暗渠

やく~とさん@ひとりごと

『くらしのアナキズム』雑感

アナキズムというと「無政府主義」と訳されるように国家を転覆するラディカルな思想であるように捉えられたり、あるいはヘイマーケット事件やサッコ・ヴァンゼッティ事件のようにアナキストには爆弾テロや強盗のイメージがなすりつけられていたりする。しかし本書はマルセル・モースの『贈与論』やデヴィッド・グレーバー、ジェームズ・スコットといった文化人類学者の研究から、国家から逃れて生きる人々の「暮らし」に焦点を当ててアナキズムを論じる。筆者は鶴見俊輔の言葉を引用してアナキズムを「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」(p.24)と定義し、アナキズムの原点である相互扶助社会の建設(の挫折)と国家の支配に対する抵抗について考えていく。
アナキズムは第一にあらゆる権力による強制に対して抵抗するが、権力は国家権力のみならずあらゆる関係に内在するものだ。権力による強制は国家のみに生じるのではなく、また体制への抵抗のもとより身近な場で抑圧が発生する可能性すらある。そこで筆者は普通の人々の生活のなかで育まれてきた共同体としての実践論に問題解決の糸口を見出す。
たとえば行商人らと町人が売買し交流するかつての市場(いちば)とは世俗の主従関係から切り離された非日常的な空間であり、平等が原則とされる自治空間が成立していたと指摘する。市場(いちば)とは寺社や教会などの宗教的な場と密接な関係をもち、その神聖さを利用しながら行商人や職人から物乞いといった無縁の人々が集結することで、自由と平和を維持するというアナーキーを実現する。市場(いちば)では小規模な商いの連続によって人々が対等な関係を構築し、それぞれの生活を保ってきた。しかしやがて繫栄した市場(いちば)では国家と結託した金もちが資本を独占し、膨大な利益を手にするようになる。つまり人々が自由・平等・自治を守るためには独占しようとする力を内部から生じないようにすることが課題であり、アナキズムの問いはいかに独占を拒絶し民主的な空間を作り出すことができるかにある。
そこで共同体のなかで強制力をもたない政治を実現するために、筆者は多数決で物事を決めるのではなく全員で納得いくまで話し合い、身の回りのことを自分たちで解決するという手段が必要であるとする。全員が平等であるという原則のもとで双方の折り合いがつくまで話すことで共同体の内部破壊を防ぐことができるのだ。このような意思決定プロセスは2011年のオキュパイ・ウォール・ストリート運動にも見られたし、災害時に行政を頼ることができなくなった地域では人々が生きるために自然に発生してきた。アナキストの民主主義論は人々の自由と平等を守るために最も身近な方法であり、かつ共同体を維持するために必要な考え方である。
国家のなかで、私たちは政治や経済といった本来は自分たちの生活に結び付いているものが、行政や政治家や大企業といった一部のシステムによって動かされているという錯覚に陥っている。資本主義のもとでは人々は単なる生産者と消費者の関係に落とし込まれ、産業システムの歯車として組み込まれている。このように人々が無力な個人単位に分断されて権力と資本に従属させられている現代だからこそ、アナキズムの理念に立ち返っていかに「暮らし」を守るために抵抗するかということを考えねばならない。本書はいまの機能不全となった民主主義を再考するために、また自分たちの生活を守るための共同体をいかに作り上げていくかについて、示唆に富んだ一冊ではないかと思う。