yktのブログ

アナルコ・アルカホリズム

三池炭鉱跡に行ったやつ

はじめに

色々あって熊本に2週間ちょっと滞在しており、その期間中に1日かけて大牟田の三池炭鉱の跡をいくつか回ってきた。前日に久しぶりに大量飲酒したせいでとても頭がガンガンしていたが、なんとかギリギリ電車に乗って事なきを得たのだった。大牟田駅前に観光案内所があるので、回るならばそこでレンタサイクルを借りると良いかも(クロスバイクがおすすめ)。

 

そもそも三池炭鉱とは、長崎の軍艦島などと並んで1873年から西洋技術を取り入れ近代化されてきたところであり、当時は日本一の出炭量を誇った大規模な炭鉱である。八幡製鉄所や長崎周辺の遺産とともに「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されている。まあこの遺産は、日本の発展を支えたという明るい側面と同時に、日本帝国主義の根本となり実際ここで強制労働が行われた点などは見過ごしてはならないと思うが、ここでは割愛。(→軍艦島に関しては過去記事参照)

戦後、この大規模な炭鉱は人員削減が原因となる、「総資本対総労働の対決」と呼ばれた大規模な労働争議が1960年に起こるなどの舞台にもなる。労働歌「がんばろう」などは有名。その後石油へのエネルギー転換を踏まえて徐々に規模は縮小し、1997年に完全閉山となる。

 

すべての遺構を回れたわけではないが、地図にリストアップされているもののうちいくつか回ることができたので、その様子を写真とともに紹介したい。

 

  

1. 有明海

干満差が日本一だと言われる有明海。ここの岸壁にヤクザが人を張り付けて、満ち潮になると徐々に溺死させるという話を幼少のころ聞いたことがある。私が行ったときはあまり天気もよくなく、やや時化気味だったと記憶している。

対岸にはうっすらと長崎の島原や鹿島のあたりが見えていたので、晴れている日に行けばもっと景色はよいことだろう。また港町あるあるというばそうなのだが、寂れた工場跡やその上空を旋回するカラスの群れなんてものもたくさん見ることができるのでオススメ。

 

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 2. 大牟田市石炭産業科学館

有明海からすぐそばに建っている。この後に色んな炭坑跡に行くが、どの案内員もここのことを言っていたので、まずはこの石炭産業科学館に寄ると色々とわかりやすいだろう。内容は明治以降の炭坑労働技術の変遷や掘削機の開設、また三池炭鉱自体の歴史を振り返るものである。炭坑エレベーターを模した展示や、三池炭鉱労働組合の実物資料なども置いているので見ごたえがある。また企画展としてちょうど三池闘争の資料展をやっていたので、とてもよい(語彙力)。

 

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3. 三川坑

さっきの科学館からほど近い場所にある。ここに行く道中にバカでかいイオンモールがあるのだが、これも炭坑跡・工場跡のジェントリフィケーションの一環なのであろうか。

さて、三川坑は1940年に開坑した比較的新しめの坑である。三池闘争においてはここのホッパー(※鉱石や砂利を貯めておくための槽、これがなければ採掘しても保管する場所がない)の防衛が最後の決戦場になったり、1963年には1200人以上の死傷者が出た大規模な炭塵爆発事故が起こったりと、様々な出来事の舞台になった場所である。ちなみにこの事故は、クラウドファンディングによってわりと最近慰霊碑が建立されたそう。

ここは「明治日本の産業革命遺産」という世界遺産には登録されていない坑なので荒廃も激しいものではあるが、当時のままの姿を残しているという点ではむしろ貴重なのではないかと思う。そもそもこの世界遺産登録自体もなんだか「産業革命」の明るい面しか見ていない気もするのだが…。

 

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1995年からずっと時は止まっている

 

4. 万田坑

ここは熊本の荒尾の方にあるが、まあそんなに長距離移動ではない。三川坑からだいたい自転車で20分くらい。ここは世界遺産に登録されているところで、かなり大規模な跡ではある。またこの万田坑のパンフレットはそこそこの分量を割いて、三池炭鉱の歴史において植民地支配をしていた朝鮮や中国の人々や連合国捕虜を強制労働させていた事実にも触れている。

万田坑は1902年から出炭が開始され、採掘や坑内水排出などの役割を閉山まで担ってきた施設であるらしい。近くには万田炭鉱館という小規模な資料館もあり、蔵書などが豊富であったので、興味があれば行ってみるとよいと思う。いまは修繕工事などをしているので、数年も経てばやや綺麗な状態で見れるのではなかろうか。

 

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総評史や三池闘争の写真集などたくさんあるぬ

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5. 久保清さん殉難の碑

ちょっと遠いのと、場所が分かりづらい。成田山なんとか寺の中にある。目の前に大規模な遊園地があり、道路を曲がると突然現れるので笑ってしまった。

久保さんは三池闘争において四山坑前でピケを張っているさいに暴力団の襲撃に遭い、刺殺された労働者である。これは大学紛争における体育会系や右翼による襲撃や、山谷争議団と金町一家の抗争などと一体である、資本-権力-暴力団の関係を詳しく洗わなければならない事例ではあるのだが、ここでは割愛。

 

 

6. 勝立坑跡

明治からここは使われていたらしいが、1928年に閉坑したらしく、壁のようなものしか残っていなかった。

 

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駐車場になっている

 

7. 解脱塔

三池炭鉱では戦前、囚人と良民坑夫、そして与論島労働者がメインであった(※1)。特に囚人は低廉かっ供給が安定しており、この近隣に集治監を建てて労働力を確保していたわけだが、ここで命を落とした囚人労働者を葬るのがこの解脱塔である。

 

 

8. 宮原坑

一応ここも世界遺産。1901年に完成、揚炭や入気や排水の役割を担うも、四山坑や宮浦斜坑の開削によって1931年に閉坑。鉄製の櫓などが見ものであり、世界遺産登録にともなって保存状態はやや改善したらしい。ここのすぐ横には炭鉱専用鉄道敷跡の枕木が残る。またここのすぐ近くには、前述の集治監の壁跡も残存している。

 

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9. 宮浦坑

煙突と人を運搬する列車、掘削機などが保存される公園になっている。またここには中国人労働者の犠牲者の慰霊碑も建てられている。

 

 

おわりに

まだすべてを見て回れたわけでもないし、時間的制約上あまりじっくりと見学できたといえるわけではないが、とりあえず雰囲気だけでもつかむことはできたかなと総括できる。三池闘争の研究や、筑豊寄せ場などと絡めた「下層労働者」の検証などを踏まえながら、これを糧として更に色々と見ていきたい。また単純に観光地としてもおもしろいところではあるので、これ以降に周辺を見て回る人の役に立てばよいなと思う。

 

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おみやげ。

 

 

※1 田中智子「労働者の特性にみる戦前の三池炭鉱における労務政策の変遷と労働者の抵抗に関する考察」『佛教大学大学院紀要 社会福祉学研究科篇 第37号』、2009年、37-42頁

旅とアニメと

レポートや論文の締め切りが近づいてきたら現実逃避で駄文を連発したくなる。出席点すら怪しい科目のレポートを必死こいて書いたところで、結局は落単確定で徒労なのかもしれないと思ってしまうと本当にモチベが失われてしまう。とてもつらい。

 

いまはとある小規模な個別指導塾でバイトをしているのだが、人に教えることを意識して勉強することでより知識が定着するというのは本当のようで、受験期よりも数学や古典が滞りなく理解できるようになってきている。ただ単に解説する問題が簡単だからそんな気がしてるだけなのかもしれないけど。

 

まあ、とはいえ2月には辞めるつもりだ。塾長とすこぶる関係が悪いのと、生徒が一向に成績が伸びず怒られが発生して面倒になったからである。せいぜい大学生がアルバイトでやってる授業なんかに成績向上を求めるなと思うのだが。受験対策などは大手予備校のプロか学校の教師にでも求めたらよろしい。親戚の子供などが塾に行くなど言いだしても、個別塾なんてもんは実情こんなクソ適当オタクでも勤まる程度のものなのは明白なので、絶対に勧めないことだけを学んだ。

 

いまで大体500字ぐらいです。レポートもこれぐらいのスピードで埋められたらいいね。

 

2月下旬にある安達としまむらのイベントに無事当選して昨日お金も払ってきたところなのだが、このコロナの状況を見てたら本当に開催できるのかととても危ぶんでいる。なんかよくわかんないけど政府が宣言とか出してるし。実は私はコロナのワクチンの治験をやっているので多分抗体を持ってると思うのだが、とはいえ家に持ち込んで家族が感染したりなどしたら厄介なので、不必要な外出はなるべく控えるようにしている。あと寒いし。面倒な誘いなどはたいていコロナを理由にこじつけるとなんとか許される風潮ができているのと、まったく大学に行かなくてもオンライン授業で済ますことができるのは、結構ありがたいものだなあと思う。

 

安達としまむらである。よく安達は「童貞」やら言われているがこれは微妙に解釈の不一致ではないか。童貞は、もっと下心丸出しでスキを見ればヤリのモクのことしか考えることができない、それでいて相手の事情も人間性も配慮することができずただ表面的なコミュニケーションに終始し、またその偏狭な視野とプライドが行動をはばむまま誰かとの関係性を自ら勝ち取ろうという気概もなく、しかしながらこうして培われた自意識の高さのあまり自身の魅力を過大評価することですぐに相手からの好意を勘違いして醸造してしまう、自己憐憫と自意識とコンプレックスでできたフランケンシュタインなのである。安達は多少挙動不審なところや視野狭窄なところはあるが、一方こうしたところには自覚的であり、またしまむらという一人のために一途に真剣に向き合って泥臭く苦悩するので、上記のような童貞とは似て非なるものなのであることは明白なのだ。

 

前のブログで書いていた渋谷の安達としまむらの展示会は、そのときの東京のコロナ感染状況をみてさすがにいま東京に行くのは無謀すぎると思っだので、急遽北陸・長野・名古屋の旅に変更したため行けなかった。とても残念。いきたすぎワロタだったんですけどね。

 

なんやかんやでコロナ感染状況を自己規範に取り入れているところもあって、行こうと思っていた一人旅を取りやめにするようになりつつある。もともとの予定だったらいまごろは奈良の山奥か敦賀の海沿いに旅して、そこでレポート執筆と洒落こもうじゃないかと思っていたのだが。さすがに大阪から来たキモオタク一人が観光もせずに街をウロウロするのは申し訳なさのようなものも感じるからなあ。夏でも定期的に旅に行ってたのでこの期に及んでという気もするが。

 

 

全然まとまりがつかないですね。メモ程度に今後行こうかなと思っているところをいくつかあげて終わろうと思います。

①門司

北九州。なんか全体的に街がレトロな感じでいいらしい。あと気になっているインフォショップがある。公共交通機関で行けるのかわからないが、カルストも近くにあるんだとか。行きたい。

 

②伊東

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なんかヤバい展示があるらしい。あと温泉とかある。静岡でいうと「さわやか」のハンバーグも食べたいっすね。

 

与那国島

かねてから台湾に行きたいと思っているのだがあと数年は無理そうなので、少しでも近づきたい。石垣島までLCCで行ってそこからフェリーに乗れば、意外と安く行けるらしい。

 

④悪石島

トカラ列島。前に対馬に行ってから離島に行きたさがすごいので、とりあえず字面がおもしろいこの島に行きたい。なにがあるんだろう。トカラ列島では、次点で中之島に行きたい。大阪の中之島なう!wとかいって、この島の写真をアップするくそつまんないやつをやりたい。

 

⑤八丁小屋

京都市の京北というクソ僻地にある廃墟。京都市中心部から40キロぐらい離れている。登山するぐらいの場所にあるので、ここに行くんだったらぶっ壊れた登山靴をなんとかしないといけないわね。三角形の建物がひとつある。

 

野迫川村

さっき「奈良の山奥」って書いてたのはココ。奈良の自治体のなかで一番人口が少ないらしく面白い(300人ぐらいらしい)。「野迫川」という川は存在しないのもポイントが高い。

 

⑦網走

名前の漢字と監獄があるのがウケる。

 

⑧蕨

なんとなく。

 

青ヶ島村

離島。

 

⑩本巣

安達としまむら

骨壺

いまとなってはかなり前、寺のバイトで、500個ぐらいある骨壷をひたすらに納骨堂の棚に収納していく作業をしていた。一生ぶんの骨壷を触ったと思う。10畳くらいの小さな堂で仏壇を囲うように、壁一面びっしりとここ数ヶ月以内で死んだ人間の骨が入った壺が並んでいる光景は、思ったよりも重苦しくも愉快でもあった。実際遺族でも納骨堂には入れなくて、寺の従業員と坊主のみ許されるその空間に足を踏み入れられるだけでも、十分ワクワクするからである。

 

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身近な人の火葬や納骨をしたことがある人はすぐにわかると思うが、骨壺のなかにはぱりぱりとした真っ白いポテチみたいなものがギッシリと詰まっている。にわかにはそれが人骨であるとは信じがたい。しかし焼いて灰になればみなあんな姿になる。これはニヒルな諦観などではなく、どことない恐怖感だ。

 

私はいまは死にたいとは思わない。だが結局死んでポテチみたいな残りカスになるのであれば、なにか自分の魂が報われるような葬られかたがいい。たとえば、海にすり潰した骨を撒く散骨とかいうのがあるらしい。木の苗と一緒に埋まって養分となる話も聞いた。

 

ところで骨は成分として結構カルシウムやらカリウムが含まれているらしい。墓場の火の玉は、昔は土葬だったのでそのまま残っている骨のカリウムが軽く反応して火がついていたのではないかという説もある。それが本当ならば、花火と一緒に私の骨を混ぜてもらうことも可能なんじゃないだろうか。

 

でかい三尺玉に混ざる私の骨。花火とともに私の骨も打ち上げられてドカーンと気持ちよく爆発して、綺麗な火の粉と消えていったとしたら魂も報われることだろう。肉体は魂の牢獄だそうで、その根幹たる骨が雲散霧消したらたまんないだろうな。誰か私の喉仏とかを粉にして花火にしてください。

 

 

安達としまむらのアニメが良すぎて最近毎日つらい。古参ヅラしておくと、私は安達としまむらを刊行当初くらいからずっと推し続けているので、この気持ちは筆舌に尽くしがたい。グッズとかCDとかいっぱい求めちゃうで、通学のバス定期を買う資金がなくなってしまった。でもまあ通学と安達としまむらをテンビンにかけたらどちらに傾くかと考えたら答えは明白ですよね。

 

 

ちょうど12月の最初に東京に行くと思うので是非ともこれに行きたいですね。とてもよい。つらい。

 

 

大学でできた知り合いに「老子とか好きそう」と言われた。いや実際老荘思想についてはかなり共鳴するところがあるので、その通りだと頷くしかないのだが。「老子とか好きそう」って、オタクを揶揄するときに言うシリーズ(例・「すき家でチーズ牛丼食ってそう」とか)のなかでもかなりヘビーなやつだと思う。

 

老子の考え方として『小国寡民』が代表的に挙げられるが、これを現代に生きる人間関係に当てはめてみると、タダの狭い人間関係に収めようとする閉鎖的な猿山の大将のようなもんじゃないのだろうか。遠回しに社会に適応できていないわよと言うも同然かもしれない。

 

最近バイト先の雰囲気にもまったく馴染めなくてとても居心地の悪さを感じるし、どうにかして上手いことコミュニケーション的なアレを向上させたいわねと思いつつも、そこまでのキャパシティを持ちあわせていないのがとても難点である。なんとかならんかな。

 

大阪都構想が頓挫した。ザマーミロ。

 

 

追記 火の玉はカリウムではなくリンらしい

7.31~8.6 西日本の旅

 前のこれの続編というか、完結編って感じです。これは暇すぎて電車の中で書いてたやつ。

 

yk1.hatenablog.jp

 

漠然と8月頭ぐらいに旅行に出かけようとは思っていた。それが東京になるか、西日本になるか、四国になるかはそのときの気分次第だった。それが18切符のいいところだし。ずっと大阪府のなにもないベッドタウンに定住してたら魂(プシュケー)が腐り落ちてしまう。

 

旅に出る予定をしていた日の一週間前になった。突然衝動的にその気になった日に、JRの駅に飛び込んで財布とスマホだけで新潟県とか行けてしまうのが18切符の恐ろしいところなのだが、最低限の日帝日程の枠組みだけはセッティングしておかねばいよいよ自制がきかなくなる。なんなら気づいたらウラジオストクとかに漂流しているすらある。そこでふと鳥取に住んでいる友人の顔を久しぶりに眺めたいと思ったので、とりあえず西日本行き(鳥取経由)が確定した。ついでに砂丘も見てみたかった。

 

 

7.31 京都→鳥取

京都駅からJRに乗る。その前に七条のあたりにある崇仁地区にも寄ってきたのだが、昔からあった半分仮設のような建物が集まった飲み屋街やちょっとした商店が更地になっているのを見て、いずれはこの土地の歴史もなかったことにされるのだろうかと暗澹たる気分になった。もちろん街がきれいになるに越したことはないんだけど、旧態依然としてあり続ける差別問題に関して覆い隠されている気がしなくもない。こういった問題はいずれ学習しないといけないな。

 

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なにをトチ狂ったのか京都駅で缶のハイボールを買ってご機嫌に飲んでしまったので、山陰本線の園部から福知山ぐらいまでの一時間ほど無限に尿意との戦いになっていた。バックパックひとつに荷物を収めたかったので替えのズボンや下着なんてものは十分には持っていない(そもそも荷物減らしたくてスポーツウェアの短パンだったので“その”瞬間すべてが終わる)。頑張って気を紛らわせようと旅行中に読もうと思っていた本を読んでいたら、早くも3冊中2冊を読了してしまった。計画性がなさすぎる。

あと100均のサンダルで移動していると靴擦れしてしまった。ピリピリ痛む。どうしてこんな思いしながら旅行しなきゃならないんだと怒りと尿意に震えていた。ついでに申し訳程度の列車からの観光情報を書いておくと、京都駅からわりとすぐなのだが「保津峡」のあたりがかなり見ごたえあって素晴らしかったです。

 

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詳しくないけどこういう列車いいよね@福知山駅

福知山駅のトイレで無事人権を護持したので、あとは安心して電車に乗ることができた。途中の豊岡駅で立ち寄った定食屋がメチャクソ美味かった。大体京都駅を9時前に出て、豊岡が13時すぎだったと思う。う~ん、その日の行程のだいたい半分ぐらいは来たかなぁと安心しきっていた。しかしながらさきほどの惨劇から何も学習していなかったので、定食屋で次は瓶ビールを飲んでしまった。できたての野菜炒め定食をビールで頂くのは最the高だったが、またもや先ほどと同様の責め苦を味わされるのだと気づいたのは飲み干してからである。

 

豊岡駅を列車が出てから約1時間後。もはやどうしようもない暴力的な尿意に耐えかねたので、適当な駅で飛び降りた。兵庫県香美町鎧駅とかいうところだった。

 

地図を見たらわかるが、マジでなにもない街だった。商店ひとつなかった。この街のすべてを見て歩くのに30分も要らなかった。マジの陸の孤島って感じ。びっくりするほどユートピア。ちなみにこの駅には13:55に着いたのだが、その次来る列車は15:44だった。ほぼ2時間クーラーもない駅で待つのか。やっちゃったねえ。駅のトイレはなぜか異様に綺麗だったのが怖かったです。

 

しかしながら、めちゃめちゃ景色はよかった。なんせ目の前は大海原ですけん。海と言えば大阪湾の南港の船着場ぐらいしか見ないので、ここから見る東海(または日本海)はとても透き通ったような海で新鮮だった。その駅の待合室で調べたところ、この鎧駅は昔18切符のポスターにも使われたことがあるくらい、観光地として有名なところらしい。それを先に言ってくれ。

キモオタクなので鎧駅と聞いても鎧塚みぞれのイメージしかなかった(語感が似てるので)。こういうところでは白いワンピースに麦わら帽子をかぶった美少女と邂逅するものだと思っていたが、美少女どころか地元の人とも誰一人会わなかったので駅舎でひとり泣いていた。もはや私が美少女でひとり傷心旅行とかいうシチュエーションならよかったのに。腹立ってきたな。

 

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 そのままなんやかんやで次の列車に乗れたので、あとは鳥取を目指すのみとなった。予定より大幅に遅れたがなんとか砂丘までたどり着いた。砂だった。そこで起こったバス置き去り&真っ暗な山道一人歩き事件に関しては、前に書いてたやつ(オタク=トリップ - 暗渠)を参照してください。マジで死ぬかと思った。そのまま友人の家でほっともっとの弁当を食ってひとしきり騒いで寝た。鳥取駅に着いてから砂丘に行って友人宅で寝るまでにストロングゼロを3本飲んだ。軽く脱水になった。

 

8.1 鳥取対馬

朝7時ぐらいの列車に乗った。なぜならばその日中に博多まで着かないといけないからである。ちょうどこの時期(今もか)ゴースト・オブ・ツシマが流行っていたので、ゲームに興味がなくてプレイしていないぶんマジで対馬に行ってやろうと思ったのだ。これがオタクの“格”の違いってやつよと思いながら鈍行に乗っていた。ゲームのツシマはおろか、元寇の歴史さえもろくに知らないんですけれど…。

 

鳥取駅から因美線(「淫靡」みたいでえっちですねとか5000万回ぐらい考えてた)に乗って津山経由で岡山に着いた。前書いたのは、その途中で書いたやつである。岡山を見て回りたかったが、10分後に山陽本線に乗らないといけなかったので泣く泣く断念した。山陽本線は車両にトイレがついていてたいへん快適だった。その快適さにかまけて、しこたまハイボールを飲んだ。トイレがついていたので私の完全勝利だった。ザマアミロ。しかしながら思わぬところにトラップはあるもので、その快適な車両を実家だと勘違いしたのか、スマホの充電が少ないにもかかわらず列車のなかで電池を食うミリシタを小一時間ほどやっていたので後々深刻なバッテリー不足に悩まされた。

 

20時すぎに博多駅に到着した。13時間の移動である。山口県が広すぎて気が狂うかと思った。大阪→東京で運転してたりすると静岡ゾーンが長すぎて頭がおかしくなるとはよく言うが、これの西日本バージョンは山口県かもしれない。3冊の本をすべて読んでしまっていたので、博多の本屋で追加で2冊買った。無駄に荷物が増えた。電車の中で読めると思ってKindle Unlimitedの体験をしていたのだが、スマホの充電の関係で道中一度も開くことはなかった。

 

博多駅の地下でとんこつラーメンをご機嫌に食べて、博多駅から天神経由で徒歩で博多ふ頭に向かった。思いのほか遠かった。そこから0時発のフェリーに乗って対馬の厳原に向かった。自分以外にほとんど乗客はいなかった。天神の路上に出している屋台はいい感じですね。ああいうフリーダムな感じのって大阪からは淘汰されてしまってるかも。路上解放!!

 

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片道だけで18切符の一日ぶん(2300円)の倍ぐらいかかる。もっと別の使い道もあったのでは???

 

8.2 対馬

朝の4時ぐらいにフェリーから対馬厳原港に放り出された。外は真っ暗で、夜更かしフォロワーがまだTwitterに張り付いているくらいの時間帯だった。死ぬほど揺れる船底のカチカチの床で毛布にくるまっていた直後に遠く離れた離島にぶっ飛ばされた自分と同じ世界に生きているとは思えなかった。

 

そこから歩くのも面倒だったので明るくなるまでターミナルビルのロビーのベンチで寝て、6時ぐらいから適当にそこらへんをぶらついた。自分は島に着いた当初は「いっぱい対馬の自然を見て歩いちゃうぞ~~」「あわよくばツシマヤマネコとか見れちゃうかも~~」などとワクワクしていたのだが、対馬は南北82キロもあるでかい島だということを忘れていたのでそれは完全に机上の空論だった。なんか対馬ってレンタカーがないと観光することができない島らしいですね。それを先に言ってくれ。

 

結局、免許ももっていないしレンタサイクルで観光するほどの気力もなかった私は、地図のような厳原の港町の500メートル四方くらいのエリアの涼しい場所を求めるだけのために対馬に行ったことになる。一匹の亡霊が対馬を徘徊している。げっそりバックパッカーキモオタク(山崎はるかさんが好きです)という亡霊が。およそ古い日本のすべての権力が、この亡霊を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。

 

足湯があるというGoogleマップの情報のもと、まずは右の方にある「漁火公園」に行ってみた。これはちょっとした山の上にあるので登るのだけで一苦労だったが、足湯という極楽のために必死でそれを登った。何度も引き返そうと思ったが、引き返す場所も離島なので存在しなかったからである。結局足湯は昼からだということで朝の7時前なんかには湧いておらず大いに落胆したが、いい感じに海が見える屋根付きベンチがあったのでそこで再び体力が回復するまで仮眠を取ることにした。

 

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天気がそこまでよくなかったのであんまり海っていう感動もなかった

9時か10時ぐらいになってから、観光案内所で涼もうと思って移動を開始した。コインロッカーに荷物を置いて、クーラーの効いた休憩所でストロングゼロを飲んで体力を回復させたのち(レモン系のチューハイを飲んだら爽やかな汗が出ると思っているため)、観光案内所でオススメされた近くの神社や城跡といった観光地を全部無視して、少し離れたところにあるコンビニの「ポプラ」に軽食を買いに行った。最近大阪では見ないですからね、ポプラ。とにかく不気味な何かを感じたな。

 

ポプラ以外に特に寄ろうと思っていたところもなかったので、めちゃめちゃ美味い対馬バーガーというのをビールとともに流し込んでからはゲストハウスに籠もってシャワーを浴びて部屋をクーラーでキンキンに冷やして寝た。気がついたら外は日が暮れかかっていた。私は対馬になにしにきたんだっけ…?

 

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小さな街って感じで居心地はよかった。

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対馬要素がよくわからないが対馬バーガー

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俺の地元に「ポプラ」というコンビニがある。先日、父親の運転で

ゲストハウスで服を洗濯したりYouTubeを見たりしてたらいつの間にか20時になっていたので、どこか飲み屋にでも行って海鮮料理に舌鼓を打とうと思って外に出ることにした。なんせ漁港の街なんだから、美味い刺身などがないはずがない。しかし楽しみだな~とそこで外に出ても、ほとんど開いている店がない。これは大阪や京都の繁華街にばかり飲みに行っているので感覚がそちらに合わせられていたのだが、夜中まで開いている飲み屋というものは大きな都市にしかほとんど存在しないのではなかろうか。

 

しかたなく近くのスーパーで半額のパックの寿司と惣菜を買ってきて、一人でゲストハウスの共有スペースでムシャムシャ食べていた。テレビではポツンと一軒家をやっていたような気がする。完全に実家のような感覚で晩飯を終えて、そのまま部屋に戻って寝た。ゲストハウスにもかかわらず、ほとんど誰とも会うことがなかったのが寂しい。

 

対馬の総評としては、行くのに時間と金が掛かるなという印象はあるが、厳原はのんびりとしていて過ごしやすそうな街だったと思う。ただし対馬といって思い浮かばれるクッソ綺麗な海や自然や歴史的建造物に関しては車やバイクなどの移動手段がなければどうしようもない。のんびりしていて過ごしやすそうな田舎の街は、対馬に限らずわりと津々浦々色んなところにある。

とはいえ、労力をかけてまったく行ったことのない土地に行くという点で対馬はとても良いところであった。次はもっと余裕をもって、観光という目的で行くべきである(今回は対馬に行くこと自体が目的だったので)。

 

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対馬まで来て飯がこれかよ

 

8.3 対馬→長崎

朝8時半ぐらいのフェリーで博多に帰った。そのまま博多でラーメンを食べて列車で長崎へ向かった。長崎には20時前ぐらいに到着した。長崎のゲストハウスから徒歩30秒ぐらいのところにある居酒屋で飲んで寝た。以上。

 

8.4 長崎

まず朝イチで路面電車の一日券を買って大浦天主堂に向かった。私は無神論者なので協会施設に足を踏み入れるのは少し躊躇いがあるのだが、ここはここで歴史的意義があって大変素晴らしいところだった。ここは8時半ぐらいに着いて、次に予約していた軍艦島ツアーの一環の資料館の集合が9時過ぎとかだったのであまりゆっくり見ることができなかった。

 

軍艦島ツアーは、資料館9時すぎ集合でその近くの港で乗船が10時だったので、あまりゆっくり資料を見て回ることができる感じではなかったのが残念である。また、ツアーの説明としては軍艦島をはじめ長崎港にあるグラバーの残した遺物といったものを「日本の近代化に貢献したもの」と紹介して褒めたたえる内容であったように感じるが、そこはイギリスや日本の帝国主義の一翼でしかなかったという側面をあまりにも加味していなかったように思う。軍艦島の資料館などからも、朝鮮人徴用工問題などの記述は一切見られなかった。長崎の観光地化という点でなるべく明るい話題に傾倒したいのであろうが、客観的な歴史的文脈は保存せねばならないのではないだろうか。

 

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軍艦島はなかなか迫力がある島だった。そこから13時半ぐらいに中華街で長崎ちゃんぽん食って14時半に孔子廟へ行き、16時すぎまでグラバー園にいた。こんなに見るところを詰め込んだら一つひとつに割ける時間も足らなかったので、なんだかなあといった感じである。観光旅行に向いていない。グラバー園とかいうブルジョアの住んでた跡地に入るのになんで600円以上も取られないといけないんだよ。革命広場にしろ。

 

その後閉館時刻まで長崎原爆資料館をよく見て、反戦反核の思いをあらためて抱いた。のちに帰阪してから知り合いに「岡まさはる記念長崎平和資料館」という個人でやっている資料館があったらしいということを聞いた。そちらも行けたらよかったなあ。

 

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8.5 長崎→広島

旅行中にもかかわらず、どうしても休めないZoomの授業が13時からあったので、それまでに博多のネカフェに入らねばならなかった。でもハウステンボスは駅からだけ見たかった(水曜どうでしょうが好きなので)ので、わざわざ佐世保ライナーで早岐経由で博多に向かった。そのせいで無駄に時間を使った。昼飯は博多で家系ラーメンを食べた。

 

Zoom授業が長引いて博多を出たのが16時前ぐらいだった。広島で知り合いたちと待ち合わせをしていたのが20時なので、鈍行で行っては(主に広すぎる山口のせいで)間に合わない。というわけで、山口の徳山駅から広島駅まで新幹線をやむなく利用した。行きは1時間半はかかった区間を20分ぐらいで走り抜けてしまったので、なんだか非常に無駄な旅をしているような気になった。 合流したのちは有り難く旅館に泊めさせていただいた。

 

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ちなみに旅行中に撮った自撮りはこれ一枚である

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8.6 広島→大阪

朝から広島市内を見て回った。原爆ドーム前には様々な団体がそろっていた気がする。よく慰霊の日には静かに祈れなどと批判されているが、そういった日だからこそ意味があるのではないだろうか。悲惨な出来事や記憶を忘れずに反戦反核の思いを明らかにする必要があるのだから式典を開いて首相や小中学生といった人たちがアピールをするのであり、そこは官製であろうが有志の市民であろうが集会をする意義は変わらない。静かに鎮魂という気持ちもそれはそれとして分かるが、だからといって黙って祈ることの強制は現状肯定になり得る可能性もあると思う。

 

知り合いたちと解散してからは、広島原爆資料館を見て広島焼を食べてから、列車に乗って岡山に向かった。行きは時間が無くて寄れなかった岡山城を見た。そして大阪駅に無事到着し、梅田のアニメイトでミリマスのCDを買って帰宅した。

 

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解放派。すごい

 

総括

またやりて~~~~~~~~~~

 

<参考(だいたい)>

18切符+新幹線の総距離数 1825キロ

18切符+新幹線の総乗車時間 41時間

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💤🏃😑🥦

運動不足なのか酒の飲みすぎなのかはわからないが体の調子があまりよくないので、ここ数週間ほど朝起きてからすぐに3~4キロほどランニングをするようにしている。昼になってしまえば暑すぎて走るのも体に悪そうなので、まだ涼しそうな朝の方がマシである。もともとテニスの選手コースにいたので体力は人並み以上にあると思っていたが、高校〜浪人〜現在と数年間ほぼ体を動かしていなかったのでかなりヨボヨボになっていた。悲しいなあ(泣)。

 

浪人中もたまに気が向いたら走ったり市営のジムに行ったりしていたのだけれど、いまの方が体力が落ちている気がする。となると、浪人のときにも乗っていた朝ラッシュの電車は意外と体に負担をかけていたということなんだろうか。ずっと足を踏ん張らないといけないし。満員電車ってそういう側面もあるんすね。

 

そこで「睡運瞑菜」が健康な生活をするために必要であるという話を思い出したので、意識的にこのバランスを考えてみようかなと思った。

睡眠 : 毎日0時過ぎには寝て6時半ぐらいに起きる生活。ヨシ。

運動 : 朝のランニングでおそらくそれは果たせるだろう。

瞑想 : これはなにをしたらいいんすか…?30分ほど坐禅組んで精神統一するとか…?

野菜 : 最近食生活は気をつけるようにしている。どうやら野菜は一日350g食べないといけないらしいが、そこまでキチンとしているかは不明。

 

わりと最近まで本能の赴くままに美味そうな飯(後述)を作って昼間からウイスキーやら芋焼酎やらを飲んで寝る生活をしていたので、野菜に関しては一番注意しないといけない。

 

舌がバカなのでとりあえずニンニクかチーズが乗ってりゃうまいと思っている。以前の昼飯は、白ご飯に卵をかけてアチアチに熱したウインナーとチーズを乗せ、キムチとマヨネーズをかけてニンニクパウダーとラー油でトドメを刺すだとか、回鍋肉丼を作ってその上微塵切りにしたニンニクとモッツァレラチーズと落花生とピザソースをトッピングするだとかいった、とりあえず美味いもんの爆弾を作っておけみたいな代物を作って、それをビールで流し込むのにハマっていた。そりゃ体の調子も悪くなりますは。


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料理は苦手ではないけれど別に好きではないので、自分が食べるためのモノにそこまで時間と労力は掛けたくない。となると、ある程度簡単に作れてすぐに野菜が摂取できるものを考えねばならない。まず最初に考えられるのは豆である。スーパーとかに売っている缶詰に入った豆はそのまま食べられるので、開けて皿にぶちまけたらヨシ。色合いを気にするならば、小さく切ったニンジンでも和えておけばよろしい。

 

あとはジャガイモである。ジャガイモは歴史的にも、数々の飢饉を救ってきた。逆にジャガイモが疫病によって大量に枯れたアイルランドのジャガイモ飢饉では、間接的にチャーチスト運動を盛り上げる要因になったとも言われている。そのジャガイモ、とりあえず蒸して潰してマッシュポテトにしたらすぐに食べられるだろう。

 

あとは適当に漬物とか梅干しとか白ご飯も加えたら立派な飯になると思う。もう皿を分離させるのも手間なので一枚のプレートに乗せたらいいんじゃないかな。


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なんか刑務所の飯みたいになっちゃったな