暗渠

やく~とさん@ひとりごと

8.6広島平和祈念式典反対行動の記憶

先日、アナキスト系の「8.6広島集会実行委員会」の主催する広島平和祈念式典への反対行動に参加したので、そのことをここに記しておきたいと思う。なぜ私たちは平和祈念式典に反対するのか、それは一体どのような行動であるのかについて、あるいは今後興味をもった人が雰囲気を知るためとして役立てば幸いである。

毎年のことではあるが、8.6広島の平和記念公園周辺にはいくつもの団体が集まってスピーカーなどを使った抗議行動を行っている。見たところ最も人が集まっているのが中核派系(今年は特に多かった気がする)、解放派現代社派と赤砦社派(両方とも青ヘルメットにゼッケンをつけている)、関西共同行動や部落解放同盟といった市民運動系、日蓮宗系の僧侶、あとは私たちアナキスト系といったところか。こうした抗議行動は「静かに祈る日だ」といった言説によって、これまた毎年のように物議を醸している。とうとう2021年に制定された「広島市平和推進基本条例」という条例の第6条2項では、平和祈念式典は「厳粛の中で行うものとする」とされ、周辺でスピーカーなどを使用して抗議することが難しくなってきているようである(これには憲法19条の保障する思想良心の自由、憲法21条の保障する表現の自由を侵害するのではないかとする批判もある※1)。

 

まずはなぜ私が8.6広島の平和祈念式典に反対するかについて簡単に述べておこう。第一に日本政府の言動不一致である。出席した岸田首相の挨拶を読めば、なるほど確かに核兵器のない世界と恒久平和の実現への追求が見て取れるかもしれない。もしくは犠牲となった人への哀悼の意、後遺症に苦しむ人へのお見舞いの気持ちがあるかもしれない。しかし現実に日本政府がやっていることといえば、憲法9条を変えて自衛隊を明記するといった改憲策動、2014年の集団的自衛権行使容認や2015年の戦争法成立など、おおよそ平和の実現とは程遠い軍事国家化と戦前回帰である。そして「唯一の被爆国」でありながら核兵器禁止条約には参加せず、むしろアメリカの「核の傘」に頼り核共有の議論まで起こっている。一体これでどの口で平和祈念式典で挨拶をするのかと考えると、到底日本政府が主導して式典を挙行することに義があるとは思えないのである。政府が平和を祈るのであれば、まずは平和を実現するための主体的な行動を取らなければならない。

第二は原爆犠牲者の画一化・隠蔽の恐れである。多くの良心的市民の皆さんが8時15分に黙祷を捧げて原爆の犠牲者を追悼し、平和を祈るように、この日が大切な日であることは間違いない。こうした市民の態度は一切否定しないし、むしろそうでなくてはならないものだと思う。市民が黙祷するとき、たとえば近親者に犠牲者がいる場合はその人のことを考えるだろうし、そうでなくても市民的道徳として犠牲者を思い浮かべて死を悼むことだろう。こうして市民が広島の記憶を残し続けることは核兵器の廃絶と世界平和へとつながる一歩であることは言うまでもない。

しかし市民一人ひとりや有志団体が黙祷を捧げることと、政府が主導して平和祈念式典で黙祷を捧げるようにすることは大きな違いがある。政府が黙祷し平和を祈るとき、約11万人とも言われる犠牲者を十把一絡げにして、大きな数の犠牲者のなかに隠蔽されてしまう。そこにはただ広島の町に暮らしていた無辜の日本人、強制連行されてきた朝鮮人や中国人、アメリカ人の捕虜など、様々な犠牲者がいるにもかかわらずだ。政府が犠牲者をひとまとめにして平和を祈るための材料とするとき、悲劇の広島という「大きな物語」の中にすべて回収されていってしまう。これではもはや犠牲者一人ひとりに対して向き合うことはできず、ただ漠然とルーティンのように黙祷が繰り返されるだけではないだろうか。政府がやるべきは黙祷ではなく、被爆者への救済や実態調査、そしてなにより犠牲者に対する謝罪といった事実行為で向き合うことなのである。

第三にそもそも何に対する平和祈念なのかということだ。そこが平和祈念式典では曖昧にされ続けている。原爆投下とは、地震や洪水といった自然災害と違って、なにかしらの人為的な作為の結果による悲劇である。そしてその作為とは、日本が朝鮮と中国を経て東アジアを侵略してきた帝国主義、そのあげく無謀にも対米戦争を起こしたことによるアメリカ軍の攻撃の結果である。原爆投下は落としたアメリカ張本人のみならず、日本帝国主義によって引き起こされた悲劇なのだ。平和を祈念するのであればまずは日本帝国主義に対する反省がなくてはならない。しかし日本政府はかつての植民地支配に対して謝罪と賠償をしないばかりか、冷淡な態度を取り続けているではないか。徴用工問題を、従軍慰安婦問題を見よ。そして政府にも跋扈する歴史修正主義者を見よ。日本政府は一貫して植民地支配に対して真摯に向き合ったことなどないのである。平和について考えられるとき、往々にして食らった被害とその悲劇についてばかり取り上げられるが、かつて日本帝国主義によって加害を繰り返してきた歴史についてはほとんど触れられない。平和を祈るのであればまずは加害の歴史に対してしっかりと向き合い、二度とそのようなことを繰り返さないことを誓わなければ、その言葉は空虚なままであろう。

細かいところを置いておけば、反対する理由としてとりあえずはこんなもんだ。といっても戦後民主主義の落とし子であるリベラルにとって「しかし平和祈念式典で騒ぐのは…」という違和感はあるだろうし、私としてもまだまだ考えねばならないことが多い。しかし少しでも平和祈念式典に反対する人の意図がわかってもらえると幸いである。8/6も8/9も8/15も、悲劇を追悼し黙祷する日ではなく、こうした意図のもとに反戦運動を闘わなければならない日なのだ。

 

 さて、難しい話はここまでにして、行動の前後の話に移ろう。時は8/5、前日の夜である。私たちは大阪から車3台に分乗して広島へ向かった。アナキストはみんなカネがないので、高速道路ではなくずっと下道を走っていった。途中コンビニで休憩したときに、そろそろ車を出すというときに突然カップラーメンに湯を入れ始める奴(「左派過食主義者」らしい)や運転しないのをいいことに酒を飲み始める奴もいたが、おおむね行程は好調で6時過ぎには広島に入った。近くのコインパーキングに車を停めて準備をし、広島のアナキストの人たちと合流をする。例年は原爆ドーム周辺で他の団体と同じように行動に移っているようだが、今年は少し離れて元安橋付近での行動となった。日本第一党のバカが「八・六反日左翼に負けるな!広島大決戦」などと称して無政府主義者を名指しで攻撃することを予告していたが、そのせいか遭遇しなかった。今年はスピーカーを使わず、プラカードと横断幕によるサイレントのスタンディングであった。式典参加者は物珍しそうに見る人もいればそのまま素通りしていく人もいたが、ビラの受け取りは順調であったと思う。8時15分より少し前には元安橋を渡って公園内へと移動し、いままさに式典が行われている裏での反対行動となった。少しでも私たちの思いが届いていればいいなと思う。

ヒエ~~ッッッ

 8時15分を過ぎると一旦コインパーキングへと戻り、他の団体がシュプレヒコールをあげているのを聞きながら10時からのデモの準備に移る。個人的には赤砦社派を見ることができたのがよかった。若者の何人かは黒いヘルメットをかぶり、ノンセクトあるいはアナキストとして反戦運動を闘い抜く決意をあらわにする。集合場所に着くと想像以上に警察が多いことに若干面食らったが、すぐに全員で士気を高めてデモに移った。黒い横断幕と黒旗を先頭にし、「広島の歴史を忘れるな!」「岸田政権の改憲策動を阻止するぞ!」「全世界の民衆と連帯して闘うぞ!」などといったシュプレヒコールのなかがっちりとスクラムを組み、笛の音とともにわっしょいわっしょいと進むというスタイルだ。途中で警察のデモ参加者への妨害がありながらも、全員無事に反対行動と反戦反核運動を打ち抜いた。道行く人の反応もよく、あるいは他の団体では見ないようなアナキストの戦闘的なデモに興味津々な様子であった。

 昼からは「広島の戦後復興を問う!8・6広島集会」を開催し、戦後復興期の広島の住宅・労働・ジェンダー問題に関する講演、広島の平和記念公園が設置されるにあたって強制移転させられた墓地や供養塔や慰霊碑をめぐる話、ABCCのやってきた体のいい人体実験の話、現在の基町周辺にあった原爆スラムに関する話などで議論が行われた。徹夜で移動してきたというのもあり眠気から死屍累々になっていたが、広島のアナキストとの交流・議論を通じて広島の戦後復興について、またアナキズム運動について考えるよい機会となった。個人的には平和記念公園が作られるときに景観にそぐわないとして移転させられた墓や設置が認められなかった韓国人慰霊碑の話を聞き、「平和都市」として戦後復興を遂げてきた広島の欺瞞性とそれによって隠された犠牲者について考えさせられた。

翌日は朝7時に集合し、元々軍事施設だった宇品の施設やABCCが置かれていた比治山、原爆スラムがあった基町などをフィールドワークした。原爆スラム跡は団地が立てられ、体育館や公園といった公共施設が建設されている。スラムの排除後にはこうした施設が置かれることはよくあり、元をたどればいまの平和記念公園も戦後スラムがあったところに作られている。広島の戦後復興からはなかなか見えてこないスラムや排除といった問題は、やはり掘り返さなければ分からなくなる暗部であることを実感した。

ABCC跡(現・放射線影響研究所)

基町の団地と再開発でサッカースタジアムが立てられるスラム跡




※1 http://www.jcp-hiro-shigi.jp/parliament/4565