どうぶつの森シリーズの最新作がリリースされたらしい。自分はそもそもSwitchを持っていないのでそれに関して四の五の言える立場にはないのだが、シリーズとしてだけで言うとwiiの 街へいこうよどうぶつの森 だけ小学生のときにプレイしたことがある。
どうぶつの森とはそもそもどんなゲームだったのか。自分はそこから既に曖昧だったので、WikiPedia先生に聞いてみた。
どうぶつたちが暮らす村にプレイヤーが移り住み、住人たちとの交流などを通してほのぼのとした生活を送ることができる。
ほのぼのとした生活を送ることを目的としたゲームだったらしい。
小学生ながらに自分は最初のチュートリアルとも呼べる『ローンを返済する』だとか『お金を集める』だとかいった行為に楽しさを見いだせずに、すぐにプレイしなくなっていた(姉はハマっていた)。
また操作方法さえもついぞ慣れることはなく、下にあるバーをAボタンで押してワッと出てくるメニューから必要な動きをするということがどうしても慣れなかった。日常生活でAボタンを押す習慣がなかったからかもしれない。
そもそも自分はTVゲーム全般が人並みにプレイできないし、スムーズに操作することさえおぼつかない。FPSや格ゲーといった瞬発力や洞察力が必要とされる(のかな?)ゲームはそもそも論外だし、3Dマップ上で相手の動きを読んだり自分の立ち回りを俯瞰したりすることが不可能に近い。
ポケモンやファイナルファンタジーといったロールプレイングゲームなどは成長しながら継続する忍耐もない(上に、そもそもやったことがない)。音ゲーだって、目と耳で状況を受け取り脳が認識をして適切な指令を出すラグに振り回されて、ただの精度の悪いタスク処理と化してしまう。
なんなら、全年齢対象のマリオカートやWii Sportsさえも取扱説明書が手元になければ不安だ。
そしてなにより操作以前に問題なのが、ゲームをプレイすることの目的を無意識に探ってしまうことにあるのではないかと思っている。「何がしたくてそれをするのか」「そうすることに何の意味がある」といった質問は、最も悪質で返事に窮する種類であるのは言うまでもない。なるべく自分にも相手にも投げかけたくないし、実際にそうすべきでない。
目的意識を見出して発展していこうというポジティブな思惑があるときを除いて、目的や意味を問うことは底意地の悪いニヒリズムやペシミズムに裏打ちされた身も蓋もない暴力性を備えている。
──君、どうしてそのゲームをやっているのかね。
どうしてって、楽しいからに決まっているじゃないか。
──画面内のキャラを自分と一体のように操作して相手キャラを叩きのめす。それの楽しさはどこにあるのかな。
勝ったときの達成感の得られる喜びや負けたときのもう一度という悔しさ、対戦中の駆け引き、どれを取っても楽しいだろう。
──でもそれは、仮想現実というデータベース上の情報にしかすぎない。君には直接なにも楽しみは残らないよ。
実際にゲームをやっているときは楽しいんだし、現実との線引きくらい引けているよ。一種の気分転換として楽しければいいじゃないか。
──君、本当にそれを楽しいと思ってやっているのかい。
なんだって。どういうことだ。
──ゲームを楽しんでいる、それは時間つぶしをすることに楽しさを無理やり見出して逃避してるだけにすぎないんじゃないかな。その楽しいひとときは、例えばやるべき課題、過ぎていく日々、そして自由からの逃避でしかないよ。
じゃあ、生産性のあることだけやってろって言うのか。あんたはつまらないな。
──いいや、一般的に生産性のあるとされることもね、その実意味なんてないんだよ。生命体が生きている意味さえもね。
そんなの滅茶苦茶だ。じゃあ僕はどうしろって言うんだ。
──私も君も含めて、自死しかないね。
こんな世の中もあんたも狂っている。もういい、僕は楽しい楽しいゲームに戻らさせてもらうよ。
これは任意の格ゲーの例だが、ゲームの部分を他のものに置き換えても、なんなら後半をあらゆる事象に当てはめても成立し得る屁理屈だ。ただの詭弁にすぎない。
しかし一方で、一挙手一投足自分の動作にこの問答が湧いてきてしまう。趣味も読書も勉強も仕事も、全てを自由と死からの逃避と言い切ってしまう暴力性をどうにか克服できないものだろうか(実際こんなことを考えている人は世の中にごまんといるだろうし、それを細かに考察して解決に導くべくして書かれた哲学書もたくさん存在するだろうが)。
そして、基本的にゲームクリアが存在せず自分で目標を立てながらプレイしていくスタイルであるこのどうぶつの森は、その暴力性を根本的に備えていてプレイヤー自身に常に投げかけ、理不尽さに打ち克ちアイデンティティを確立するべく村のどうぶつたちとほのぼのとした生活を送るという、大変扱いづらいシロモノではないかと思う。
生きていても先が見えず希望も持てない現実生活を、諍いや悩みが存在せず自分の好きなことができるというスローライフの体現として寓話的に、そして皮肉的に揶揄しているのがどうぶつの森の世界観なのである。そして楽しむべくして作られたその世界に、小学生のころの自分は身を投じることが恐ろしくて仕方がなかったんじゃないかなと思う。
そう考えたらこのゲーム、いまやってみたらハマるかもしれない。というわけで、どなたかSwitchを恵んでくれてもいいんじゃないか。ここまでの御託を並べる前に、本当に楽しめるゲームにまだ出会ってないだけかもしれないし。いま自分が持っているハードはWiiとPSPだけです。なにか面白いゲームとかないかな。