yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

三池炭鉱跡に行ったやつ

はじめに

色々あって熊本に2週間ちょっと滞在しており、その期間中に1日かけて大牟田の三池炭鉱の跡をいくつか回ってきた。前日に久しぶりに大量飲酒したせいでとても頭がガンガンしていたが、なんとかギリギリ電車に乗って事なきを得たのだった。大牟田駅前に観光案内所があるので、回るならばそこでレンタサイクルを借りると良いかも(クロスバイクがおすすめ)。

 

そもそも三池炭鉱とは、長崎の軍艦島などと並んで1873年から西洋技術を取り入れ近代化されてきたところであり、当時は日本一の出炭量を誇った大規模な炭鉱である。八幡製鉄所や長崎周辺の遺産とともに「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されている。まあこの遺産は、日本の発展を支えたという明るい側面と同時に、日本帝国主義の根本となり実際ここで強制労働が行われた点などは見過ごしてはならないと思うが、ここでは割愛。(→軍艦島に関しては過去記事参照)

戦後、この大規模な炭鉱は人員削減が原因となる、「総資本対総労働の対決」と呼ばれた大規模な労働争議が1960年に起こるなどの舞台にもなる。労働歌「がんばろう」などは有名。その後石油へのエネルギー転換を踏まえて徐々に規模は縮小し、1997年に完全閉山となる。

 

すべての遺構を回れたわけではないが、地図にリストアップされているもののうちいくつか回ることができたので、その様子を写真とともに紹介したい。

 

  

1. 有明海

干満差が日本一だと言われる有明海。ここの岸壁にヤクザが人を張り付けて、満ち潮になると徐々に溺死させるという話を幼少のころ聞いたことがある。私が行ったときはあまり天気もよくなく、やや時化気味だったと記憶している。

対岸にはうっすらと長崎の島原や鹿島のあたりが見えていたので、晴れている日に行けばもっと景色はよいことだろう。また港町あるあるというばそうなのだが、寂れた工場跡やその上空を旋回するカラスの群れなんてものもたくさん見ることができるのでオススメ。

 

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 2. 大牟田市石炭産業科学館

有明海からすぐそばに建っている。この後に色んな炭坑跡に行くが、どの案内員もここのことを言っていたので、まずはこの石炭産業科学館に寄ると色々とわかりやすいだろう。内容は明治以降の炭坑労働技術の変遷や掘削機の開設、また三池炭鉱自体の歴史を振り返るものである。炭坑エレベーターを模した展示や、三池炭鉱労働組合の実物資料なども置いているので見ごたえがある。また企画展としてちょうど三池闘争の資料展をやっていたので、とてもよい(語彙力)。

 

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3. 三川坑

さっきの科学館からほど近い場所にある。ここに行く道中にバカでかいイオンモールがあるのだが、これも炭坑跡・工場跡のジェントリフィケーションの一環なのであろうか。

さて、三川坑は1940年に開坑した比較的新しめの坑である。三池闘争においてはここのホッパー(※鉱石や砂利を貯めておくための槽、これがなければ採掘しても保管する場所がない)の防衛が最後の決戦場になったり、1963年には1200人以上の死傷者が出た大規模な炭塵爆発事故が起こったりと、様々な出来事の舞台になった場所である。ちなみにこの事故は、クラウドファンディングによってわりと最近慰霊碑が建立されたそう。

ここは「明治日本の産業革命遺産」という世界遺産には登録されていない坑なので荒廃も激しいものではあるが、当時のままの姿を残しているという点ではむしろ貴重なのではないかと思う。そもそもこの世界遺産登録自体もなんだか「産業革命」の明るい面しか見ていない気もするのだが…。

 

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1995年からずっと時は止まっている

 

4. 万田坑

ここは熊本の荒尾の方にあるが、まあそんなに長距離移動ではない。三川坑からだいたい自転車で20分くらい。ここは世界遺産に登録されているところで、かなり大規模な跡ではある。またこの万田坑のパンフレットはそこそこの分量を割いて、三池炭鉱の歴史において植民地支配をしていた朝鮮や中国の人々や連合国捕虜を強制労働させていた事実にも触れている。

万田坑は1902年から出炭が開始され、採掘や坑内水排出などの役割を閉山まで担ってきた施設であるらしい。近くには万田炭鉱館という小規模な資料館もあり、蔵書などが豊富であったので、興味があれば行ってみるとよいと思う。いまは修繕工事などをしているので、数年も経てばやや綺麗な状態で見れるのではなかろうか。

 

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総評史や三池闘争の写真集などたくさんあるぬ

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5. 久保清さん殉難の碑

ちょっと遠いのと、場所が分かりづらい。成田山なんとか寺の中にある。目の前に大規模な遊園地があり、道路を曲がると突然現れるので笑ってしまった。

久保さんは三池闘争において四山坑前でピケを張っているさいに暴力団の襲撃に遭い、刺殺された労働者である。これは大学紛争における体育会系や右翼による襲撃や、山谷争議団と金町一家の抗争などと一体である、資本-権力-暴力団の関係を詳しく洗わなければならない事例ではあるのだが、ここでは割愛。

 

 

6. 勝立坑跡

明治からここは使われていたらしいが、1928年に閉坑したらしく、壁のようなものしか残っていなかった。

 

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駐車場になっている

 

7. 解脱塔

三池炭鉱では戦前、囚人と良民坑夫、そして与論島労働者がメインであった(※1)。特に囚人は低廉かっ供給が安定しており、この近隣に集治監を建てて労働力を確保していたわけだが、ここで命を落とした囚人労働者を葬るのがこの解脱塔である。

 

 

8. 宮原坑

一応ここも世界遺産。1901年に完成、揚炭や入気や排水の役割を担うも、四山坑や宮浦斜坑の開削によって1931年に閉坑。鉄製の櫓などが見ものであり、世界遺産登録にともなって保存状態はやや改善したらしい。ここのすぐ横には炭鉱専用鉄道敷跡の枕木が残る。またここのすぐ近くには、前述の集治監の壁跡も残存している。

 

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9. 宮浦坑

煙突と人を運搬する列車、掘削機などが保存される公園になっている。またここには中国人労働者の犠牲者の慰霊碑も建てられている。

 

 

おわりに

まだすべてを見て回れたわけでもないし、時間的制約上あまりじっくりと見学できたといえるわけではないが、とりあえず雰囲気だけでもつかむことはできたかなと総括できる。三池闘争の研究や、筑豊寄せ場などと絡めた「下層労働者」の検証などを踏まえながら、これを糧として更に色々と見ていきたい。また単純に観光地としてもおもしろいところではあるので、これ以降に周辺を見て回る人の役に立てばよいなと思う。

 

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おみやげ。

 

 

※1 田中智子「労働者の特性にみる戦前の三池炭鉱における労務政策の変遷と労働者の抵抗に関する考察」『佛教大学大学院紀要 社会福祉学研究科篇 第37号』、2009年、37-42頁