肥え太るための装置であり、このようなメガイベントを開催することによる国民国家への統合と「反対派」分断の策動である。このことはオリンピック後であってもNHKの「河瀬直美が見つめた東京五輪」なるインチキ番組で反対派はカネで動員されているとするデマゴーグを流してまで貶めようとすることからも明らかであり、ますますオリンピックによる民衆の分断は深められている。どこそこの国がメダルを何個取っただとか、どのアスリートが好成績を残しただとかいった情報がテレビ・ラジオ・インターネットなどを通じて喧伝され、民衆は歓喜の渦へと無理やり放り込まれて熱狂的にオリンピックに追従することを余儀なくされる。そしてこのオリンピック・フィーバーの裏では都市再開発や野宿者の排除が着々とすすめられ、国家と資本によるジェントリフィケーションはさらなる脅威となる。国威発揚ナショナリズムのためのオリンピックによって民衆はこれ以上振り回されてはならず、また黒岩さんに対する弾圧攻撃も許してはならない。そして東京オリンピックの次には2025年の大阪万博や2030年の札幌オリンピック招致といった「祝賀」が用意されている。こうしたメガイベント開催をはじめとする民衆の抑圧に対して徹底的に闘っていかなければならない。

 

五輪有罪!バクチク無罪!

 

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8.2~8.10 東北・北海道

どこに行ったか忘れそうなので。大部分がTwitterの転載に近いです。

 

8.2 京都→白川郷→富山

・9時くらいの新快速に乗って岐阜方面へ向かう。GWに岐阜へ行き、岐阜駅前や本巣市の方面にかけて「安達としまむら」の聖地巡礼的なものを済ませて以来なので、おおよそ3ヶ月ぶりである。

・岐阜駅で降りて適当にそのへんのドラッグストアで買ったパンを食べて、高山本線で北上する。ロングシートしかなかったので劣っている。飛騨高山というと旅情をかきたてられるものだと思っていたが、電車に乗っていてもそれほど感じられるものではなかった。あと列車の一番前でずっとウロウロしながら写真を撮る鉄宅には辟易とした。

下呂で降りて特急に乗り換える(鈍行で行ってたら白川郷行きのバスに間に合わないので)。下呂駅にいた駅員の態度がずいぶんと尊大だったのに少し腹が立った。乗ったのは「ワイドビューひだ」だったと思うが、さっきまでのロングシートと違ってとても乗り心地がよかったので、今後は特急で移動したいと痛感した。

・15:07に高山駅に着き、15:15の白川郷行きの高速バスに乗り換える。これを逃したらもうバスはないと恐れていたが無事乗車できた。乗客は我々2名しかいなかったことから、そもそも公共交通機関では行くようなところでないことがわかる。

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・1時間ほどして山に囲まれた秘境とも言える白川郷に到着する。同行した友人とともに「ひぐらしのなく頃に」のファンなので、始終その話ばかりしながら探索していた(新作アニメの圭一があまりにもタフネスすぎる話など)。着いた時刻が遅かったこともあり(でも京都から一番早い電車に乗っても16時になるんだよなァ)、ほぼ店などは開いておらず有料エリアにも入れなかったので、また日を改めて行ってみたい。飛騨牛コロッケを食わせろ。

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梨花ちゃまと沙都子が住んでる家のモデル

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鉄平の家はちょっと笑ってしまった

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「嘘だッ!」のところは多分このへんだと思われる

・↑下3枚は1枚目の展望台に上る坂の麓部分に集中していた。アニメの距離感がバグるぞ。あとは古手神社のモデルになっている「白川八幡神社」にも行った。おたくの絵馬がいっぱいあったわね。

 ・あとは適当に蜘蛛の巣だらけのトンネルを歩いたりコンビニに行ったりしながら過ごし、20時前にバスで再び高山駅へ向かった。滞在時間は3時間ほどだが、暗くなると本当に見る場所もなく時間を持て余してしまう。バスは当然のように乗客は我々しかいなかった。またもやギリギリに電車に乗り、ロングシートにイライラしながら富山駅へ向かった。

・富山は去年の12月に来たので8ヵ月ぶりくらいだった。富山はほぼ電車が三セク化されておりJR限定の18切符を使うと袋小路になっているので、夜行バスで新宿まで移動する。疲れておりよく眠れた(睡眠薬飲んだが)。

 

8.3 富山→東京→仙台

・6時半にバスタ新宿に到着し、そんな時刻から東京に住む友人の家に押し掛けるも拒絶されたので秋葉原へ向かう。それが9時過ぎとかで当然ながら店も開いていないので、神田を経て浅草まで徒歩で移動。せっかくだから秋葉原や神保町で色々な店を見て回ればよかったのだが、なんだか虚脱感でなにもかもどうでもよくなっており、テンションがとても低かった。

・2~3時間ほど歩いたのちに浅草寺で知人と別れ、山谷をちょっと歩いてから南千住駅から電車に乗る。しかし軽くしか見ることはできなかったので、今後山谷や渋谷の野宿者運動に参加することがあればそのときにじっくり考えてみようと思う。 

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・1時間半ほど電車に揺られて栃木の小山で乗り換えで降りると、ちょうど近くにラーメンの山岡家がありそうだったので徒歩で移動。京都の人間だから山岡家は知らないんだよな。うまかったが魂心家に近い味だったような気がした。あと地味に駅から遠い。とても日焼けした。

・小山から6時間弱ほど電車に乗り、23時半に仙台に到着する。この道中もずっと固い座席のロングシートで腰が痛かった。仙台駅から近いカプセルホテルに泊まった。

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この日でバスで380キロと電車で357キロの移動だった

 

8.4 仙台→双葉町

すき家で飯を食ったりゲーセンで時間をつぶしたりしたのちに、常磐線で仙台から双葉まで移動する。東北に行ったならば一度は福島第一原発周辺の街並みを見ておきたかったためである。またここに関しては別で思い出しながら文章に起こすなどをしたい。

・12時半くらいに双葉駅に着く。2020年3月の常磐線全線開通に合わせて、この後向かう大野・夜ノ森駅とともに新駅舎が建設されたようで、駅周辺の施設やその目の前にあるロータリーだけは綺麗だった。3月にはこのロータリーでオリンピックの聖火リレーまで開催されたというのだから、駅周辺だけでも復興したというていに見せたい威信が見て取れる。

・散策しながら周辺の街並みを見て回る。レンタサイクルがあると聞いたのに借りられなかった。双葉駅周辺は「特定復興再生拠点区域」として制限なく自由に歩けるが、そこから500メートルも離れたところは放射性物質の中間貯蔵施設が広大な面積を占めている。よって駅以南に行こうものならフェンスに通行が阻まれるし、そもそもそこに居住している人はいない。

・失礼な言い方になるが、双葉駅周辺は震災のときに荒廃したままずっと時を止めている。あるのは半壊した家屋か、すでに解体されて更地になった雑草だらけの空間だけである。解体工事をしている作業員のほかは道行く人もいない。(大野・夜ノ森駅周辺と違って)一般市民でも市街に足を運べることからおそらく除染作業は完了しているのではないかと思うが、「復興」と呼ぶにはあまりにも遠すぎる姿だ。

 ・駅から2キロほど離れたところにある「東日本大震災原子力災害伝承館」も行った。ここは原発災害の復興の資料を保存・展示する施設で、周辺の街の近代以降の歴史を福島第一原発に焦点をあてて解説するなどをしている。

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ここから先は中間貯蔵施設となっている。よく見ると奥に放射性廃棄物の黒い袋が大量に置かれている

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緑色で囲った範囲はすべて中間貯蔵施設でフェンスに囲まれており、一般人は出入りできない

・次に福島第一原発に最も近い(5キロぐらい)大野駅に向かう。この周辺は帰宅困難区域に指定されているため、一部の道路を除いて全域がフェンスに囲まれておりどこにも出入りできなかった。駅から出て1分くらいのところはすでに道路が止められており、原発に接近することも周辺を散策することも不可能である。復興どころか街全体がフェンスに囲まれている大野駅周辺に人が住むようになるのはまだまだ先であろう。

・その後は双葉駅の次にある浪江駅の周辺にあるビジネスホテルに泊まった。浪江駅周辺には普通に人が住んでいる。近くのイオンで買ったチキン南蛮弁当を酒で流し込んで眠った。

 

8.5 浪江町→横手

・朝起きて大野駅の次にある夜ノ森駅へ向かう。「未確認で進行形」の主人公の苗字が夜ノ森ぢゃんなどと考えて勝手に喜んでいたのだが、どうやらWikiPediaによると作者がいわき市に在住でキャラの苗字は福島県浜通りの地名から取っているらしい(そういや大野とか桃内とかそうだったナ)。


www.youtube.com

夜ノ森駅大野駅と同様に、駅の目の前からフェンスに覆われていた。通行可能な道路を残して街のほとんどすべての区画が震災当時のままの姿を残しているのは心苦しい景色である。これまた双葉駅と同様に新しい駅舎に建て替わった夜ノ森駅とは対照的な様子がよくわかる街だ。

・と思いきや、線路の反対側は帰還困難区域から外れているようで、普通に民家に住んだり雑草除去の作業をしていたりする人が見られた。確かに除染作業は終わって家屋も建て替えてあるのだろうが、線路を挟んでこうも景色が変わるものかと唖然としたものである。福島第一原発から10キロも離れていない街で、各所に設置されている空間放射線量の装置を見ても一応は基準値を下回っているが、いやはや…。

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環境省の基準値は0.23μSv/h

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・繰り返すようだが、この2つは100メートルも離れていないどころか線路を挟んでいるだけである。この違いはなんなのだ。

・その後はいわき駅まで南下して磐越東線に乗って郡山へ、そこから磐越西線に乗り換えて会津若松から新潟方面に抜けるか、福島を経由して奥羽本線で山形方面へ抜けるかと考えていた。しかし踏切か信号のトラブルで磐越東線が止まっていたため、仕方なくいわきから常磐線で引き返して仙台、小牛田を経て陸羽東線に乗ることにした。最終的に新庄まで来た乗客は私しかいなかった。

・19時過ぎに着いた新庄で、乗り換えに時間もあるので飲み屋でも行こうと思って近くにある「丹波黒どり農場」に入った。これまでスーパーかコンビニでしか飲食物を買っていなかったので、4日目にして初のちゃんとした飲み屋である。なんで出羽まで来て丹波のモノを食べてるのかと思ったがまあよいだろう。

・その後は奥羽本線で横手まで出て快活に泊まった。

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約400キロってことは東京から仙台より長いんだな


8.6 横手→青森

・快活を例によって7時間59分で退店して一番最初に乗れそうな電車が北上線だったのでそれに乗る。当初は秋田から大館の方に行くつもりだったのだが、駅で待つのが面倒になったためである。北上線は一日の乗降客数が120~30人程度で、ほとんど乗っている人はいなかったのではないか。

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なんでわざわざこんな遠回りしたんだろう

盛岡駅前のラウンドワンで時間を潰したりなんか盛岡城跡に行ったりしたのちに弘前へと移動する。太宰治津軽』を読んで以来、弘前には行ってみたかったのである。弘前城から岩木山を見たり太宰が弘前で住んでいた旧家に行ったりした。弘前市は人口18万人に満たない規模だが、駅前や商店街はなかなかに栄えていた。願わくば大鰐温泉などでゆっくりと過ごしながらもう一度行きたい街である。

・2時間半程度弘前巡検してから青森へと向かう。青森駅からほど近い場所にある、ウィークリー翔系列のホテルに泊まった。一泊2000円と安いのだが、チェックイン時刻があまりにも早いのがネックだ。Wi-Fiもなく薄暗い部屋で吉野家の牛丼を缶チューハイ3本で流し込んで寝た。

 

8.7 青森

・せっかくだから五所川原や金木の方面へ行こうと思っていたが、朝起きてから虚脱感が酷くなにもする気が起きなかったので、昼前までホテルで酒を飲みながらミリマスのドラマCDを聞くなどの行為をしていた。

・散歩がてらamazarashi『空に歌えば』のMVのロケ地になっている公園に行ったり、青函連絡船のメモリアルシップに入ったりした。青森に来たのはamazarashiが好きだからという点が多い(むしろそれくらいしかない)。昼間から海鮮丼をサッポロビールで頂き、そのままホテルで二度寝した。以前に和倉温泉で食べた海鮮丼は大したことなかったが、青森で食べる海鮮丼は今まで食べたなかで一番美味しかった。とても幸せになった。

・それからたまにコンビニに酒を買いに行ったり吉野家に行ったりしてさっさとホテルで寝た。駅前に安いスーパーがないのはいかがなものか。


www.youtube.com

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ここのところ数百キロの移動をしていたのにこの日は2キロぐらいしか歩いてない

 

8.8 青森→むつ→竜飛岬→函館

・とりあえずamazarashiが好きなものとしてむつ市には足を運んでおきたかったので始発に乗って向かった。そういえば青森駅には自動改札があったな(鳥取駅や徳島駅は見習え)。大湊に関しては特筆すべきことはなかったが、次に行くときは恐山や大間の方に抜けるために車が欲しいところである。また原発や核燃料の再処理施設がある六ヶ所村にも行ってみたかったが、あまりにも遠かったので諦める。

・次に一度は竜飛岬にも行っておきたかったので、大湊から青森に引き返して津軽線三厩まで北上する。三厩は一日5本しか列車がないので、遅れたら取り返しのつかないことになる土地である。

三厩駅から竜飛岬までの約13キロはコミュニティバスが出ており、片道100円という破格の値段で乗れる。よく晴れており海と空の青いコントラストが綺麗で、海の向こうに北海道や下北半島も見ることができ、ようやく観光らしい観光のような気がした。太宰治の文学碑も見ることができたし。

・竜飛岬からは再び青森駅へ戻り、快活で汗を流してから23時半発の函館行きフェリーに乗った。学割で1700円ぐらいだったので大変お得。

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手前にあるのは違憲軍の警備所で、かつて日帝の要塞があった。せっかく綺麗な海を見たかったのに興ざめである。

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階段国道」と呼ばれる国道339号

 

8.9 函館→札幌

・3時半くらいに函館に着く。8月だというのに北海道は想像以上に寒かった。フェリーターミナルから函館市街まで4キロほど歩き(道中はじめてセイコーマートを見た)、函館の朝市に行く。500円でわりとしっかりしたカニ丼が食べられたので大変優れている。函館はどことなく長崎や神戸に街並みが似ていたように思う。曇っていたので函館山には登らず、また気力もなかったので立待岬にも行かなかった。

・次に路面電車五稜郭へ向かう。ゴールデンカムイでちょうど五稜郭に立てこもるシーンを読んだところだったので大変趣深かった。五稜郭の中はこれといってなにもない空間に函館奉行所があるのみで、横の展望タワーから見る方が壮大である。

・函館奉行所のなかの歴史展示物は函館戦争をどちらかというと新政府側に立って説明しているのに対し、展望タワーの中の展示は旧幕府軍を擁護する立場であるような印象を受けたのが面白かった。土方歳三の像とかも置いてたし。 

・11時に北海道の玄関口たる函館駅(青函トンネルがあるいまはその役割もあまり果たしてないが)に戻って長万部に向かう列車に乗る。北海道まで来ると東北ではあまり見なかった鉄宅が多く、やけにカメラを構える姿を見たためあまりよい気分がしなかった。北海道の列車は暖房のためかデッキつき二重扉になっているが、走行中に開け閉めして写真を撮るなどはしないで欲しいものである。

・鉄宅に対する怒りは長万部駅で頂点に達した。別になにかされたというわけではないのだが、室蘭経由で札幌に行く電車が来たタイミングで我先にと改札に向かう鉄宅20人ほどを見て同じ車両に乗っていられるものかと弾け飛んだ。

・その列車は見送ることにして、小雨が降るなかセイコーマートに酒を買いに行く。追加で1時間ほど長万部駅で飲酒しながら小樽行きの列車を待った。小樽には3時間ほど座りっぱなしのうえスマホの充電も少なく、日が暮れてろくに景色も見れないまま(そもそもあまり景色を楽しむタイプではない)鉄宅に対する怒りを沸々と湧き上がらせながら乗車していた。

・小樽は小林多喜二の故郷でもあり巡検したかったのだが、夜に雨のなか宿を求めて歩くのも面倒だったのでそのまま札幌へ向かった。次は小樽もちゃんと行きたい。札幌ではアパホテルに泊まり、飲み屋でも行きたかったが「まん防」で飲食店が軒並み閉まっていたので(すすきのは結構営業していたようだが…)、札幌駅前通松屋でテイクアウトを頼んで缶チューハイを煽り眠った。

 

8.10 札幌→大阪

・起きたら9時半を過ぎていたのでホテルの朝食が食べられなかった。適当に周辺を散策して二条市場で海鮮丼を食べた。これまた肉厚でとてもうまい。

・その後は「水曜どうでしょう」の聖地でもある、旧HTB社宅とその横にある平岸高台公園に行った。やはりここも味わい深い。

・札幌駅周辺でゲームセンターに行ったりラーメンを食べたりして、繁華街で時間をつぶしながら飛行機の時間まで過ごそうとしていたが、いざというタイミングで札幌→新千歳空港の電車が大雨の影響で止まっていたため急いでバスの行列に並んだ。これがなければより札幌周辺でだらだらと過ごせたに違いない。

・その結果思ったより早く新千歳空港に着いてしまったので空港でビールを飲むなどして適当に時間を潰した。また乗る予定だったジェットスターの便も1時間ほど遅れていた。この日からむつ市や函館は大雨に見舞われていたので、あと1~2日日程が遅ければ大変な目に遭っていたことだろう。

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三池炭鉱跡に行ったやつ

はじめに

色々あって熊本に2週間ちょっと滞在しており、その期間中に1日かけて大牟田の三池炭鉱の跡をいくつか回ってきた。前日に久しぶりに大量飲酒したせいでとても頭がガンガンしていたが、なんとかギリギリ電車に乗って事なきを得たのだった。大牟田駅前に観光案内所があるので、回るならばそこでレンタサイクルを借りると良いかも(クロスバイクがおすすめ)。

 

そもそも三池炭鉱とは、長崎の軍艦島などと並んで1873年から西洋技術を取り入れ近代化されてきたところであり、当時は日本一の出炭量を誇った大規模な炭鉱である。八幡製鉄所や長崎周辺の遺産とともに「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されている。まあこの遺産は、日本の発展を支えたという明るい側面と同時に、日本帝国主義の根本となり実際ここで強制労働が行われた点などは見過ごしてはならないと思うが、ここでは割愛。(→軍艦島に関しては過去記事参照)

戦後、この大規模な炭鉱は人員削減が原因となる、「総資本対総労働の対決」と呼ばれた大規模な労働争議が1960年に起こるなどの舞台にもなる。労働歌「がんばろう」などは有名。その後石油へのエネルギー転換を踏まえて徐々に規模は縮小し、1997年に完全閉山となる。

 

すべての遺構を回れたわけではないが、地図にリストアップされているもののうちいくつか回ることができたので、その様子を写真とともに紹介したい。

 

  

1. 有明海

干満差が日本一だと言われる有明海。ここの岸壁にヤクザが人を張り付けて、満ち潮になると徐々に溺死させるという話を幼少のころ聞いたことがある。私が行ったときはあまり天気もよくなく、やや時化気味だったと記憶している。

対岸にはうっすらと長崎の島原や鹿島のあたりが見えていたので、晴れている日に行けばもっと景色はよいことだろう。また港町あるあるというばそうなのだが、寂れた工場跡やその上空を旋回するカラスの群れなんてものもたくさん見ることができるのでオススメ。

 

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 2. 大牟田市石炭産業科学館

有明海からすぐそばに建っている。この後に色んな炭坑跡に行くが、どの案内員もここのことを言っていたので、まずはこの石炭産業科学館に寄ると色々とわかりやすいだろう。内容は明治以降の炭坑労働技術の変遷や掘削機の開設、また三池炭鉱自体の歴史を振り返るものである。炭坑エレベーターを模した展示や、三池炭鉱労働組合の実物資料なども置いているので見ごたえがある。また企画展としてちょうど三池闘争の資料展をやっていたので、とてもよい(語彙力)。

 

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3. 三川坑

さっきの科学館からほど近い場所にある。ここに行く道中にバカでかいイオンモールがあるのだが、これも炭坑跡・工場跡のジェントリフィケーションの一環なのであろうか。

さて、三川坑は1940年に開坑した比較的新しめの坑である。三池闘争においてはここのホッパー(※鉱石や砂利を貯めておくための槽、これがなければ採掘しても保管する場所がない)の防衛が最後の決戦場になったり、1963年には1200人以上の死傷者が出た大規模な炭塵爆発事故が起こったりと、様々な出来事の舞台になった場所である。ちなみにこの事故は、クラウドファンディングによってわりと最近慰霊碑が建立されたそう。

ここは「明治日本の産業革命遺産」という世界遺産には登録されていない坑なので荒廃も激しいものではあるが、当時のままの姿を残しているという点ではむしろ貴重なのではないかと思う。そもそもこの世界遺産登録自体もなんだか「産業革命」の明るい面しか見ていない気もするのだが…。

 

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1995年からずっと時は止まっている

 

4. 万田坑

ここは熊本の荒尾の方にあるが、まあそんなに長距離移動ではない。三川坑からだいたい自転車で20分くらい。ここは世界遺産に登録されているところで、かなり大規模な跡ではある。またこの万田坑のパンフレットはそこそこの分量を割いて、三池炭鉱の歴史において植民地支配をしていた朝鮮や中国の人々や連合国捕虜を強制労働させていた事実にも触れている。

万田坑は1902年から出炭が開始され、採掘や坑内水排出などの役割を閉山まで担ってきた施設であるらしい。近くには万田炭鉱館という小規模な資料館もあり、蔵書などが豊富であったので、興味があれば行ってみるとよいと思う。いまは修繕工事などをしているので、数年も経てばやや綺麗な状態で見れるのではなかろうか。

 

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総評史や三池闘争の写真集などたくさんあるぬ

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5. 久保清さん殉難の碑

ちょっと遠いのと、場所が分かりづらい。成田山なんとか寺の中にある。目の前に大規模な遊園地があり、道路を曲がると突然現れるので笑ってしまった。

久保さんは三池闘争において四山坑前でピケを張っているさいに暴力団の襲撃に遭い、刺殺された労働者である。これは大学紛争における体育会系や右翼による襲撃や、山谷争議団と金町一家の抗争などと一体である、資本-権力-暴力団の関係を詳しく洗わなければならない事例ではあるのだが、ここでは割愛。

 

 

6. 勝立坑跡

明治からここは使われていたらしいが、1928年に閉坑したらしく、壁のようなものしか残っていなかった。

 

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駐車場になっている

 

7. 解脱塔

三池炭鉱では戦前、囚人と良民坑夫、そして与論島労働者がメインであった(※1)。特に囚人は低廉かっ供給が安定しており、この近隣に集治監を建てて労働力を確保していたわけだが、ここで命を落とした囚人労働者を葬るのがこの解脱塔である。

 

 

8. 宮原坑

一応ここも世界遺産。1901年に完成、揚炭や入気や排水の役割を担うも、四山坑や宮浦斜坑の開削によって1931年に閉坑。鉄製の櫓などが見ものであり、世界遺産登録にともなって保存状態はやや改善したらしい。ここのすぐ横には炭鉱専用鉄道敷跡の枕木が残る。またここのすぐ近くには、前述の集治監の壁跡も残存している。

 

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9. 宮浦坑

煙突と人を運搬する列車、掘削機などが保存される公園になっている。またここには中国人労働者の犠牲者の慰霊碑も建てられている。

 

 

おわりに

まだすべてを見て回れたわけでもないし、時間的制約上あまりじっくりと見学できたといえるわけではないが、とりあえず雰囲気だけでもつかむことはできたかなと総括できる。三池闘争の研究や、筑豊寄せ場などと絡めた「下層労働者」の検証などを踏まえながら、これを糧として更に色々と見ていきたい。また単純に観光地としてもおもしろいところではあるので、これ以降に周辺を見て回る人の役に立てばよいなと思う。

 

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おみやげ。

 

 

※1 田中智子「労働者の特性にみる戦前の三池炭鉱における労務政策の変遷と労働者の抵抗に関する考察」『佛教大学大学院紀要 社会福祉学研究科篇 第37号』、2009年、37-42頁

旅とアニメと

レポートや論文の締め切りが近づいてきたら現実逃避で駄文を連発したくなる。出席点すら怪しい科目のレポートを必死こいて書いたところで、結局は落単確定で徒労なのかもしれないと思ってしまうと本当にモチベが失われてしまう。とてもつらい。

 

いまはとある小規模な個別指導塾でバイトをしているのだが、人に教えることを意識して勉強することでより知識が定着するというのは本当のようで、受験期よりも数学や古典が滞りなく理解できるようになってきている。ただ単に解説する問題が簡単だからそんな気がしてるだけなのかもしれないけど。

 

まあ、とはいえ2月には辞めるつもりだ。塾長とすこぶる関係が悪いのと、生徒が一向に成績が伸びず怒られが発生して面倒になったからである。せいぜい大学生がアルバイトでやってる授業なんかに成績向上を求めるなと思うのだが。受験対策などは大手予備校のプロか学校の教師にでも求めたらよろしい。親戚の子供などが塾に行くなど言いだしても、個別塾なんてもんは実情こんなクソ適当オタクでも勤まる程度のものなのは明白なので、絶対に勧めないことだけを学んだ。

 

いまで大体500字ぐらいです。レポートもこれぐらいのスピードで埋められたらいいね。

 

2月下旬にある安達としまむらのイベントに無事当選して昨日お金も払ってきたところなのだが、このコロナの状況を見てたら本当に開催できるのかととても危ぶんでいる。なんかよくわかんないけど政府が宣言とか出してるし。実は私はコロナのワクチンの治験をやっているので多分抗体を持ってると思うのだが、とはいえ家に持ち込んで家族が感染したりなどしたら厄介なので、不必要な外出はなるべく控えるようにしている。あと寒いし。面倒な誘いなどはたいていコロナを理由にこじつけるとなんとか許される風潮ができているのと、まったく大学に行かなくてもオンライン授業で済ますことができるのは、結構ありがたいものだなあと思う。

 

安達としまむらである。よく安達は「童貞」やら言われているがこれは微妙に解釈の不一致ではないか。童貞は、もっと下心丸出しでスキを見ればヤリのモクのことしか考えることができない、それでいて相手の事情も人間性も配慮することができずただ表面的なコミュニケーションに終始し、またその偏狭な視野とプライドが行動をはばむまま誰かとの関係性を自ら勝ち取ろうという気概もなく、しかしながらこうして培われた自意識の高さのあまり自身の魅力を過大評価することですぐに相手からの好意を勘違いして醸造してしまう、自己憐憫と自意識とコンプレックスでできたフランケンシュタインなのである。安達は多少挙動不審なところや視野狭窄なところはあるが、一方こうしたところには自覚的であり、またしまむらという一人のために一途に真剣に向き合って泥臭く苦悩するので、上記のような童貞とは似て非なるものなのであることは明白なのだ。

 

前のブログで書いていた渋谷の安達としまむらの展示会は、そのときの東京のコロナ感染状況をみてさすがにいま東京に行くのは無謀すぎると思っだので、急遽北陸・長野・名古屋の旅に変更したため行けなかった。とても残念。いきたすぎワロタだったんですけどね。

 

なんやかんやでコロナ感染状況を自己規範に取り入れているところもあって、行こうと思っていた一人旅を取りやめにするようになりつつある。もともとの予定だったらいまごろは奈良の山奥か敦賀の海沿いに旅して、そこでレポート執筆と洒落こもうじゃないかと思っていたのだが。さすがに大阪から来たキモオタク一人が観光もせずに街をウロウロするのは申し訳なさのようなものも感じるからなあ。夏でも定期的に旅に行ってたのでこの期に及んでという気もするが。

 

 

全然まとまりがつかないですね。メモ程度に今後行こうかなと思っているところをいくつかあげて終わろうと思います。

①門司

北九州。なんか全体的に街がレトロな感じでいいらしい。あと気になっているインフォショップがある。公共交通機関で行けるのかわからないが、カルストも近くにあるんだとか。行きたい。

 

②伊東

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なんかヤバい展示があるらしい。あと温泉とかある。静岡でいうと「さわやか」のハンバーグも食べたいっすね。

 

与那国島

かねてから台湾に行きたいと思っているのだがあと数年は無理そうなので、少しでも近づきたい。石垣島までLCCで行ってそこからフェリーに乗れば、意外と安く行けるらしい。

 

④悪石島

トカラ列島。前に対馬に行ってから離島に行きたさがすごいので、とりあえず字面がおもしろいこの島に行きたい。なにがあるんだろう。トカラ列島では、次点で中之島に行きたい。大阪の中之島なう!wとかいって、この島の写真をアップするくそつまんないやつをやりたい。

 

⑤八丁小屋

京都市の京北というクソ僻地にある廃墟。京都市中心部から40キロぐらい離れている。登山するぐらいの場所にあるので、ここに行くんだったらぶっ壊れた登山靴をなんとかしないといけないわね。三角形の建物がひとつある。

 

野迫川村

さっき「奈良の山奥」って書いてたのはココ。奈良の自治体のなかで一番人口が少ないらしく面白い(300人ぐらいらしい)。「野迫川」という川は存在しないのもポイントが高い。

 

⑦網走

名前の漢字と監獄があるのがウケる。

 

⑧蕨

なんとなく。

 

青ヶ島村

離島。

 

⑩本巣

安達としまむら

骨壺

いまとなってはかなり前、寺のバイトで、500個ぐらいある骨壷をひたすらに納骨堂の棚に収納していく作業をしていた。一生ぶんの骨壷を触ったと思う。10畳くらいの小さな堂で仏壇を囲うように、壁一面びっしりとここ数ヶ月以内で死んだ人間の骨が入った壺が並んでいる光景は、思ったよりも重苦しくも愉快でもあった。実際遺族でも納骨堂には入れなくて、寺の従業員と坊主のみ許されるその空間に足を踏み入れられるだけでも、十分ワクワクするからである。

 

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身近な人の火葬や納骨をしたことがある人はすぐにわかると思うが、骨壺のなかにはぱりぱりとした真っ白いポテチみたいなものがギッシリと詰まっている。にわかにはそれが人骨であるとは信じがたい。しかし焼いて灰になればみなあんな姿になる。これはニヒルな諦観などではなく、どことない恐怖感だ。

 

私はいまは死にたいとは思わない。だが結局死んでポテチみたいな残りカスになるのであれば、なにか自分の魂が報われるような葬られかたがいい。たとえば、海にすり潰した骨を撒く散骨とかいうのがあるらしい。木の苗と一緒に埋まって養分となる話も聞いた。

 

ところで骨は成分として結構カルシウムやらカリウムが含まれているらしい。墓場の火の玉は、昔は土葬だったのでそのまま残っている骨のカリウムが軽く反応して火がついていたのではないかという説もある。それが本当ならば、花火と一緒に私の骨を混ぜてもらうことも可能なんじゃないだろうか。

 

でかい三尺玉に混ざる私の骨。花火とともに私の骨も打ち上げられてドカーンと気持ちよく爆発して、綺麗な火の粉と消えていったとしたら魂も報われることだろう。肉体は魂の牢獄だそうで、その根幹たる骨が雲散霧消したらたまんないだろうな。誰か私の喉仏とかを粉にして花火にしてください。

 

 

安達としまむらのアニメが良すぎて最近毎日つらい。古参ヅラしておくと、私は安達としまむらを刊行当初くらいからずっと推し続けているので、この気持ちは筆舌に尽くしがたい。グッズとかCDとかいっぱい求めちゃうで、通学のバス定期を買う資金がなくなってしまった。でもまあ通学と安達としまむらをテンビンにかけたらどちらに傾くかと考えたら答えは明白ですよね。

 

 

ちょうど12月の最初に東京に行くと思うので是非ともこれに行きたいですね。とてもよい。つらい。

 

 

大学でできた知り合いに「老子とか好きそう」と言われた。いや実際老荘思想についてはかなり共鳴するところがあるので、その通りだと頷くしかないのだが。「老子とか好きそう」って、オタクを揶揄するときに言うシリーズ(例・「すき家でチーズ牛丼食ってそう」とか)のなかでもかなりヘビーなやつだと思う。

 

老子の考え方として『小国寡民』が代表的に挙げられるが、これを現代に生きる人間関係に当てはめてみると、タダの狭い人間関係に収めようとする閉鎖的な猿山の大将のようなもんじゃないのだろうか。遠回しに社会に適応できていないわよと言うも同然かもしれない。

 

最近バイト先の雰囲気にもまったく馴染めなくてとても居心地の悪さを感じるし、どうにかして上手いことコミュニケーション的なアレを向上させたいわねと思いつつも、そこまでのキャパシティを持ちあわせていないのがとても難点である。なんとかならんかな。

 

大阪都構想が頓挫した。ザマーミロ。

 

 

追記 火の玉はカリウムではなくリンらしい